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そこはミラクル貸農園 その1 沼にはまる

第1話 沼にはまる

「悪いねえ、、、もう空きがないんですよ。
 というか、何かあったんですか? 
 親が亡くなって相続したばっかりなので、なにもわかっていなのだけど。
 このところ、貸してくれないか、って連絡が沢山きて、びっくりしているんだよ」

 なるほど、考えることは皆、同じってやつである。収束の見えないコロナ禍で、”週末にやりたいことリスト”もとっくに底をつき、どうしたもんかと思っていた時、「そうだ!畑をやろう」と頭に電球が灯ったのだ。すべての動きが止まったような空気の中で、食べる物を自らの手で育むことで、生きることの実感を取り戻せそうな気がしたからだと思う。
 ところが、町中のいろいろなところでも光が灯ったようで、近場の貸農園はどこも空きがないという。車で40-50分かかる山間の農地は空いているものの、すぐに通うのが面倒になり、無残に荒れはてた畑の姿が目に浮かぶ。
 そんなこんなで、GoogleMapで「貸農園」と検索し、それを眺める癖がつきはじめたとある日。なんと、車で10分のところに新しい貸農園のマークがついているではないか!
というわけで、いよいよ農園生活をスタートすることになったのである。

 山のふもとの旧街道沿いに広がる水田と古民家の集落の中に、「貸農園オープン」という黄色い旗がはためいていた。上と下を水田で挟まれた畑は、6メートルx3メートルに杭で区切られ、20区画以上あるものの、まだ何も植わっていない。2月の冷たい風に、背筋がきりっとし、いまから始まる、新しい挑戦への覚悟がより一層高まる。
「どの区画にしますか? どれを選んでもいいですよ」
と管理人がいうので、とりあえず、農具置き場に一番近い場所を指さした。「ここは、みんなが見るから、頑張らないといけないですね!」と管理人。「はい!」と優等生のように答える私。
ところが、この安直な選択が、後にとんだ後悔を生むことになるのである。

 畑で野菜を育てるときには、植え付けの前の土づくりから始まる。まず掘り起こして、牛糞たい肥を混ぜて、土壌の微生物を増やす。2週間したら、今度は石灰や鶏ふん、油かすなどの肥料を入れて、よく漉き込む。それから1-2週間おいて、畝を起こし、野菜を植えるのである。すると、微生物の働きで、土壌の栄養分を増やすことができ、野菜がよく育つというわけである。この作業は、味噌汁を作る手順となんだかとても似ている。まず、水に昆布をいれてゆっくりあたため、次に鰹節をいれて沸騰させる。最後に、味噌を溶かして完成。出汁が日本料理の味の決め手のように、野菜作りは土壌づくりが肝心なのである。

 といわけで、初日は、管理人が耕運機で硬い土を掘り起こしてくれた。そこに牛糞たい肥を混ぜて、次の週末に畝づくりをすることとなったのである。その日は晴れて、上着を脱いで作業するほどだったけれども、次の日からは、雨が降ったり曇ったりが続いていた。そして、土曜日も小雨がふったりやんだりのあいにくの天気。でも、畑をまだみていない夫は、朝早くからそわそわしているので、とりあえず、長靴と手袋を近所のホームセンターで買い、鍬を抱え、いざ畑へ出陣となったのである。

 ズボボ、ズボボボッ、2歩目で完全に動きが止まる。30㎝もある長靴は、ほとんどヘリまで土の中に埋まっている。抜け出そうにも、まったく長靴が動かない。夫の方をみると、向こうも上半身だけバタバタさせてもがいている。なんということでしょう。掘り起こした土は、水をたっぷり含んで、深さ30㎝の泥の沼と化しているのです。鍬を土に入れると、ものすごい重さで、まったく引き上げられない。これじゃあ、まったく作業にならない。
 その日が初日で張りきっていた夫はがっくりしていたけれども、農作業はお天気次第というものだから、こればかりは仕方ない。「雨のあとは作業しちゃいけないってことだね」、「明日は晴れるといいね」と泥をこそぎ落としながら、その日はすごすごと退散した。
 しかし、この泥との戦いが、これからますます激しさを増して続くとは、その時は予想だにしていなかったのである。


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