『物語が始まりそうなゴミ』
20231217
寒い夜、家に帰ろうと最寄り駅の駐輪場で自転車を出そうとしたら、かごにペットボトルが入っていた。
飲料水の空のペットボトルが、かごに入っていた。
まず、自分のものではないことを確認し、それがゴミであることを認識した。
駐輪場にはいくつもの自転車が並んでいるのに、なぜ自分の自転車のかごが選ばれたのだろう。なぜ、自販機の隣のゴミ箱もあるのに、ここに捨てたのだろう。そもそも、どんな人が僕のかごにペットボトルを捨てたのだろう。
僕は、ペットボトルを自転車のかごに捨てた人を懲らしめたいのではない。
突如自分の自転車のかごにペットボトルが捨てられていたことに気付いたとき、僕は何か物語が始まりそうだなと思ってしまった。急に物語の主人公感を勝手に抱いてしまった自分の恥ずかしさ、これを引き起こした要因となる人が、一体どんな人物かを知りたいのだ。
僕は、かごにペットボトルが捨てられていることを確認したとき、もし映画の冒頭のシーンが僕の視線のこの映像から始まったら、どんな映画になるのだろうと考えてしまった。
自分の自転車のかごにペットボトルが捨てられていたことに主人公はむかつくかもしれない。周囲の目も気にせず、そのペットボトルをほかの自転車のかごに投げつけるかもしれない。そして、その音が静かな駅前に響き渡る。主人公は怒りにまかせて、他の自転車も蹴り飛ばす。そんな主人公が、なぜここまで追い込まれてしまったのかが解き明かされていく映画はどうだろう。
映画にするほどでもないと言われて、却下されるかもしれない。
もし、ミュージックビデオの冒頭のシーンがこんな映像だったら、どのタイミングで曲が流れだすのだろう。
多分、ペットボトルに気付いて、少し間があった後、電車が通過するあのガタンゴトンという音が主人公の耳に響き渡る。そして、ペットボトルを近くの自販機の横のゴミ箱に乱雑に突っ込んで、それから自転車を取り出す。自転車に乗りながら曲を聴こうとイヤホンを耳に装着した時、曲が流れだす。
ただ、イヤホンをして自転車を漕ぐという行為は良くないという理由で、却下されるかもしれない。
もし、小説の冒頭の一文が、「自転車のかごにペットボトルが捨てられていた」から始まる物語はどんな物語になるだろう。
寒い冬の夜の出来事であることや、仕事の帰りであること、いつも同じ駐輪場の同じ番号の場所に自転車を止めているのに、なぜかその日だけペットボトルがかごに入っていることが描写される。
その主人公は、なぜかそのペットボトルがゴミとは思えず、とても大切にそれを保管し続け、お守りのように扱い、常に携帯するようになる。いつしか、そのペットボトルが傷ついたことを理由に仕事を休んだり、ペットボトルと出会った日を記念日と位置づけてお祝いしたりする。
なぜ、そこまでそのペットボトルに執着するのか、その理由は明かされない方がいいだろう。
気持ち悪いし、面白くないという理由で、却下されるかもしれない。
そんなことを考えながら、普通に自転車を漕いで、普通にラベルをはがして、普通にペットボトルを捨てました。
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