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弓子物語⑨夫の死から終章


夫の真一は、82歳から大腸がんに侵されていた。
真一は高度医療を拒んでいたため、放射線療法と鎮痛剤投与でしのいでいた。
老人の癌は進行が遅いものであるが、真一の場合は意外と進行が速く、直腸まで転移していた。

弓子は、書道塾から身を引いて、必死に夫の看病に当たっていた。

その介護も虚しく、2058年、夫の真一死去。
行年84歳。弓子は79歳であった。
真一も鎌倉の共同墓園に納められた。


たった一人で豪邸に残された弓子は、自宅を手放し、東京都あきる野市にある老人ホームに入居する決心をした。
老人ホームに入居すれば、寂しさも紛れると考えたからである。

その老人ホームは、入居一時金二千万円を支払えば、後の入居費用は月額十万円程度しか掛からない。
これは、真弓の国民年金と夫の遺族年金で、軽くクリアできる。

弓子には、1,500万円の
遺産相続による貯蓄があり、
豪邸を売却すれば、土地代だけで軽く3,000万円を上回る。
入居一時金を支払っても手元に2500万円残ることになる。

早速、ホームに入居申請をして、不動産を処分した
2059年、弓子は80歳で老人ホームに入居した。

老人ホームにはホーム特有の個人間のトラブルが付きものである。
しかし、個人間トラブルは強い者の勝ちで、弓子には艱難辛苦を乗り越えてきた強い精神力を持ち合わせていた。
弓子の勝ちであり、またホームでは80歳は最強の年代でもあった。

看護師さんもとても丁寧なかたがたで、弓子は快適なホーム生活を送る事ができた。

楽しみは、やはり時折訪ねてくれる子どもや孫の顔を見ることであるが、あきる野市は遠く、訪れてくれる日も限られていた。


その後の弓子は95歳までホームに入居し続け、脳梗塞であっけなく死亡。

遺産は二人の子どもたちが相続した。

遺品の貴重品箱の中には、
大人のおもちゃもあったらしい。

弓子は真弓たちが眠る同じ鎌倉の共同墓地に納められた。

すでに大家族時代は終了し、
核家族の時代となっていた。
そして、墓を継ぐ後継者もいなくなり、真弓の為に建てた鎌倉の共同墓地は弓子の時代で幕を閉じ、無縁仏となったのである。


自宅での独居老人の孤独死だけは免れたので、弓子は幸せな一生であったかも知れないが、それはあくまでも想像にしか過ぎない。




      弓子物語 完

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