見出し画像

LOST 前向きに生きるための遺影撮影

遺影の記憶

あざやかに生きた彼女

私に、終わりに向かう姿を魅せてくれて、
「死」を忌むべきものではなく、
迎え入れ、いつか辿り着くものだと教えてくれた、
あざやかに生きた女性がいる。
 
休日の午後、広尾のカフェで会った彼女。
昨日見た映画の感想でも話すように、
なんでもない様子で、
どうも自分は永くないみたいだ。と云う。
その、あまりにいつも通りの彼女は、
まだ実感がなかったのか、もう考えぬいたのか、
わからない。
でも、今でも思い出すのは、
彼女が微笑んで、あまりに他人事のように話すから、
下手な慰めを言わなくてもいいと、
私を落ちつかせてしまう程の、
穏やかな声のトーン。

「今のうちに、写真撮っておこうと思うんだよね。」
私には驚きでしかなかったけど、なぜか「いいね」
と応えさせる静かな迫力があった。
そして翌週には、本当に、知り合いのカメラマンに
撮影をしてもらったという。

「遺影撮影」から始めた、彼女の終わりへの旅。
 
それから2回。
盛大な彼女のお誕生日パーティを一緒に祝った。
病と闘わない選択をした彼女とは、
ドクターの許可を得てお酒だって飲みに行った。

彼女は、沢山の友達に会いに遠くまで旅をして、
恋までした。いや、正しくは、恋までされた。
その話を、笑って、驚いて、飲みながら聞いた。
 
「私、こんなに幸せでいいのかなって思うんだ。」

六本木。午後の日差しの中で微笑んだ彼女の、
だいぶ痩せはしたけど、美しい笑顔。
私の記憶という記憶の中で、一番美しい横顔。
私は、彼女が羨ましいと、不遜だけど、思った。

LOST. でも、永遠になるもの

遺影の準備から始めて、2年。
持ち物を手放し、会いたい人に会い、
すべてを削ぎ落して。
清々しく、凛々しく、彼女は思い出になった。
 
本当は、そんなきれいごとではなく、
そう見える影で、一体どれだけの
葛藤や慟哭があっただろうと思う。
でも、彼女は決してそれを見せなかった。
だから「遺影」も、凛々しく、楽しく、笑っていた。
とても彼女らしかった。
みんながその写真に見とれた。
 
「遺影」の撮影をひとつの起点に、
そこからの人生をあざやかに生きた彼女。
その決意ある笑顔の写真を自分でも見返すことで、
勁くいられたのかもしれないと思う。
 
「遺影」は終わりではなく、
新しい人生の起点になればいい。
だから、「遺影」から、
私も、新しい物語を始めたいと思う。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?