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選ばれなかった女たち:竹田有希(たけだゆき)



"特別"じゃない私の "普通じゃない"生き方

ー2020年。この年は全世界の人々にとって人生が大きく変わった年になった。感染症の流行により生活スタイルは一変して、今になって落ち着いてきたもののあの頃と同じにはもう戻ることはできない。私もあの頃には戻れない。だってあの年から私は舞台役者から麻雀プロに姿を変えたのだから…。

■比べられる毎日といらない自分

麻雀プロになる前は舞台役者や劇団の運営をしていた。これだけでは生活できなかったので会社員との二足の草鞋で生計を立てていた。そこまでして芝居の世界に身を置いていたのは、元々声優を目指していた過去があるからだ。

高校を卒業して声優学科のある大阪の専門学校に進学した。アニメブームの影響なのか同期は100人以上と大所帯で、演技や発声、ダンスや歌の授業があった。その中で私の評価はトップクラスとはいかなかった。卒業の前には毎日オーディションがあり事務所所属を目指していたが、掴めたのは養成所合格のみ(所属するにはまだもう少し勉強が必要という評価)。行きたかった事務所の養成所には、なんとか引っかかることが出来た。

東京に行くことは専門学校に入った時からおおよその生徒が決めていたことで、もちろん私もそのつもりだった。しかしながらそのタイミングが2011年3月となってしまい、あの東日本大震災が起きた直後のため祖父母をはじめとした親戚から猛反対をされた。そんな中でも両親だけが私の意思を尊重して強く背中を押してくれた。その気持ちを無駄にしないようにと心に誓い、不安と期待が入り混じる新生活がスタートした。

週3日のレッスンと稽古の日々を2年間過ごし、卒業と同時に迎えた所属オーディション。その結果は…不合格だった。事務所のマネージャーに「声がいいから別の事務所も受けてみなよ」と紹介してもらったがここも不合格。せっかく与えてもらったリベンジの機会も掴めず両親の応援にもこたえられず、世間から「お前はいらない」と言われたような気がした。


■見つけた居場所

不合格の判定を受けた後は一度芝居の世界から離れることにした。高校卒業と同時に目指していた道だけど、他の道を見ずに進んできたから他の景色を見てそれが良いと思ったらそこでキッパリと諦めようと決めた。

事務職に就いて早数年…。何気ない日常にも満足してこのままの毎日が続いていくだろうなとぼんやりと思っていたところに、とある連絡が入った。専門学校の恩師から「東京で舞台をすることになったから運営の手伝いをしてほしい」というものだった。…未練が残っていることが伝わったのか。もちろんそんなことはないと思うがせっかく必要としてくれるのであればと、仕事休みの週末だけ手伝いに劇場へ足を運んだ。そこで出会ったプロデューサーさんがいくつかの劇団を運営しており、その後も公演の度にスタッフとして呼んでもらうようになった。さらに役者としてもお声がけを頂き、気が付いたら夢見ていた芝居の世界に立っていた。一度はいらないと言われた世界だったけど、もう一度ここに居てもいいよって言われているようで本当に嬉しかった。
気が付けば毎月現場があるほどにスケジュールが埋まり、所属劇団の周年公演も企画して忙しくなろうとしていた矢先…何十本とあった現場が一斉に姿を消した。「コロナウイルスの流行」だ。
いつ誰が感染するかも分からない。幕が上がったとしても満席にできない状態では興行として成り立たない。さらには会社の方も休業してほしいと言われてしまい、寝て起きてご飯を食べるだけを毎日繰り返すだけ。また私の居場所が無くなってしまった…。

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