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母の日。(長女version)

   #鬱気味観察日記

   長女が、長い長い反抗期(成人して尚続いた原因のほとんどは私だったと今なら理解出来る)のさなかに、この曲を紹介してくれた。
すぐに聴いて!!」と急かすので、YouTubeで聴いた記憶がある。それはもう10年くらい前ではなかろうか。

    リリースは2006年、当時の我が家はしっちゃかめっちゃかだった。長女中学1年生、次女小学4年生、末の長男は保育園児だった。
   そして、子どもたちの学年が上がる前に1人死産している。そこから、私は泣いてばかりの数ヶ月を送り当時その子の父親である恋人は仕事を辞め私に寄り添いそばに居てくれた。
   しかしながら、私の子どもたちのケアはあまりにも不十分であった。3人の子どもたちにどんな想いをさせてきたのか、話す機会があるので聞いてみると、それぞれ自分を責めていたことが分かった。
    子どもたちにはなんの罪もなく、むしろ泣いてばかりで自己犠牲の塊だと己を憐れみ世界一不幸だと思い込んでいるキッショイ母親である私に、どんな言葉も届かない無念さを子どもたちは早々に体感するわけで、過去は戻らぬにしても、布団から私を引っ張りだし、

お前だけが辛いわけじゃない!我が子を見ろよ!!テメーの悔やみなんざ、1人で抱えてろってんだ!
   

   と、言ってやりたい。
  


   長女なりに、このアンマーの歌詞に自分を投影したのだろう。
   かつて母の日に、まだ反抗期覚め止まぬ長女から造花で出来た可愛いプードルが2匹並んだ花束を貰った。嬉しかったのに、素直になれない自分がいた。嬉しいのに、彼女はよく泣いて怒ってリスカしてオーバードーズして救急病院に行くことが多々あった。嬉しかったのに、その大変さが私の心では上回っていた。
   そして次第に長女は苦労して働いている間に私を超えるほどの許しを知ったのだと思う。

母親(私)を許す。

   私は、生きている間にそこまで想ってくれたことでもう一生分の幸福を2度(1度目は誕生してくれたこと)にわたって貰えて十分だと思った。ズルいでしょ。今でも親をよく思わない人はたくさんいる。
私は私を殺したいほど憎んだ娘が、旦那さん達との生活の中で逞しく生きている事を知るだけで、涙が出るほど有難い。
ズルいでしょ、他人さまが娘を大切にしてくれている事が、私が出来なかった多くの事が、娘に苦楽もあれど、居場所を作ってそこで彼女らしく生きている事が、こんなにもこんなにも、嬉しいんだ。

それが母の日のプレゼント、最高だよ。

いつぞやの誕生日で貰ったお花さん

果報者なんだよね、私は。
忘れないように。
心の根幹の1部に。

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