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【観劇レポ】2023.8.12公演『兎、波を走る』

0.公演概要

・期間・場所:2023年8月3日(木)~13日(日)・大阪新歌舞伎座
・作:野田秀樹
・出演:高橋一生、松たか子、多部未華子、他

1.そうだ、観劇に行こう

8/12の夜公演へいってきました。

公演があることについては前から知っていましたが、そのときは観に行こうとまでは思わず。

しかし、8/9に知り合いが見てきておもしろかった!というのを聞き、また、高橋一生さんをこの目でみるチャンス!と思うと、がぜん行きたくなってしまうミーハー魂が抑えきれませんでした笑

チケットは売り切れと聞きましたが、ものは試しで調べてみると1枚だけリセールされている!
予定外の出費となりましたが、これはもう行くしかない!と速攻で購入してしまいました。

2.感想

実際の公演を観終わって、最も印象に残っているのは軽快で難解な言葉遊びとくるくると表情の変わる舞台装置
これらの生み出す世界観に、これまでの自分の価値観がぐるぐると振り回されたような感覚がありました。

言葉遊びといえば、似ている言葉を重ねたり、同じ言葉を違う意味で使ったりすること。

たとえば、劇中で「親なんているもんか!」と子どもたちが叫ぶ場面がありました。
それに対して、今度は大人たちが「子どもなんているもんか!」と叫び返す。お互いが、お互いを「必要ない!」と言い合って喧嘩する場面です。

ところが、物語の中盤過ぎにもう一度「親なんているもんか!」というセリフがでてきたとき。今度は「親なんて存在が自分にはいたことがない」という悲痛な叫びに聞こえました。

劇では、観客は基本的にセリフを読むことはできず、役者の発するニュアンスで意味を聞き取ることしかできません。
同じセリフでも、同じように表現されるのではないと感じました。

また、舞台装置もおもしろかった。
ネタばれになるので詳しくは言えませんが、すごくシンプルなのに、否が応でもそこに目が行く仕組みになっていました。
人間、動くものってつい目で追ってしまいますよね。これがヒントです笑

劇は舞台の上がメインの空間です。その空間の大きさは、舞台装置で変幻自在に変わる。何かに見立てたり、物語のテーマを込めたりできるという点で、舞台も役者だと感じます。

3.観劇は、本とも映画とも違う体験装置

個人的に観劇では開演前に席に座っている時間が一番わくわく、というかソワソワします。

舞台の幕が上がれば、そこには非日常体験が待っているのですが、今はまだ始まっていない。薄暗い空間でざわめきに包まれながら、逃げ出したいという感覚になるときもあります。
公演が始まってしまうと、嫌でもそこで繰り広げられる非日常体験に引きずり込まれてしまうのがわかっていて、座席に座っているのがたまらなくなってくるのです。

逢魔が時、と呼ばれる時間帯がありますが、もしかしたらその感覚が近いかもしれません。

そして『兎、波を走る』の舞台は、まさに逢魔が時に彷徨っているような感覚でした。

妄想と現実の間。
希望と絶望の間。
すべてがあいまいでばらばら。
開演前のそわそわする空気感、それがずっと続いている感じ。

「これは不条理劇なのか?」と、劇中のセリフがありました。
ただ、そもそも、「条理」はその人の中にしかない正解みたいなもの。
そこから外れたらいつでも何でも不条理と判断してしまう心が一番不条理なのかもしれません。

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