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アンチお利口主義

いやはや、世間は随分とお利口さんになってしまった。お行儀がよくなったと言うべきか、愚かさが減ってしまったような気がする。元々お行儀の悪さが売りのとある小説が映画化されたので観てみたら、原作が漂白されたようなとても美化されたマイルドな仕上がりになっていたので、ふとこんなことを思ってしまった。

 ぼくが大人になったからなのかと思ったが、そんなことはなく、お利口さんが今の世間の需要なのだろうと思う。綺麗な映画、ポジティブで華やかな音楽が流行り、有名人は愚か、退廃さが売りのロックンローラーですら不倫で解雇。ひいては一般人ですら少し道を外れたことをすれば炎上。無意識かもしれないが、人は他人に優等生を押し付けすぎてしまっている気がする。

日本盲導犬協会のこんなモットーをご存知であろうか。「目の見えない人、見えにくい人が、行きたいときに行きたい場所へ行けるように」という協会の使命があるんですが、その言葉の前に、「犬を含め誰の犠牲の上にも立たず」と必ずつけるんです。これは動物愛護的に重要なモットーではあるのですが、ぼくはこの話を聞いたときに随分盲導犬にお利口さんを押し付けていたなアと感じました。このモットーの「誰も」は紛れもない私達も含まれています。 盲導犬だって普通の犬です。犬を連れている人だって普通です。それを勝手にお利口さんだと決めつけ、決めつける自分にすらお利口さんを無意識に押し付けてしまう。

ぼくは教員の母に育てて頂いたので、その反動なのかお利口ではないものに惹かれる傾向があります。ゴダールや山田洋次監督の映画だったり、谷崎潤一郎さんや、川端康成さんの小説、吉田戦車さんや日野日出志さんみたいな漫画が大好きです。そこには退廃的な人、道ならぬ道を歩く人、どうしようもない人達がいます。ぼくはよく落語の話を引き合いに出しますがあれこそ人の業の肯定の最たるものです。どうしようもないですがとてもファンタジーで耽美的です。

なんでもかんでもお利口さんになってしまったら随分つまらない世の中になってしまうと思います。お利口さんを求めすぎる教育を受けてしまうと、家ではいい子は外では悪い子になりがちです。人は結局どうしようもないんです。失敗だらけなんです。「犬を含め誰の犠牲の上にも立たず」誰かの小さな迷惑の上に立つのではなく、それをシェアしたり、持ちつ持たれつ生きることが改めて考える日本人らしさなんだと改めて感じました。

今週も読んでくれてありがとうございます。
みんな死んだら天国に行きたいって言うけれど、良い子悪い子がはっきり分断された天国は随分退屈だと思うなぁ。

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