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【きょうのよもやま7/19  結局自由に生きていいんじゃないか、って話】


【どうしてそんなに働くの】


 と言われます。包み隠さず言います。ぶっちゃけ、「金のため」です。


  いや~~~~~~~~~~~~~~残念!!!!!!!!!!!!!


 なんかこうかっこいいこと言えればよかったんですけど、「いや、この社会のため!」とか、「この世界に貢献するため!」とかさ、「自分という存在を皆様のお役に立てるため!」とかさあああああああ


 そういうこと言えればよかったんですけど、正直に包み隠さず言いますね。


「金のためです」


 いえええええええい!!!!!
 言ってやった~~~~~~~~~wwwwwwwwwwwwwwwww


 神様、わたしは欲望深い女です。
 なぜなら、お金を遣うことが大好きです。
 胸を張って言います。
「お金が大好きです」
 あわよくば、楽してお金たくさんほしいです(正直)

 なんでお金が大好きなのかっていうと、やりたいことがたくさんあるからなんですよね。
 お金があればできる経験を、一通りしたいんです。だって、せっかく産まれてきたんじゃん?!

 わたしの父は実直真面目な公務員でした。

 「社会に貢献し、清貧であれ」という、素晴らしい崇高な言葉を度々わたくしにかけてきました。
 「凡人は凡人らしく、凡人なりに世の中に貢献して、人のために尽くして、清貧であれ」と。

 「はい! お父様!」
 それがわたくしでした。


 それが今……。


「いええええええええええええええええええええいい!!!!!清貧なんてくそくらええええええええええいやhっほおおおおおおおおおおおおおお」

 

 なにが起きたのでしょうか。なにも起きてないんです。
 ただ、気が付いたらこうなっていたと。まあ、本来の自分はこういうやつですよ、と。


 もともとは、「いい子」でありました。「大人にとっての」いい子でした。

 でも今はもう大人なんで。

 ええ、自分の人生は自分で選べます。だって大人なんで。
昔はこんなこと言っちゃだめだと思ってましたよ。

 清く正しく美しく。歩く姿はすみれか百合か。(?)


 そんな風に、質素で清潔感のある暮らし。派手過ぎずつつましやかに生きておりました。

 でもあるとき気づきました。


 私が「わたし」を生きていないことに。

 常に「そこに居ないはず」の、「両親」の目を気にして生きていたことに気づきました。

 昔は田舎の目もあったでしょう。目立つようなことをすれば「~さんのところの~ちゃんやばいわね」と噂になることでしょう。両親はわたしに愛情を注いでそれは丁寧に育ててくれていたと思います。


 が、しかし。
 しかしですよ。

 でも、今は? 
 わたしは都会にいます。そして周りに両親はいません。
 両親に育ててもらうターンは終わりました。今は私は私を生かしてるわけです。

 税金を払って、きちんと自分の足で立って生きてるわけです。


 わたしがどんな格好をして、どんな生き方をしても、別に気にしなければ誰に文句言われてもへっちゃらなはずですし、むしろ、他人に文句を言われる筋合いもないはずです。言う方が悪いもん! 暇なの? 私のこと好きなの?


というか、

「わたしはわたしの好きに生きる」ことに対して、制限をつけていたのは「わたし自身」でした。

 いや~、愕然としましたね! だって全て思い込みで。
 「ダメ」だと思っているのは「(そこにはいない)お母さんまたはお父さんに怒られるから」。


 んなわけねえええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!


 居ねえから!!!!!!
 むしろ呆れられることはあっても怒られることはないから!!!!!

 別に犯罪起こしてるわけじゃないし、それでなんか言ってくるようだったら逆切れすればいい話!(そうか?)


 私が派手になろうが、夜更かししようが、自炊をせずに外食で生きようが、実際はだれも咎めません。親すらも。

 何を恐れていたのでしょうか?

 むしろ、ぐりんぐりんのパーマヘアを、「その髪型、いけてるじゃん」とか言ってくる始末です。
 ちょっと派手なコーディネートを「都会の人は激しいなあ」というくらいです。

 真面目な人は、そこで落ち込むでしょう。
 でも、落ち込みません。だって、私がこの服装が好きなんですから。

 これに気づいたときは、本当に衝撃を受けました。
 そしてなんてたくさんの制限を無意識に自分に強いていたのかと、自分がとても頑張って生きてきたんだと気づいたのです。

 無意識のうちに、思い込んでいることってたくさんあります。


「金が好きだとおおっぴらにいうことは下品だ」
とか
「いい年して派手な服装してはだめだ」
とか、
「人に優しくしなくてはいけない」
とか
「あの人たち苦手だけど、あの集まりは参加しないとだめだ」
とか。
 全部。全部。
「こんなことでくじけたらだめだ」とかさ。
 別にくじけてもいいじゃんって思うんですよ。人間そのうちくじけることにも飽きるから。

 生きてるのは「私」です。
 好きにしたらいいんですよ。全部正解だし、全部、不正解だし、言っちゃえばこの世はなんでもありなんです。

 金が好きなら好きでいいし、派手な格好がすきなら派手でいいし、年賀状返したくなければ返さなくていいし。別に自分以外は自分の人生のエキストラです。
 何を言われようと、どうしようと、気にしなきゃいい。
 好きに生きたらいい。


 先日、同じ年齢の知人が闘病の末に亡くなりました。

 今日ある一日が、明日もあるとは限らない。この一度きりの人生を、「本当はこうしたいのに、こういわれてるから我慢している」とか、勿体ないと思うんですよ。
 ましてや、今日は自分の人生で一番若い日。
 じゃあ、その時感じること、やりたいこと、全部、正直に受け止めたらいいし、
出来る範囲で少しずつ自分に許可を出していければいいよね。

そう思ったり。

 なんか「金が好き」って話からずいぶんずれた気がしますが、
 日々そう思って生きています。

 最近、金が好きだと自覚したせいか?、
億を稼いでいるとか、経営者とか、そういった方の話を聞くことが多いので、また今度まとめます。お金もちの方がたの思考って興味深いです。

では、よい一日を!

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