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暁美ほむらに脳を焼かれてキャラクター心理(text論的内面読解)が主食になりました。👻…

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暁美ほむらに脳を焼かれてキャラクター心理(text論的内面読解)が主食になりました。👻推し ¦ https://odaibako.net/u/kino_n

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  • オタク的、あるいは哲学的な十篇

    2023年末に何か達成感を得る為の。

最近の記事

シェフェール『なぜフィクションか』を読む④

「メイク゠ビリーブ」について触れられており、簡単に知りたい身からするとお得。正確な理解かは知らないが。 第三章第三節 この節は「フィクションとは何か」という観点にはあまり関わらない気がするが、心理学的には非常に重要な事実を指摘している。それは自他分離の後天性、そして睡眠時の筋脱力(REM atoniaと言うらしい)だ。 この節のタイトルは「フィクション能力の個体発生—―ミメーシス的自己刺激について」で、その通りに個体発生、つまり進化的にではなく個体の成長の過程でどうフィ

    • シェフェール『なぜフィクションか』を読む③

      ここで「遊戯的偽装」の素性が明らかになる。 第三章第一節 この章はドイツの作家ヒルデスハイマーによる『マーボット。ある伝記』の話から始まる。この著作は同氏のモーツァルトの伝記に続いて出版され、ゲーテを始めとする多くの著名人との交流を豊富な引用で描き出していた。批評家からも高く評価された「伝記」だったが、実のところこれは全くのフィクションで、アンドリュー・マーボットとはどこにもいない架空の人物だったのだ。 ヒルデスハイマーは多くの読者が騙されたことに驚き、いくつかのフィク

      • シェフェール『なぜフィクションか』を読む②

        今更だが、この手の本の例に漏れず訳者解説が研究史や本文内容の優れた解説になっているのに気づいた。先に読んだ方が良い後書きというものも実は世の中には存在する。 第二章(続)アリストテレスを参照しつつ「模倣による表象」をフィクションの心理機構として考える。(p.91-)これは再実例化、偽装のどちらとも違うミメーシス的事象(ミメーシスは要するに模倣)として先に挙げられていたものでもある。(p.72) 表象とはつまり心の中のイメージだが、重要なのはそれが単一の能力であることだ。「

        • シェフェール『なぜフィクションか』を読む①

          元々はケンダル・ウォルトン『フィクションとは何か』を読むつもりだったのだが、(電子書籍がないので)書店でいざ目にするとかなり読み辛そうで、隣にあるこの本にしてしまった。「原著主義」には縁がない、と言うか学生の頃に散々いきなり原著読むの怠すぎ体験をしているので、より新しい総説的な本が出ているならそれを読むに越したことなどない。 まぁ読んてみるとこれもまた晦渋な表現が気になる本だったが。フランス語の抽象概念には話者にだけ分かる豊饒な含意でもあるのか? 第一章フィクションに対す

        シェフェール『なぜフィクションか』を読む④

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        • オタク的、あるいは哲学的な十篇
          10本

        記事

          「最弱テイマー」あるいは外的物語と内的物語について

          いわゆる「なろう系」※作品ではタイトルで話が大体説明されていることがよくある。 ここで扱いたい2024年冬アニメ『最弱テイマーはゴミ拾いの旅を始めました。』も一見その手の作品で、更に言えばすぐ強い魔物と出会って「最弱」でもなくなるんだろうなという程度は簡単に想像される。結果的には『勇者パーティーを追放されたビーストテイマー、最強種の猫耳少女と出会う』(2022秋)など※※と近いノリではないか、と。 だが実際にはそうではないし、更に言えばそうした外面的な筋書きでない部分にこそ魅

          「最弱テイマー」あるいは外的物語と内的物語について

          「理解する」とはどういうことか 認知心理学的、ピアジェ的な回答

          自分のことを理解するのは難しい。「自分」というものが心身の連続性や体性感覚から構築されている、と私は理解しているがあまりピンと来る説明ではないだろう。自分そのものについて考えるとすぐにループに陥り、方針すらも見失ってしまう。 理解そのものにもまた似た困難がある。「理解」とは何か、どういうことが起きると「理解した」と感じるのか。 一例として「音が高い・低い」という表現がある。これはとても直感的な言い方に見えるが、よく考えると不思議で、何しろ「高い・低い」とは基本目に見える物に

          「理解する」とはどういうことか 認知心理学的、ピアジェ的な回答

          ブルーアーカイブの「大人」

          最近推し(椎名唯華)のブルーアーカイブ配信を楽しく見ているが、少々気になるのが「こういう思考/行動が子供」などのコメントが時々見られる点だ。初期ならとにかく最終編を経て尚こういう見解が出るのは少し残念に思われる。 自分もかつて触り始めた当初は「大人と子供」「先生と生徒」の射程を測り兼ねるところではあった。文化的な文脈で言えばブルーアーカイブは学園物の美少女ゲームをはっきり引き継いでおり、プレイヤー層のスライド(加齢)に合わせて主人公をヒロインと同じ生徒ではなく、大人の先生に

          ブルーアーカイブの「大人」

          自己紹介としての「批評性」批判

          「語る」オタク達を脅かし続ける一つの呪いがある――「批評性」という呪いが。 それは一体どこからやってきたのか? オタク文化を云々する批評家は意外に昔からいるが、やはり最大の伝道師というと東浩紀ではないかと思う。 Twitterも無いような頃のインターネットにおいて氏は最大の嫌われ者となると同時に、また数多の後継者を生み出した。 何か「実のある」語りをしようとしたオタクが社会反映論に終始してしまうのは、その語り口、あるいは文学的アプローチの摸倣に見えてならない。 東はこの直

          自己紹介としての「批評性」批判

          日経平均株価の最高値更新を巡るテキスト

          投信を多少持っているので日経平均の数字には関心がある。その日経平均が22日に史上最高値を更新したというニュースを見たが、個人的には国内の株高に前々から不信感があった。 GDPで言えば大して成長していないこの国の株高に意味はあるのか? 「異次元緩和」で大量に貨幣が供給されたことによる数値上の上昇に過ぎないのではないか。(貨幣数量説的な思考) 供給された貨幣が株式市場に流れ込み投資家の資産が額面上増えているだけならば、世間で「実感がない」とされているのも道理ではある。 今回の

          日経平均株価の最高値更新を巡るテキスト

          『メメントモリ』との1ヶ月、または放置ゲームが「正解」なのかどうかについて

          ソーシャルゲームには2つの車輪がある。インゲーム、つまり曲がりなりにもそれを「ゲーム」たらしめているゲーム性における性能。そしてアウトゲーム、ゲーム性の外側で展開されるストーリー上の魅力。この二つがキャラ(または各種アイテム)の価値を生み出し、課金へと導く。 (『原神』のような3DRPGではストーリーもインゲーム上で展開されることが多くなるので、インゲーム・アウトゲームという対比はもしかすると無用かもしれない。) だがここには歪みがある。ゲーム性が「性能」という価値を作り出

          『メメントモリ』との1ヶ月、または放置ゲームが「正解」なのかどうかについて

          問題意識を理解すること

          世の「話が通じない」事案の半分くらいはこの問題意識の共有に原因がある気がしている。 問題意識とはどの程度物事を真剣に受け止めるかの話で、人は誰しもその配分というものがある。例えば世界の貧困を問題意識として100%持っている人がいたとしたら、つまりは自分自身の問題と同義に思っているということで、その人はどうにかそれを解決するように努めるだろう。自分の財産を全て寄付してしまったり、または私的な時間を全て支援活動に捧げたり、とにかく日常生活の全てが占められる事になる。 ほとんどの

          問題意識を理解すること

          『ちいかわ』一気読みの感想②

          感想①では、飢餓編についてちいかわ族の消費とでかつよ族の暴力が鏡合わせなんじゃないかとか、黒い流れ星についてちいかわ世界の努力がいかに祝福されているのかとか、そういう話をした。 しかし島編(またはセイレーン編)において、ちいかわ世界は大きく様相を異にする。 そもそも「島」とは「100倍の報酬」などの甘い言葉で誘われた一種の異境であり、実態は違った訳だが海の彼方の「永遠」の地という点で「常世の国」のような存在である。異境に通常の条理は通用しない。 かつてはセイレーンの歌声と島

          『ちいかわ』一気読みの感想②

          『ちいかわ』一気読みの感想①

          年末年始に風邪を貰ってダウンしていたので、この機会に『ちいかわ』を読んだ。 アニメを多少観たことがあり、その時は「消費社会だ…」という月並みな感想を持った。しかし読み進めるとちいかわ達の生活は実に祝福されており、原始的な採集狩猟(「採取」と「討伐」)の労働、人間関係や競争に苛まれないそれは「こういう風になってくらしたい」という当初の祈りのような言葉に極めて忠実だろう。 だがそのような労働と消費社会の商品には大きなギャップがある。更に言えば、ただ生きる為ならばちいかわ達は働

          『ちいかわ』一気読みの感想①

          世界大戦と思想史

          世界大戦は西洋文明の、あるいは「理性」の自信を失わせたと言われる。WWⅠ(第一次世界大戦)の直後に『西洋の没落』がベストセラーになるなど、確かに思想的影響は大きかったらしい。 ただ思想史で言えば『オリエンタリズム』が1978年に出るように、ポストモダニズム的な西洋の自己批判は世界大戦とやや隔たりがある。戦後にまず出てくるのはサルトルの歴史参加(アンガージュマン)であり、反省よりもむしろ積極的行動を促すものだった。 果たして思想家達はWWⅡをどう受け止めたのか。ナチスドイツ、ス

          世界大戦と思想史

          前に書いたマルクス主義以外にもアドラー心理"学"だとか巫山戯た自称学問はいくつかあって反証可能性とか知らんのかと思うが、科学哲学がむしろそういうのの批判で生まれたというのを知るとやはり学校で教わらない「マルクスの時代」の存在を思い知る

          前に書いたマルクス主義以外にもアドラー心理"学"だとか巫山戯た自称学問はいくつかあって反証可能性とか知らんのかと思うが、科学哲学がむしろそういうのの批判で生まれたというのを知るとやはり学校で教わらない「マルクスの時代」の存在を思い知る

          さくゆい劇場 感想

          推しが「お笑い」をやる! 最高のエンターテイナーと思って推している身からすればこれほど楽しみなことはない。そしてこれを書かない訳にはいかない。 …ファンミ書かなくてこれは書くんかいみたいなところもあるが、あれは単純に満たされ感が凄かった以外にそう言葉が見付からなかったので仕方ない。 入場時はなかなか混雑を甘く見ていて、救済など言われていた入口を余裕で使うことになるとは思わなかった。通常の待機列形成が6時からという時点で何か察するべきだったか。コミケに行くとしても午後からが

          さくゆい劇場 感想