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「プロのくせにそんな打ち方するのか」雀荘メンバーをやめた【井出洋介】

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原稿の仕事が増え雀荘メンバーをやめた

  僕は東京大学を卒業後、渋谷のピンの東風戦の店でメンバーの仕事をしていたが、「麻雀プロとしてこれではダメだ」と思っていた。

 昭和54(1979)年、第7期かきぬま王位戦で決勝に残り、3位になった頃から、少しずつ雑誌の仕事が来るようになった。

 当時、「ビッグコミックオリジナル」という青年向けの漫画雑誌の増刊号で、小池一夫さんが原作の「下駄を履くまで」という麻雀漫画を連載していて、その欄外の「何切る問題」を担当した。その他、「週刊ポスト」「プレイボーイ」などの雑誌に原稿を書かせてもらったり、漫画ゴラクの連載コラムを持つようになり、雀荘のメンバーはやめた。

 知名度が上がってくると、著名人から麻雀に誘われる機会もあったが、それは当然、賭けマージャンだった。そして彼らとのコミュニケーションも難しいものだった。たとえば、いわゆる引っ掛けリーチに対して「プロのくせにそんな打ち方するのか」と言ったりするのに対して返答するのも結構面倒だった。

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