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私は人生の総集編の序盤に来ている気がする。

   #鬱気味観察日記


1983年12月1日リリース

   この歌を知るのはリリースされてから数年経ってからだ。
   最近不調を繰り返して、私の生きた半世紀の人生の総まとめを始めているのではないかと思うようになった。
   それは、かつての自分が随所あちこち所々に撒き散らした汚物を回収していると共に、その汚物を肩代わりさせてしまった人達への謝罪と恩をも感じるような作業に入っている(そうは言っても全てを思い出せている訳では無いのだが)。
   人に当り散らし傷付け搾取し搾取され甘い蜜を貰えば奪われ、時に赫灼から目を覆うような日々を(たぶん私だけではないように)生きてきた。
   真っ当で綺麗な優美の記憶にすり替えることは出来ない。目を背けていたこれまでの数々が今、私の心の底から受容せよと何層にも包み込んだ最後の薄皮をガシガシと破ろうとしている。
   私が逃げてきたたくさんのことは私が生きているうちにその道へ解放させる事が出来るだろうか、否。
   私が傷付けた人はどこにいるのかも不明だし、私を傷付けた人を闇雲に探す必要もない。ただ晩年にかかり、これが壮大な遺書なのでは無いかとすら思っているほどハッとさせられる数日だった。
   ただ終活をする断捨離だけではない。半世紀分の喜びも苦しさも私の中に取り込み1本化し愛でていく。
   そうすると、人生はそんなものよね、って期待もせずに求めもせずにやってくるものをあるがままに心を透過し風通しを良くする事に残りを過ごしたい思いに駆られる。
   
   感受性の強い今、そうでありたい私が私の未来に期待している。
叶えるも反故にするのも私しかいないのだけれども。幸せな晩年、待ってやがれってんだ!笑

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#傷つけた人々へ
#備忘録
#過呼吸 治したい

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