見出し画像

鶴がまう

私、遂におじさんデビューを果たしました。

それは仕事中のことでした。
3歳くらいかな顧客様のお子様と仲良くお話してもらっていたら、突然「ねえ〜、おじさんさ〜」なんて言われたものだから結構動揺しちゃったよね。

なんてったってアラサーですから、幾らもしないうちに呼ばれるだろうとは思ったけれど、思いの外早かった。

心の準備ができていなかったので、3秒くらい時が止まったよね。「え、俺?ぼうずや、ほんとに俺か?後ろにおじさんいる?間違えてない?」振り返ったけれども誰もいない。なんならそこにいるのは僕の2つ歳上のお母さんとひとつ上の女性。男は僕1人。一直線に向けられた透き通った瞳。

間違いない。僕だ。来たこれ。
「ゴホンゴホン、何?どうした?」3秒の間を置いた僕の返事は我が人生で最高に気取っていたと思う。

成人して6年は経つ訳だけれども、ずっと大人になった実感が湧いていなかったから、やっと大人の仲間入りができた気がして嬉しかったね。

これは僕の持論でしかないんですけど、
にんげんっていう器があるとして子どもの頃は子どものボールが沢山入っていると思うんです。大人に近づくっていうのはそれが丸々大人のボールに変わるんじゃなくって、子どものボールが減ったり、大人のボールが増えていくことだと思うんです。

虫で例えるなら芋虫が蝶々になったりするのではなく、バッタやカマキリみたいな、大人の要素が入り交じっていくものが大人です。

だから社会に順応する為にただ子どものボールが減っただけの大人風の人もいるし、大人のボールの中にある程度子どものボールを残している大人もいたりする訳です。

理想は子どものボールは減らさずに、どんどん大人のボールを増やすことですね。その為には器は成る可く大きい方が良いですから、人の器って奴は素晴らしい例えですよネ。

僕は子どものボールだらけの中にようやく大人のボールを何個か入ってきた状態ですから、ちょっとおじさんデビューは遅いかもしれないけど、今のところ及第点といったところです。どんどん大人のボールを増やしましょう。

今週も読んでくれてありがとうございます。
それはそうとお祭りの季節ですね。
浴衣姿の女性を見て、あんまり色っぽいと思えなくなったのは子どものボールが減ったからなのかなア。下駄が痛くって裸足になったあのアスファルトのひんやりとした感触が懐かしいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?