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そして引き寄せた「絶対幸福」の話

私がテーマとして綴っているのは「引き寄せない法則」です。

「引き寄せない」と言いつつも、その目的はもちろん、結果として幸福を引き寄せることにあります。

そのために、悪しきものを引き寄せない、あるいは余分なものを手放す。 
そうした感覚を掴むことが、もの凄く大事なのだと知る機会が色々とあり、こうして文章にしています。

さて、「法則」と謳っているからにはやはり、成功例もお伝えすべきだと思います。
何がどのように引き寄せられるのか。

細々とは色々あるのですが、note投稿を始めて約2カ月、私にとって奇跡とも言える事象が起きました。

前の投稿で、「絶対幸福と相対幸福」という仕分けについてお伝えしましたが、私が手にしたのは「絶対幸福」です。

私たちには、幸福を手にするには何かしら資格のようなもの、切符のようなものがありそうだという観念があります。

そのためにお金、経済的充足を欲しますし、学歴や経歴を積み上げる。人より美しくありたいとも思うし、戦えば強くありたい。
そうした、ある種の「振り落とし」に残った者が幸せを手にするのだと思えてしまうし、実際問題、現代社会はそのような振る舞いを見せている訳です。

確かに、何かを積み重ね、勝ち取った先にある幸福というものも、あるかも知れません。
しかし、外へ外へと求めるだけでは得られない、私たちそれぞれの内なる深い場所に眠る幸福。これも確かに存在します。

私が手にしたのは、そうした種類の幸福です。
ここから私が体験した「最高の引き寄せ」のお話を致します。


友との再会

第2稿の「私たちは船」において、私自身がうつ病を起因として、何もかもを失ったとお伝えしました。
安定した仕事を失い、社会性を失い、住む家と資産を失い、友を失い、家族を失い。

良く生きていたなと思います。

最もダメージが残ったのは、娘との日常を失ったことです。
当時小学生になったばかりの、私にとっては宝物とも言える、娘との日常が消えてしまったこと。

このことは、精神的な病みの中にあった私を、更に更に苛んでいました。

具体的に、どのような経緯をたどって離れ離れになったか、そこは未だ癒えぬ傷でもあり、差し控えます。
ただ、如何な病気的要因があったとは言え、家族離散を招いた責の多くが私自身にあったのは確かです。

それ故に、その時の私はあることを強く強く恐れました。
「パパなんか大嫌い」
「二度と会いたくない」
娘にそう言われることを。

妻と別れ、親権を失ったとは言え、近くに居さえすればいつでも会えたはずなのに、僅かに残った娘との繋がりが断たれる事が怖くて怖くて仕方なかった。

そうして私は心を閉ざし、愛着ある全てのものから距離を置くことになります。

そんな月日が、気付けば10年以上続いていました。


藁にもすがった

私が「引き寄せの法則」を意識し始めたのは1年程前のこと。メモを見たら2023年2月13日に、自分なりに取り組み始めたメソッドの「書き初め」が有りました。

「藁にもすがる思い」とは良く言いますが、私が実践したメソッドなどは、まさに「藁」みたいなものです。
とにかく、何でも良いから掴みたい。そんな思いでした。

様々な方法を試し、出口を模索すること9ヶ月程、ある書物との出会いを切っ掛けに、それらのベクトルががらりと変わります。

その書物が示唆していたのは、「方法」を変えるのではなく、「私」を変えること、簡単に申せばそういうことでした。

他人は変えられず、世の理も変えられず、しかし私自身、私を変えることは出来る。
私は、そのあたりの感覚を「引き寄せない法則」として綴っています。

さて、事態が動いたのはつい先日、1月14日のことです。

私は、実母以外の誰にも動静を知らせず、連絡先も知らせていませんでした。それどころか、その母からの連絡も無碍に遠ざけて来ました。
そんな状態が何年も続いていました。

「法則」を変えてから3か月余のある日、既に私の意識が変わっていたのは確かですが、普段なら絶対に応えない、仕事中にかかって来る母からの電話に、何故かその日は応答しました。

驚きました。
電話の向こうから聞こえたのは、母のそれではなく男の声。
高校時代から、最も親しくしていた友の声でした。

私が長らく遠ざけてきた「愛着のある存在」。それが再び、電話の向こうではあるけれど、姿を現してくれたのです。

短い会話でしたが、ここまで十数年、私を苛んで来た「正体不明の抵抗」は既に無く、友の「会おうよ」という申し出を素直に受け容れていました。

再会を果たしたのは、ひと月後の東京浅草。
分かり易いよう、浅草雷門を設定したのですが、心配するまでもなく、お互いが一目で分かる。

気付けば、私は泣いていました。
休日、人のごった返す浅草雷門で、人目も憚らず泣いてしまった。

友に少々たしなめられながら、あまり馴染みのない浅草で、昔よろしく酒を酌み交わしながら、久しく忘れていた感覚に浸っていました。

友が、私と連絡を取ろうとした切っ掛けも聞きました。
そこにはやはり、人の「意識」が深く関わっています。
それについては後ほど。

こうして友と再会出来たこと、その機会を友が作ってくれたこと。
私にとっては、充分過ぎる「引き寄せ」ですし、有難く、幸せなものです。

しかしです。このすぐ後に、更なる奇跡がやって来ます。


最も望んだ再会


友と別れた翌々日のこと、再び母から仕事中に電話が入ります。少しかったるいなと思いつつ、もう無駄な抵抗はしません。出ます。

「あの子から連絡があったよ!」

衝撃が走りました。
13年前に離別した娘のことです。

実際に連絡を繋いでくれたのは、私の姉です。
実のところ、この実姉とも長らく連絡を取っていません。姉の電話番号すら知らない。私にとって「正体不明の抵抗」の象徴のような存在です。

もちろん、そんな抵抗などは既に無く、程なくして来た姉からの電話を受けます。
「○○さんが、パパと話したいって」
姉がそう言った瞬間、私はその場で膝から崩れ落ちました。
今度は、平日の人が行き交う東京日本橋の片隅で、人目もはばからず大泣きしていました。

娘の電話番号を聞き、携帯に留めると、やがて娘からの電話がかかって来ます。

「パパ」と。

離れ離れになって13年、私の中の娘は幼いままです。
「わたし、大学2年生になったよ」
すっかり大人になり、声も大人にはなったけど、どこかに幼い頃の面影が残っていました。

この長い年月、何度も何度も夢に見て、焦がれて、諦めた存在がそこにはあります。
その日は僅か30分程の会話でしたが、おそらく私に取って、生涯忘れ得ぬ30分です。

これは、私にとってやはり最大の「引き寄せ」に違いありません。
ただ、まだ続きがあります。


その日の夜、不慣れなLINEをゴニョゴニョやって、娘と「友だち」になった私。急進行で色々と情報を交換しました。
翌日、娘から不意の申し出があります。
「今週東京へ行くけど、会えないかな」

と。

な、ナンですかその急展開は!ココロの準備がっ・・・なんてことは言いません。はい、従います。流れに乗ります!

その週の日曜、私たち親子は再会の約束をします。
それまでの数日間も、LINEでは毎日会話を積み重ねた訳ですが、所々に私の硬さみたいなものが出てしまう。
それに対し、娘は優しくフォローしてくれるのです。
「パパを責めるんじゃないからね。だから日曜は、昔の友だちと会う感じで」。
いやいや参った。何だか、私が長年かけてたどり着いた境地に、娘は既に居るような、そんな感じさえしました。

一日千秋とはよくぞ言ったもの。ついに再会の日はやって来ます。

その日の東京は、あいにく朝から雨です。冷たい冬の雨が、一日中そぼ降る日となりました。
せっかくの再会の日、この雨はちょっと残念だななどと恨めしく思いつつ、再会の時間を待ちます。

ただ私は後に、この日の「冷たい雨」の意味を思い知らされることになります。


再会の時

その日の私は、展開が急であったこともあり、どうしても仕事は外せず、娘との再会は夜となりました。
まあ、娘としては春休みの旅行でもあり、早朝に夜行バスで着いた後は、友人と観光しながら過ごしたようです。

19:00頃、私はようやく仕事を切り上げて、娘のもとへと向かいます。
天候も悪いし、どこかで落ち合うのはやめにして、娘が滞在する宿へ迎えに行くことにしました。

その道中、やはり様々なことを考えてしまいます。そこはかとない不安や緊張もある。
せっかくだから美味しいものは食べよう、あそこへ行って、ここへ行って、なるべく楽しい時間にしよう。
話す内容も色々とシミュレーションして、シナリオみたいなものも想定し、です。

やがて、娘の滞在する宿へ到着。1階ラウンジがガラス貼りのPUBのようになった、小洒落た宿。
到着したことを娘に伝え、待つことしばし。お互いが分かるだろかなんてのは杞憂でした。

迷わず外へと進み出た我が子は、黙って私に抱き着き、泣いていました。
私もそれに応え、二人抱き合って涙していました。


ガラス貼りのラウンジの中で、多くの人が見守るような笑みを投げかけている、そんなドラマの一幕のような時間でした。

少しして、娘は言います。
「ちょっと疲れちゃったんだ。今日はここで過ごしていいかな?」
色々と策を練って来た私としては、少々拍子抜け、寂しさもありましたが、笑顔で、「いいよ」と応えます。

幸いお酒も飲めるし、ビールが好きだと言う娘と共に、このラウンジで過ごすこととしました。

そしてです。
少しお酒が進み、取り留めの無い会話もいくつか重ねるうちに、私はあることに気が付きます。

とても大切なことに。


「この子は苦しんでいる」

言葉にはならなくとも、私は我が子の苦悩や痛みを感じ始めていました。

そこから私は、私の身に起きた辛い経験を、慎重に言葉を選びながら伝え始めました。
これまで散々避け続けて来た、辛い過去と向き合ったのです。

娘からも、そんなに過去ではない、辛く苦しい経験を聞き続けました。

若者や外国人観光客で溢れる、賑やかなラウンジの中、私たち親子だけが異質であったと思います。
それも構わず、私たち親子は涙を流しながら、悲痛な思い出を語っています。

あの僅かな時間で、私は変わっていたのです。娘に分かってもらいたい、言い訳をしたい、償いたい。
そんな目論見はどこかに霧散し、ただただ娘の苦悩を共に感じたい、軽くしてあげたい、そんな思いに変わってたのです。

LINEでのやり取りでは、務めて明るく軽やかに振る舞っていた彼女ですが、それだけのはずがあろうはずもなく、私は我が子の苦悩に胸が張り裂ける思いでした。
思えば、父親であった自身を取り戻した瞬間であり、或いは初めて「人の親」になれた瞬間でもあります。

「幸せ」と「辛い」は、正に紙一重の文字ですが、少なくとも私にとって、この辛い辛い一時は、幸せと一体のものであったと思います。

その後、少し元気を取り戻した娘と、たった1時間ですがカラオケボックスで過ごします。母親の話題などをネタに、少し明るい空気で再会の一日を終えます。

辛い、辛い話が大半となった時間ではあったけれど、それでも幸せな幸せな時間には違いありません。 

思い起こすだけで胸が温かくなり、満たされる感覚。これこそが「絶対幸福」なのだと思います。


冷たい雨が気付かせてくれた

これは後で気付いた、後付けの理由にはなりますが、もしもこの再会の日が暖かな晴天だったなら、私は我が子の「心の中の雨」に気付くことができなかったかも知れません。

まして、娘のために何かしたい、良い父親とは、頼れる父親とは、格好良い父親とは、そんなことばかり考えていた私です。
そんな思いに囚われ、全て全て失ったはずなのに、私はまた同じ過ちを犯すところだったのです。

晴れて娘と再会するには、経済的にも成功し、人に誇れる肩書きを持たなくては、とても格好がつかない。
私を縛っていたのはそんな観念です。おそらくは、悪しきものを引き寄せたものの正体でもあります。

そんな私に、その日の冷たい雨は、こんなにも素敵な問い掛けを私にくれました。

「あなたは、その子に何か取り繕いたいのか」

「あなたはただ、その子と共に居る時間が欲しいのか」
 
もちろん後者です。


引き寄せはあったのか

ここまで述べた再会譚に、果たして引き寄せの法則は関与しているか、となれば「関与した」と信じています。

ただ、「引き寄せ」を意識し始めたこの1年、YouTubeなどで見聞きした様々なメソッドなどは、どうやら直接は影響していません。

それ以前(2年前)に、ふと実践した「ある取り組み」が強く作用していた事に、後になって気付きます。
その取り組みは実にシンプルなものなので、機会を改めてご紹介できればと思います。

さて、ここまでお読み頂いたならばお気付きかと。

古い友人と再会し、最も強く願った娘との再会を果たしたこの1ヶ月余り、私自身、直接は何もしていません

ただ、大切なことに気付いた4ヶ月ほど前から、ただひたすらにここで言う「引き寄せない法則」をやり続けました。
余分な不安、余分なこだわり、余分な怒り、余分な劣等感や優越感、それらをなるべく手放し、距離を保つ。
引き寄せの文脈で言うなら、「ブロックを外す」ことに特化した感じです。

悟りが開けた訳ではなく、それらは何度も繰り返しやって来ます。
その度に根気強く、丁寧に距離を取り続けました。
そうすることで、「今、ここに在る」という感覚を少しずつ掴んで来た気がするのです。

そうでなかったら私は、友や娘が差し伸べてくれた手を、捕まえることができなかった。
そんな気がします。


このお話の最後に、娘が何故私との再会を思い立ってくれたのか、その理由をお伝えします。

娘との対話の中、私がこんなことを言いました。
「何度も何度も夢を見たよ。小さいあなたが出てくる夢」

すると、娘が応えます。

「申し訳ないけど、わたしはパパの夢はあんまり見なかった」
「でもね、ついこないだパパの夢をみたんだ。パパが死んじゃう夢だった。だからパパと会わなくちゃと思ったの」

・・・・・!
そう来たか、です。

思えば、私は娘と再会するという願望を、2年前に心の中へしっかりと折り込んだ後、「いつ、どうやって」という手段についてはほぼ手放していました。

言わば「潜在意識に丸投げ」というやつです。

するとどうやら、潜在意識というものは、このような「仕事」をしてくれる。


そんなお話でした。






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