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2/10夜カタルバー「ハイ・ファンタジーの世界を作ってみませんか!」完遂した

世界創生しました。


思いついてから僅か一週間後に開催されたカタルバーの予告
秋田市文化創造館の担当者さん、ありがとうございました

 一時は「夜18時半から誰も来るわけねえだろ! 一時間ずっとXのスペースでオンラインカタルバーしてやるからな!」と覚悟を決めた、僅か一週間で企画された「ハイ・ファンタジーの世界を作ってみませんか!」カタルバー。

 Xフォロワーのみなさんと、直前までやっていたティーバイゲームのボードゲーム回から何人かのみなさん、そして通りすがりのファンタジー好きな人まで来ていただいて、声が枯れるまで架空の地図に書き込みをしました。
 超楽しかったです! ありがとうございました!

 ティーバイゲームめちゃくちゃ楽しかったのでみなさんティーバイゲームでボドゲをやりましょう。
 プレイスキルに関わらずみんなで楽しめる空気を作ってくれるめちゃくちゃ良いコミュニティでした。小学生から高齢の方までとんでもねぇ年齢層の方とワイワイ遊んできましたよ!!! 理想すぎ。

次回はみんなの実家・門脇家さんでやるそうです。
僕はチャレンジマーケットに出ているので行けませんがみなさんは僕の屍を乗り越えて向かってください!!

そういう名前の民泊さんなんですね。実家のような安心感



 以下は蛇足です。



ファンタジーとは何なのか


ファンタジーは、超自然的、幻想的、空想的な事象を、プロットの主要な要素、あるいは主題や設定に用いるフィクション作品のジャンルである。

Wikipedia-ファンタジーより


 つまり、「現実で起こらないこと」は全てファンタジーであると言えます。

 超能力、魔法、異世界転生、蒸気機関が電気よりも重要なインフラになった世界、ポスト・アポカリプス、ゾンビパニック、戦隊ヒーロー、仮面ライダー、人型決戦兵器など、この世のほとんどのフィクションはある程度ファンタジーの要素を含むと言っても過言ではないでしょう。

 その中でも、ハイ・ファンタジーは世界観がまるごと空想のもので、日常風景にファンタジーが混ざっているものはエブリデイ・マジックとジャンル分けされるとかそういうのがあるらしいですがまあ今回はどうでもいい。

 重要なのは、ファンタジーとは「空想」であり、「空想」は本来、ごく個人的なものであるということです。


空想とは個人のものである

 空想は個々人の心象に端を発するもので、その人の経験、意識、認識の延長線上に描かれる蜃気楼です。
 自分の頭の中にあるものは、本質的には、他人と共有することができません。私の経験は私のものであり、あなたの経験はあなたのものです。我々は物理的に個人という単位で暮らしており、個人でものを考えているがために、空想を完全に共有し、同じ映画を見るように、同じ空想を眺めることはできません。私の空想は私のものであり、あなたの空想はあなたのものです。

 その世界には風が吹くかもしれません。周囲を見渡せば、そこは砂礫にまみれた赤い荒野かもしれず、あるいは空気まで凍り付いて輝くような雪原かもしれません。風は吹かないかもしれません。それは私を幽霊のように素通りしていき、風景は画面上に展開され、コマンドを打ち込むと結果として冒険が返ってくるテクストの世界かもしれず、そのテクストの一行一行にこそ私の判断が織りなした物語があるのかもしれません。

「花が咲いている」という情報から、どのようなイメージをするかは人によります。千差万別です。そこに正解はありません。誰も他人とまったく同じものを見ることはできません。

しかし、「空想は個人のものである」というのは、実際には直感に反した文章です。
なぜなら、我々は、今回のカタルバーでそうしたように、いくつかの空想を束ねて、まるで同じものを見ているかのようにふるまうことができるからです。

物語はみんなのものになり得る

 実際、人間は完全な孤独になることはできません。我々は相互作用することで社会を織りなしているからです。生存のために他者といくらかの情報を共有しなくてはならないから。

 そこで物語があります。

「こんな前提だったら、この世界はどんな風になる?」「この世界にどんな場所があったらいい?」「どんな物語があったらいい?」

 ひとつひとつの空想はばらばらのピースです。
 寄せ集めても完全にひとつになることはありません。
 しかし、我々はそのひとつひとつにつながりを見出すことができ、「すごい! その発想はなかった!」「確かに、そうなったら面白い!」というビジョンを共有できます。

 そこに物語が生まれるからです。



 きらきらのピースです。超楽しかったです。
 しかし、我々ひとりひとりがお互いの脳みそをのぞき合うことはできません。我々は孤独です。たぶん自分のことを陽キャだと思ってる人はあの卓には誰もいなかったでしょう。
 それでも楽しかったのは、おそらく、ひとつの世界を生み出すというビジョンを全員で共有するという物語があったから……という可能性もあるにゃあ。


 まあとにかく。
 物事をいろんな類型に当てはめて共有するとか、いろんな手段で我々は社会をやっているわけですが、「想像力」を使うのが楽しいのは、それが孤独な行為でありながら、実は隣にいる人間に最も近づく方法、なんなら本質的には、「他者に触れる」ためのたったひとつの方法が「想像する」ことだから、だと考察しています。

 想像は個人のものであり、社会の最小単位である。

 想像力は人生を豊かにします。人との出会いが人生を豊かにするのは、想像力の限界が広がるからです。それは世界が広がり、あらたな世界が創造されることを意味します。実は、誰もが神話のように世界を創造しており、世界はそのようなファンタジーによって成り立っています。これは世界の真理です。

 ほんまか? 知らんけど。


チャレンジマーケットも来てね!!!

 ちゅうこって、チャレンジマーケットでは、想像力をふんだんに使った楽しいレクリエーションをやりますよお!

 ぜひみなさん遊びに来てくださいね!!!

チャレンジマーケット出店者情報より引用


サーバー費用で貯金がめちゃくちゃなので、なにかしらサポートしていただけるとちょっと助かります。