64.植物の世話、世話をすること

 3週間程前に植物を購入した。大きめの観葉植物で、高さは自分の背丈ほどある。幹の部分が曲がっていて、葉が大きく沢山ついていて、堂々とした雰囲気の植物だった。

 だった、というのは、植物を配達してもらって1週間ほどで、沢山付いていた葉が1枚を残して全て落ちてしまったからだ。環境の変化か、水やりの頻度を間違えたか、部屋が暑すぎたり寒すぎたりしたのか。それともその全部か。

 ある朝突然葉がバサバサと床に落ちていて、落ちた葉は拾っても拾っても拾い切れず、腕一杯に抱えた葉を3度ゴミ箱に運ばなければいけない程だった。

 慌てて水をやり、温度変化の少ない部屋に移したものの、かろうじて残っていた葉も段々落ちていき、とうとう1枚を残して全て落ちてしまった。

 お店で色々と見せてもらって慎重に選び、配達される事を楽しみにしていたものだから、ショックも相当なものでうっかり泣きそうになった。

 それから毎日葉や幹に水を吹きかけ、土が乾いていないか様子を見ながら水やりをしていると、幹に残った新芽の部分から少しずつ葉が芽吹き始めた。

 よしよしまだ死んでいないぞ、良かった良かったと思っていたら、なんだか思いもよらないスピードで葉が成長し始めた。

 昨日はまだ新芽だった部分が今日は葉になっている。朝見た葉がよりも夕方に見ると少し大きくなっている。

 葉をほとんど全て落とした反動だろうか。日々ものすごい勢いで成長していく姿が頼もしいやら恐ろしいやらで、気がつくとついつい姿を見に行ってしまっている。

 毎日葉に水をかけたり、様子に気を配っていると、当然愛着が湧いてくる。枯れてしまうかと思うほどダメージを受けた姿から一転、生き生きしている今の姿が可愛くて仕方がない。

 不思議なもので大事な物が出来ると、それが失われたり傷つけられたりした時にどう対処しようかという妄想をしてしまう。悲しみや怒りをシミュレーションして、もしそうなったらどうしようという心の準備をしてしまう。

 ちなみに植物の幹がある日切られていたらどうしようかという妄想をしてしまうのだけれど、しばらく泣いたのちに警察に通報しようという結論に至った。法の手で裁かれてくれ。

 何が言いたいかというと、世話をする事はつまり愛情を注ぐ事であり、愛情を注ぐ事は幸せな事だねという事である。バカな子ほど可愛いとはよく言ったもので、無理のない範囲で何かの世話をしてみると案外楽しいかもしれません🪴

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