長崎グラバー園
日本の幕末史に大きく関わる
トーマス.ブレイク.グラバー
スコットランド出身
21歳で来日し、グラバー商会を設立
小菅修船場、高島炭鉱の開設に携わります
日本人の英国留学を援助し、薩摩藩の五代友厚ら19名の留学を果たしました。
1863年に建築された、日本最古の木造洋風建築
日本瓦と漆喰壁ながら、広い石畳のベランダやアーチ型の欄間などでデザインは洋風になっています
壁際に、三連菱の紋章のパーテーションと長州ファイブの写真が飾られています
グラバー園の敷地内には、三菱ドックハウス、フレデリック・リンガー旧宅、旧ウォーカー宅、旧オルト宅もありました。
1861年、ジャーディンマセソン商会長崎代理店として、グラバー商会は「日本茶」の貿易を始める
1863年、グラバーは当初「筑後茶」「和紙」を米国へ輸出した
同時に、三菱商会の岩崎弥太郎と手を組み、缶詰の輸出も始める
(八女に約250軒の工場があった)
さらに、日本で最も早く商業鉄道の導入をし、西洋式ドックを建設
長崎を造船の町として近代化に貢献している
明治維新後も日本に留まり、造船、採炭、
製茶の貿易を続けたとされる
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