1.月の綺麗さ

 物心ついた頃から、月を見る事が好きだった。
 幼い頃両親に、月はあんなに明るくて、さすが太陽の光を反射しているだけあるねとませた事を言って、両親が一瞬返事に困っていたことをよく覚えている。
 月にはうさぎがいて餅つきをしているという話をモチーフに、月のうさぎがぺたぺたとついたお餅で家をつくり、それがどうしてだか地球に落ちてきてしまって……という絵本を作ったこともある。絵本はまだ未完で、餅製の家が地球に落ちてきた時点で止まっている。
 京極夏彦の小説で(『魍魎の匣』だったと思う)、最初に出てくる二人の少女が月の光を浴びると老化から免れることが出来ると言って夜中に出歩いていたが、確かに、太陽の光と違って月の光は暖かさを感じない分、ずっとそこにあり続けてくれるような永続性を感じさせる。
 大人になって、今はあのころよりも街の光が多い場所に住んでいる。いつからだろうか、満月を見てもあまり感動できなくなってしまったのは。今は月を見ても感動する気持ちよりも、以前より感動できなくなってしまった悲しみを感じる。そういう時は、詩人・茨木のり子の「自分の感受性くらい」という詩を思い出す。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

茨木のり子

詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)所収

 自分の感受性ぐらい、自分で守りたいが為に、私は今キーボードを叩いてみているのかもしれない。

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