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それでも私が生きる意味

ウバといいます。
はじめましての人もそうでもない人も、よろしくお願いします。

自分語りです。
死について書いています。生について書いています。


なにか行動する時、なんなりと理由があったりします。お金を稼ぐ為に働いたり、子孫を残すために性行為をしたり。学ぶために学校に通ったり、笑いあうために友を作ったり。

行動する為に理由があるとするなら、私はいったい何のために生きるのだろうか?
と、考えるきっかけがありました。
36歳の時、脊髄内に腫瘍が出来る病気に罹りました。それは少しだけ珍しい病気のようでした。すごく迷惑な話です。まぁ好き好んで病気になる人はいないとは思いますが、私も好き好んで病気になりたい人ではなかったのです。

腫瘍と聞いて、私は”死”を意識しました。そりゃ怖いです。腫瘍って聞いて良いイメージはないです。まだまだ死ぬには早くない?と思いました。まだまだ子供達とも嫁さんとも一緒に居たいけどなぁと。
今までの人生で、自分の死を棚に上げていたとは言いませんが、死ぬことはどこか他人事のように感じていました。突然目の前に現れた死の可能性は、本当に怖かったと覚えています。

手術によって腫瘍が取り除かれ、私は何とか生きる事を許されました。一つ目の”死”に打ち勝った瞬間です。
まだまだ生きられる。嫁さんや子供達と、まだまだ一緒に居られる。生きることが出来る。

ところが。
手術後しばらくして、もう一つの”死”が私の目の前に現れました。
死にたくなったのです。正確に言えば生きたくなくなったのです。生きるのが嫌になったのです。

それは後遺症との戦いでした。
戦いたくない戦いが始まりです。
神経が傷ついた為、下半身は思うように動かせなくなりました。痛みは感じることが出来るが感覚が鈍い。目を閉じると自分の足を見失う。歩くと意識しながら出ないと歩けないのです。
それ以外にも、腹部から背部にかけて強烈な痛みを伴った痺れがあります。お笑い芸人さん達が罰ゲームで受けている低周波治療器を24時間ずっと当てられいるような感じです。かゆみに似た痺れが全身にあったりもします。

嫌になりました。疲れました。もう、本当に逃げたくなりました。
生きたくなくなっていたのでした。
気付けばネクタイを首に巻き付けていました。後は高い所とかドアノブに吊れば終わり。楽になれる。

ところがどうでしょう。順番が逆な気がしました。高い所とかに準備してから首に巻くくない?と。そう考えたら笑えてきて、吊るのをやめてました。
やめた後に来たのは、強烈な恐怖でした。がっつり震えたのを覚えています。涙も出てたと思います。
生きる事から逃げようとした私は、死ぬことからも逃げました。

こうして私は、今も生きています。
行動するのは理由がある。なら、私が生きる理由はなんなのでしょうか。
最初に浮かんだのは「家族と一緒に居たいから」でした。まだまだ一緒に居たいのは事実ですし、生きる理由としては申し分ないでしょう。

ところが、他人を生きる理由にするのは少し違う気がしました。そりゃなかなかのプレッシャーではないのかと。「お前が居ないと生きれない」は、その人に2人分の命を背負わせることと同じ気がしまして。
自分の生きる意味は、自分だけのものでなければダメな気がしました。

なら。
ここまでダラダラ長ったらしく書いてきて、結局お前の生きる意味はなんやねん。と。
実は、まだ答えを出せないでいます。
「まだ答えはない」
一番つまらない答えです。
勝手に家族に寄り添いながら、たまに死にたくなりながら。後遺症に苦しみながら、逃げたくなりながら。それでも生きるを選択した理由を探しながら生きていくのでしょう。

生きる理由なんてなくていい。なんてこともない気がします。きっと理由はあって、まだそれに気付けてないだけのような気がしています。皆さんの生きる意味はなんですか?答えを持っている人は素敵です。

ここまで読んでいただきありがとうございました。
最初から最後まで自分語りでした。

それでは、佐世保の隅っこからウバでした。

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