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【コラム】仕事はなぜ楽にならないのだろう

私は昭和生まれ、昭和育ち。
社会人デビューは平成です。

時代としては「バブル期からバブル崩壊」の過渡期ということで、年齢はお察し下さいまし。

話題は、仕事にまつわる便利な道具、機械等々と私たち、ということになります。

私個人にとって、最初の「産業革命」は、たぶんコピー機かと。
まあ、コピー機自体は、高校生ぐらいの時に「便利なもの」として身近に出回り始めていたと思います。

当時吹奏楽命だった私は、ちょくちょく楽譜のコピー(紙として)というのをやってました。
著作権上云々というのは昔話としてご勘弁を。
不思議なのは、それを学校の職員室に鎮座していたであろうコピー機ではなく、街場の文具店や眼鏡店みたいなところで、お金を払ってやってたということ。

便利なもの故に、「それを用いる者には一定の責任が伴う」という、中世錬金術師的価値観があったかは定かではありません。
例えるなら、テレビ初期の「街頭テレビ」に近いノリはあったやに思います。
それくらい、コピー機が「三種の神器」的価値のある時代だった訳です。

事実、就職した頃はコピー機どころか「青焼き機」がまだ現役。アンモニア液で図面を焼くやつ(知ってるかなー)です。
「ガリ版」もまだ現役でした。

ワープロ(ワードプロセッサ)はありました。「書院」「文豪」のメジャーどころがです。
こうなるともう、歴史上の偉人みたいな響きです。

ただ、一人1台なんてことは無く、職場に数台のレベル。でも有り難かった。よそ行きの文書はこれにご登場願う訳です。
ただし、ワープロからの打ち出しは感熱紙、言わばレシートです。そのままではよそ様には出せないので、仕事としてはコピー機という「神器」は必須だったりします。

初期のワープロ、便利は便利ですが、当時のオモシロ変換は記憶に残ってます。
例えば「あけましておめでとう」。これを一発変換とりゃーってやると、

「あ毛増しておめで至」

殺意を覚えるレスポンスwww

パソコンはまだ無くとも、オフコン(オフィスコンピューター)はありました。業務専用というやつです。
それすらも、今のIT技術から見たら、操作が面倒な分、電卓以下のレベルかも知れません。
それでも「凄いなー」と思いながら、巨大なフロッピーをがっちょんとやってました。

やがて出ましたWindows。
WindowsのPCプラス複合機型コピー機。これはまさしく産業革命です。
少なくとも、様々な事務的作業は飛躍的に効率化し、便利になり、生産性は向上しました。
ガリ版や算盤からしたら、飛躍的に仕事は効率化し、私たち労働者は不合理な長時間労働から解放され、みんな幸せに


なってない👻


何なんでしょう。

こうして、仕事も生活周りの道具も便利になり、言ってみれば生産性は飛躍的に向上しているはずなのに、何故か楽にはならない訳です。


いつからか、道具や機材やシステムが便利になればなるほど、むしろ人の「労働の価値」は下がる一方で、逆に過剰な適応力を要求されるハメになった。

そんな感じがして仕方ないのです。

皆さんはどう思いますか。

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