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今日のよもやま(2・22) 生きるのって、疲れるもんだ

最近ずっと本を読んでいた。

加藤諦三の「いつも自分だけ責める人」という本。

まあかいつまんで言うと、「他人が機嫌悪いと自分のせいじゃないかと思う、必要以上に他人に気を遣う、そういうひとは、幼少期の親子関係でプレッシャーを与えられて育ったために、脳の回路が『所詮自分は独り、だれも助けてくれやしない』、『生きてるだけですいません』みたいな回路になってしまっている」という話。

そう言う人は、恋人ができてもその恋が続くとは信じられないし、結婚も憧れをもたないみたいなことが書いてあって、ああ、、と思ったり。

心が痛くなるほど、「これ私のことじゃね?」みたいな、自分で思い当ることばかり書いてあって。ずっとずっと泣きながら読んでいた。

私は他人と親密な関係を創ることが不得意であり、苦手だ。

なので、友達がいても、恋人がいても、相手に対して気持ちはあるけれども、期待はしない。そして相手が自分をきちんと思ってくれるということは、頭では分かっているんだけれども、心から信じられない。

良くも悪くも相手に期待をしない。去るもの追わず。執着はしない。ただ、必要以上に相手に気を遣ってしまう。

でも、そう言ってはいても、絆とかそういうものに憧れや美しさを感じるので、そういう意味では、私の創る物語には、私の「憧れ」がふんだんに詰まっている。

私は自分に自信がない。産まれたときからずっと。

私は自分に価値があるとも思えない。産まれたときからずっと。

ずっとずっと、褒められたこともない。

もしかしたらそう思い込んでいるだけなのかもしれない。

包み隠さず言うと、「他人が怖い」。

なぜなら、「私がどうしようもない人間であるということがばれるのが怖い」。

なぜなら、「常に怒られるんじゃないか、嫌われるんじゃないか、相手に心を寄せて、裏切られるのが怖い」。

おかしな話でしょう。自分でもおかしいという自覚がある。でも、この本を読んで、「そういう回路ができてしまっている」のだ、と知った。

拙作の百合小説、「まち子さんシリーズ」(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=7018883#2)で、最後あたりに、まち子さんが独白する。

「わたしは、きっとあなたに飽きられる。だって、あなた、とても素敵だもの。私は別に若くもないしかわいくもない。自分に価値があるとは思えない。でもあなたは好きだって言ってくれる。私はちょろいの。こんなに素敵できらきらしているかわいいあなたのこと、これ以上好きになって、でも、捨てられたら、立ち直れない、死んじゃうかも。だからこわい。付き合うのが。お願い、好きだって言わないで、友達のままで居て」

これは、私の心の叫びだ。

「私はきっと飽きられる。私に価値があるとは思えない。あなたは私を気に入ってくれるけれど、私はそれを嬉しいと、心からうれしいと思っているけれど、でも、私はそんな貴方が思っているような人間じゃない。あなたに気に入ってもらえるような価値のある人間じゃない。そんな、そんな素敵ないい人間じゃないの」

まち子さんシリーズは、ラブコメの体裁で、読んで元気になるをコンセプトに、全編軽快に進んでいくハッピーエンドの物語だ。重っ苦しい感情や描写、そういったものは、意図的に一切省いている。

あそこに出てくる全ての登場人物は、それぞれ私の中にあるたくさんの人格であり、私の分身であり、まち子さんは、『現実の私』そのものだ。主人公のかねやんは、こうありたいという希望の、『理想の私』だ。

作中には、恋愛がどうしてもできないし、理解できないけれど、それを楽しめるひとたちが美しくも羨ましいと思っているという「ヨン」というあだ名のキャラクタがいる。あれも、『私』なのだ。

あの作品は「私」が、「理想の私」を、眩しく、羨んでいる物語なのだ。

悪い人はだれもでてこない、全てがやさしい世界。現実感はないだろう。自分でも分かっている。

ある人に「私は現実感がない物語は書けない」というようなことを言われた。特に私の書くものに対しての発言ではないし、深い意味はないと理解している。その人に対して怒っているとか傷ついているとかは決してない。

ただ、その言葉を聞いた時に、「現実感がないやさしい話しか、自分には書けない」と思った。小説を書くことは、私にとってセラピーなのだ。

生きるって、疲れる。でもそれは、きっと、私の脳がそういう回路だからなんだろう。

「いつも自分だけ責める人」という本は、あまりに私にとって読み進めるのが辛い一冊だった。

でも、最終章で、「脳の回路は変えられる」と書いていた。

壊れたわたしの脳の回路は、これからでも変えられるのだ、と。めちゃくちゃ大変だけど、と注釈つきではあるけれども。

どうせこれから先、生きて行かなきゃいけないのなら、このやっかいな回路を変えられるように、少し、頑張ってみようかと思う。


少しずつ、少しずつ。


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