努力しないで人生謳歌
ウバといいます。
はじめての人もそうでもない人も、よろしくお願いします。
努力して得るものなんて、たかが知れてる。
こりゃ努力することから逃げたオッサンの戯言ですが、確かにそうかもなとも思ったりしてます。
努力って言葉は確かに耳心地が良いですね。俗に言う成功者と言われる人たちは、それはそれは努力したんだろうなあと想像に難くありません。
が、本人たちはそれを努力と思ってはいないなんてことをよく聞きます。他人から見て努力してると見える部分も、本人は楽しんでる。努力してるとは考えてないのでしょう。
努力とは他人からの評価の一つに過ぎないのかもしれません。
私自身、今までの人生で努力した経験があまりありません。それはそれで駄目な気もしますが。努力といえば中学時代の部活(野球部)と高校受験の勉強くらいでしょう。
今の私は野球のルールもよく知りませんし、ボールすらまともに投げれません。必死に努力して入った工業高校は、今のところ人生で役には立っていません。介護士してますし。
嫁さんと出会ってからは必死でした。少しでもカッコよく見られるように美容室に通ったり、洋服にお金をかけたり。モテる男のテクニックみたいな本読んでみたり。どうしたら私に夢中になってくれるか試行錯誤の日々でした。
その姿を、他人が見たら努力なのでしょう。ところが私は全く努力とは思ってません。ただ、そんな日々を楽しんでただけです。
部活や受験勉強と嫁さん口説き。これらはなにが違うのか。
つまりは対象に対する愛情の違いだと思うのです。野球をしてる時から特に野球は好きではなかったですし、行きたい高校でもなかった。スポーツも学業も好きではなかった。目的に愛がない。だから頑張って努力する必要があったのです。
努力の先にあるゴールに愛情が持てれば、その努力は努力にあらず。楽しいだけの行為になる。そう思います。なりたい自分や手に入れたい何かがあるなら、そこを目指す日々は努力ではなく楽しい日々です。
努力して得るものなんてたかが知れている。
とまでは言いませんが、努力していると思った時点でその行為に愛がないのかもと考えるべきなのかなと思います。努力より楽しむ道を選ぶべきです。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
努力って少し我慢の影が見え隠れしてますよね。
それでは、佐世保の隅っこからウバでした。
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