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最強のイラスト上達法を考えてみたvol.1

年に数回イラストが描きたくなって、描き始めてみる。

だけど下書きの段階で思うように描けないので、元々描きたかったイラストを諦めて、レベルを下げて無理やり描く。下手でも気にしない、、、
下書きが終わる頃には数日が経ち、お絵描きしたい欲求も無くなってるけど、「ここまで描いたからには、、、」と後に引けず、本当はもう辞めたいんだけど、無理して清書書きをする。

そして、色塗りの頃にはもうヘトヘトで、なんなら達成感も十分あるので、適当にしてしまう。
結果として中途半端なイラストが完成する。

こんなことを続けても絵が上達する訳が無いと分かっちゃいるんだけど、それがどうにかできたら既に絵が上達してる。ネット上に溢れるイラスト上達法は、ワクワクするから見るんだけど、結局続かない。

巷に溢れるイラスト上達法には目的を設定しろっていうから、「〜〜みたいな絵が描きたい」って決めてたけど、それって本当に目的かな?
受験生が受験勉強をするときに作る目的って、「◯◯学校に合格したい」「〇〇に就職する」だけど、それってイラスト上達に置き換えたら「〜〜みたいな絵が描けるようになって〇〇を描きたい」とか「漫画家になりたい」になんじゃないかな。
「〜〜みたいな絵が描きたい」だと、「数学のテスト何点取れるようにする」みたいなもので不十分。

う〜ん、、、
不満があるのなら自分でイラスト上達法を作るか!!



はじめに


ということで、ご挨拶が遅れました。僕は絵が下手な大学生です。
この記事は、絵が下手な僕が、自分で絵の上達法を考えて自分で取り組むというものです。
お絵描き上級者がイラスト上達法を教えるというものではありませんので、「俺はそうは思わん!!」ってことがあればコメントしてください。コメントを元に、イラスト上達法にさらに磨きをかけます。

これまで色々なイラスト上達法に手を出し、失敗してきた僕ですが、自分で自分に合ったやり方を考えれば、きっと失敗しないんじゃないかと思います。ぜひ、皆さんの中にもピッタリな方もいるかも知れませんので最後まで読んでいってください。

◯大まかな流れ

「最強のイラスト上達法を考えてみた」の大まかな流れを説明します。

最初は、既存のイラスト上達法に対して持っている不満を書き出してまとめます。次にその不満が解消されるような最強の新しいイラスト上達法を作ります。最後にそのイラスト上達法を実践して僕の絵が上手くなります(なるはずです)。

ちなみに今回の記事では、既存のイラスト上達法に対して持っている不満を書いているだけで終わってしまいました。


既存のイラスト上達法への不満

まずは、僕が考える既存のイラスト上達法のイヤなところをの3つのトピックに整理して紹介します(今回の記事では2つ目までしか辿り着けませんでした)。

①段階を踏まない

世の中に溢れているイラスト上達法は「一番洗礼された練習法はこれだ!!」と競い合っています。
ですが、そのどれもが僕みたいに絵が下手な人が実践するには難しく、上達しないどころか、挫折を早めるだけ悪影響があると思います。

例えばプロ野球選手の練習メニューを、野球を始めたての小学生が取り組んでも、上達するどころか、野球がイヤになって練習をやめるはずです。こんなこと考えれば誰でも分かるはずです。

しかし、これと同じことがイラスト上達法では当たり前のように行われています。
イラスト上達法を知りたがる人たちは、プロのイラストレーターや漫画家やアニメーターのイラスト練習方法をありがたがって真似しようとする人が多すぎます(僕もその一人です)。
僕ら文化部系の人間は体育会系から逃げてきたのにも関わらず、上達法においては「毎日何時間イラストを描け!」といったような極端に脳筋な上達法や、「そのくらいで挫折するようなやつは最初から向いてない」とか「Twitterでいいねが貰えないイラストは価値がない!」といったような根性論や熱血節を好み、逆に「好きなときに好きに描けばいい」とか「人と比べなくても良い」といったような現状維持を肯定する話を聞くと、どこか下に見てしまいます(もちろん僕もその一人です)。

プロ野球選手だって、野球を始めたきっかけはお父さんとのキャッチボールだったことでしょう。
そこから上達の度合いによって段階を踏んでゆっくりと練習メニューがプロ仕様になっていくのです。野球を始めたての小学生にとっての上達法というのは、ボールの投げ方を意識したり、体の使い方をどうしろというのではありません。ただ野球やキャッチボールを楽しむだけでいいのです。
もしかすると、お父さんにキャッチボールを誘ってもらえやすくするために、普段から肩を揉んであげて仲良くすることが最も効果的な上達法かもしれないのです。

イラスト上達においても同じで、まずは毎日イラストを描く習慣を作るところから始めるべきです。
毎日イラストの練習をするという、「イラストを毎日描くこと」と「イラストを上達すること」を同時に始めるのは挫折の元になるんじゃないでしょうか。

さらに「イラストを毎日描くこと」では、本気で集中しながらイラストを描いてはいけません。それは、野球を始めたての小学生に対して「どうすればもっと上手くなるか考えながら、集中して本気でボールを投げろ」というようなものです。
まずは楽しんで適当に音楽でも聴きながらノートの端の方に落書きすることから始めなければなりません(無理してでも)。描くための参考にするイラストすら必要ありません。
今までに何回も描いたことがある、お決まりのイラストを何回も擦って描く。それで良いんです。
というかそれ以上のことを最初の段階でしようとしてはいけません。
それをするから続けられなくて挫折してしまうんです。

難しいことに、これが分かっててもどうしても「もっと洗礼された良い練習方はないか」って探してしまいます。どれだけ(プロにとって)良い練習法でも、今の僕にとって向いていなければ意味がないはずなのに。

なので、僕が新しく作るイラスト上達法では、ステップごとに練習メニューを変化させていこうと思います。最初は毎日ノートに落書きするだけ。
お絵描きが習慣になってから初めて次のステップに進むようにします。
そうして段階を踏んでいくことで、最終的に既存のイラスト上達法のようにプロ仕様になっていきます。

②そもそも上達する必要あるの?

冒頭でも触れましたが、あなたは絵が上手くなる必要ありますか?


この章では「絵が上達する必要があるかという」イラスト上達法において根本的な問題について考えていくんですが、まずは「目的の付け方」に関する話から、、、

「絵が上手くなる」と言う目標を持って、絵の練習をするのは成功確率が低くなります。
冒頭でも触れたように「絵が上手くなる」と言う目標は、「志望校や将来の就きたい職業」ではなく「数学の点数を上げること」を目標にする受験生みたいなもので、「絵が上手くなる」ことが自分にとって何の役に立つのかハッキリしないのでモチベーションを保つことができません。

家に帰って寝るまでの暇な時間に「イラストの練習をするぞ!」と決心したけど、1週間もすればスマホをダラダラと触っているだけの人も多いでしょう。それは、忍耐力が足りないとか、その人の能力が低いとか以前の問題です。
スマホ触ってダラダラするのとイラストの練習をするのを天秤にかけて、どっちが自分にとって得かと自分の頭で無意識に計算して、自分でスマホを触ることを選んでいるわけです。

考えてみてください。
どう考えても、自分の欠点と向き合って自分を責めながら上達目指してイラストを描くことよりも、スマホ触る人生の方が幸せに決まってます。
もちろん、日々練習している自分の姿を想像するとカッコいい。ですが、スマホの楽しさと天秤にかければ、スマホを選んだほうが得です。
実際、みんなスマホを選んでイラスト練習をおろそかになっているんですから。
ですが、それはもう仕方ありません。世の中見回しても、社会人になって英語や数学を勉強をしている人はごく少数です。やっぱりみんな損得勘定して勉強してないのです。
できないのは、損得勘定できないくらいダメなんじゃなくて、損得勘定できるくらい頭が回るからこそ三日坊主になってしまうんです。

勉強してる割合が多い中学高校の生徒は、何かしらの得があって勉強をするのでしょうか。
それは「親に褒めれられるから(怒られたくない)」「志望校に受かるため(落ちたくない)」「クラスの女子に勉強を教えられるから(異性にモテたい)」「全く勉強しなかったらクラスで浮くから(嫌われたくない)」いろんな理由はあるでしょう。

では、イラストを上達する上で、何を目的にしますか?
みんながみんなプロのイラストレーター、漫画家、アニメーターとして食っていくことを目指す必要はありません。
何者かになることを目指すと、何者かになるまで、耐え忍ばないといけなくなるので、何を描きたいがために上手くなるのか決めておくが良いと思います。
ということで細かくなくても、大まかに何を作りたいか決めてもいいんじゃないでしょうか。
それに、絵が上手くなることを目標・目的にしても、絵が上手くなってからが困ります。

例えば、撮りたいものがないのに、一眼レフカメラ(値段が高いカメラ)に憧れて買ったとしても、撮りたいものがないと悩むことになります。
同じように、たとえ上手くなっても「描きたい絵がない」のであれば、絵が上手くなっても意味がないんじゃないでしょうか。

ここまでの話を踏まえて、ざっくりといいので「いつか絵が上手になったら、その能力を〇〇を製作するために使ってやるぜ!!」と決めておくことが必要だと考えます。当たり前のことなんですが、それを決めるのが難しいから、それを考えなくて済むイラストの練習に取り掛かります(僕もその一人です)。
「◯◯さんみたいな絵が描けるようになりたい」ではなく、それ以前に(自作でもいいから)ゲームを作るために立ち絵のイラストを自分で描きたいから練習するのか、(Twitterに載せるでけでもいいから)漫画を描くために練習するのか、好きなキャラクターのファンアートが描きたいから練習するのか決めてから練習すべきです。
そっちの方が、何を練習するべきかということも、はっきりするので、上達具合が自分でも分かりやすくなります。

なので、僕が新しく作るイラスト上達法では、「もし上手くなったら〇〇を製作する」と絵が上達する目的を考える工程を取り入れようと思います。

◯全く違うふたり

ここまでが「②そもそも上達する必要あるの?」の話の前提です。
ここから本題に入ります(長ったらしくてスミマセン)。

イラストの練習をする前に、上達するための目的を考えておかないと挫折しやすいという話をしてきました。ですが、そもそも絵が上手くなる必要があるのでしょうか?

ここから先の説明のために、絵が上手くなりたい架空の人物「プロのイラストレーターを目指す大学生A君」と「読書部に所属する中学生B君」を紹介します。

まずA君。現在大学生3年生のA君は、中学高校時代に美術部に所属していたため、ある程度のデッサンができます。
ソシャゲのキャラクターの透き通るようなイラストに惹かれていて、それがA君の描くイラストにも表れています。
正面のポーズであれば、人物のイラストも上手に描けますが、上下のアングルからのイラストや、動きのあるポーズのイラストを描くことが苦手です。
背景は、青空や雲など基本的なものは描けるのですが複雑なものは自信がありません。なので普段は著作権フリーのイラストや写真をトレースして描いています。
あと最近、動物やモンスターのイラストも描けるようになりたいと思っています。ですが今まで描いてこなかったので上手に描くことができません。
A君は一度、大学受験の時にイラストを描くのをやめました。そして大学生になって時間ができたので、イラストをまた描くようになりました。そんな中、Twitterでプロのイラストレーターのイラストを見て、「自分もこんな絵が描けるようになりたい」「プロのイラストレーターになりたい」と強く思うようになりました。

次にB君。現在中学生2年生のB君は、画力がクラスで3番目に高い、お絵描きが趣味のよくいる普通の少年です。
B君は証明写真の構図でしか人物を描けません。さらに髪型はボブかツインテールの2パターン位しか持っておらず、服のシワの描き方は1パターンしかありません。もちろん背景や動物はもちろん描けません。
ですが、デフォルメされた車のイラストは学校で一番上手に描けます。それは一時期漫画に出てくる車のイラストを模試することにハマったからです。
そして普段から好きな漫画の模写ばかりしています。
そんなB君は読書部に入りました。読書部に入った理由は、漫画やアニメが好きで同じ趣味を持った人たちが集まる部活に入ろうと思ったからです。
B君はお絵描きをする趣味があったので、初めは美術部に入ろうと思っていましたが、美術部では漫画やアニメのイラストを描くのではなく彫刻をさせられるらしいと聞き、そこまで芸術に興味がなかったので諦めました。
最近の楽しみは読書部でみんなでイラストを描くことです。
読書部ではみんなでお喋りや人狼ゲームをします。
その中で、みんなでお絵描きをするタイミングが生まれます。持ち寄ったスケッチにシャーペンで好き勝手に絵を描き、部室に置いてある漫画の模写をするか、オリジナルのキャラクターを作って描くことが好きです。
最近、部員の一人がみんなが持っていないコピックペンで色塗りをするので他の部員から注目されています。
そして褒められているのを見てB君は羨ましく思っています。僕もコピックペンを使えるようになりたいな、、、
そしてこうも思います。
もっと絵が上手くなったらみんなから注目されるのかな、、、、

どうでしょうか?二人はどちらも絵が上手くなりたいことに変わりはありません。ですが、置かれている状況も、画力も、絵の上達させたい目的も何もかも違います。
A君はプロのイラストレーターになりたいから絵を練習します。それに対してB君は読書部でコミニュケーションの一環としてお絵描きしています。

まずA君。「プロのイラストレーターになる夢を叶えるために絵が上手くなる」という一見立派な目標を掲げているように思えます。
ですが、その目標のためにそもそも上達する必要あるんでしょうか

「ないわけないだろ!!」と言う気持ちももっともです(実際絵が上手くないとプロのイラストレーターにはなれません)。
ですが、A君はイラストの練習なんかする必要ありません。ワケがわからないと思うので段階を踏んで説明します。

◯それって夢から遠ざかってない?

まずA君にはズバ抜けた絵の才能はありません。絵が上手と言ってもしょせん、今すぐプロには慣れない程度の実力しかありません。
というのも、ネットがここまで普及した現代社会において、みんなが本当にすごいと思うものがネットの海に埋もれているはずがないのです。本当に良いもの凄いものは、みんなに拡散されて隠し通せません。

A君はプロのイラストレーターを漠然と絵が上手であればなれると思っています(もちろんA君も絵以外も大事だと知っています。ですがプロへの道筋をよくわかっていません。)。
万が一プロとして、生計が立てられるようになっても、これだけ競争率の高い世界でプロとして生計を何年も立て続けることは不可能でしょう。それができるほど才能があれば、そもそもA君は世間に既に見つかっているはずだからです。

A君の取るべき手段として、プロのイラストレーターに今すぐなれないのであれば、一旦就職してから働きながら、イラストの練習をする。
そしてプロとして生計が立てられるようになったらラッキー。
そしてイラストレーターとしての収入が十分あって、実力が認められた(固定ファンがついた)のであれば仕事を辞めてイラストレーターを本業にして生計を立てることも視野に入れても良いでしょう。
これなら、もしプロになれなくても、たまにフリーランスとして依頼がもらえたら副業にもなります。自分の好きなことでお金を稼ぐ喜びも感じられるでしょう。

さて、ここで問題なのはA君は大学3年生です。これが大学1,2年生であれば話は違ってくるのですが、大学3年生というのは就活が始まる時期でもあります。
この時期に絵を上達させることはプロのイラストレーターになることに対して、不利に働きます。A君がプロのイラストレーターになる一歩目は普通に就職することだからです。

今はイラストを描くのは就活の息抜き程度に抑えて、自分の求める労働条件にあった就職をすることの方が優先順位は高いはずです。それに就活が終わった方が、結果的に大学生活中にイラストを描く時間を多く確保でき、さらに精神的な負担も小さいでしょう。
そっちの方が、将来的にプロのイラストレーターになれる確率は上がります。

どうでしょう。A君が上達する必要がないということがわかったでしょうか。
別にA君と同じ状況に置かれた人全員に対して、就活を進めているわけではありません。イラストの練習に専念したいから定職にはつかずアルバイトで生活するのも良いですし、その他どんな方法を取っても構いません。
ここで言いたかったことは、A君がプロのイラストレーターになりたいと思ったからには、「絵が上手い人になるにはどうすれば良いか」ではなく「プロのイラストレーターになるにはどうすれば良いか」ということを考えて、計画を立てて行動した方が夢が叶う確率が高くなるということです。

「俺はいますぐ絵が上手くならないといけない。だから超本気でイラストの猛特訓をするぞ!!!」
という方は一旦冷静になって、自分の今の状況を見つめ直してみた方がいいかもしれません(自分を客観視せずにあえて馬鹿になった方がやる気が出るので、全員に対して必ず冷静になれとは言えませんが、、、)。

◯全て間違ってるし、全て正しい。

A君は絵を上達させる必要がありませんでした。
ではB君の場合はどうでしょう。A君の場合と違って、B君は絵を上達させること自体は何の問題もありません。
というのも、中学2年生なので受験まで時間もありますし(高校受験が人生に与える影響なんて就活からすれば微々たるものです)、そもそもB君は何者かになりたいという思いがあって、絵が上手くなりたいと思っているわけではありません。
B君のイラスト上達のモチベーションは読書部の中で人気になりたいということです(それ以外の理由もあります。それに関しては「◯だけど上達することは意味あるよ😙」でまとめています)。

B君の場合、読書部の中で人気になるには絵が上手くなる必要があるのかどうかすら疑問です。実はそんなことより、身だしなみを整えて、悪口を言わないようにして、みんなの関心のあるTikTokやYouTube動画を偶にチェックする方がよっぽど人気者になれるかもしれません。

それにイラストを上達するにしても、B君にとって必要な情報はかなり限られてきます。それは「①段階を踏まない」で説明した通り、世の中に溢れているイラスト上達法はプロ仕様になっていて、多いB君のレベルにぴったりな上達法が限られてくるからです。それに、中学校の読書部でブイブイ言わせるのが目標であれば、それほどの画力が要求されないので、上達に関するほとんどの知識が必要ありません。

例えば、絵が上手くなりたいと思ってネットで検索すると、「絵が上手くなりたかったらデッサンをしろ」「模写もいいがデッサンだ」「とりあえずデッサンから始めろ」といったようにデッサン信仰が蔓延しています。
デッサンをすることのメリットをまとめると、人体のバランスが理解できたり、観察力がついて何の絵を描くにしても役立つそうです。
デッサンが難しくて手が出せないなら、簡易版としてクロッキーなんかも勧められています。クロッキーもデッサンのような効果があるにも関わらず、一回の練習時間が短いので、毎日続けられるメリットがあるといいます。
こんなふうに聞くとデッサンやクロッキーがイラスト上達のために必要な気がします。
ですがB君にとって必要ではありません。

デッサンはある程度の画力を求めると必要になる段階がくるのかもしれません。しかしB君は主に部室で単に趣味でイラストを描いているだけです。

デッサンというのは画力の基礎であることは間違いありません。ある水準を越えるためには必要なのかもしれません(絵が下手な僕には真偽がつけられませんが)。ですが、中学生で絵を描いている99%(同じ構図の人物描いて満足している)の人にとってデッサンは必要ありません。というか、目的なく漠然とデッサンなんて始めても、挫折して罪悪感を感じることになるでしょう(それで絵を描くことから離れたらもっと損です)。
せめて学年トップの画力を得てからデッサンを始めても遅くないはずです。

これはデッサン以外にも言えます。「アナログかデジタルのどちらでお絵描きした方がいいか」「消しゴムを使わない方が良い」「考えながら描いた方がいい」「目はこう描いた方が良い」「模写はこうした方が良い」etc…

全てケースバイケースです。
たとえ、どれだけデジタルで絵を描くことが上達に繋がろうとも、部室で友達と描くB君には必要のない知識です。どれほどデジタルで上手い絵が描量になったとしても、部室で見てもらったり、関心を示してもらうことこそが、B君にとっては重要ですから意味がありません。
どんなに正しそうなイラスト上達法でも誰かにとっては間違ってるし、どんなに無茶苦茶なことが書かれているイラスト上達法でも誰かにとっては正しいのです。

困りました。新しいイラスト上達法を作るつもりが、ある意味全てのイラスト上達法を全て否定するような結論になってしまうとは思いませんでした。
そのため、せめて僕が作る新しいイラスト上達法では、「イラストの練習方法になるべく触れない・やり方を指定しない」ようにします。どんなイラスト上達法になるか検討もつきませんが、巷に溢れるイラスト上達法とは似ても似つかないものになる気がして楽しみです。

◯だけど上達することは意味あるよ😙

ここまで散々「イラストを上達する意味って何なのさ」と問い詰めてきました。読んで嫌な気分になった方がいたらごめんなさい(僕もどんよりした気分で書いていました)。
ここでは、さっきまでの話を全部ひっくり返して「イラストを上達することは何も間違ってないよ。だって、上達を目指して練習すること自体が楽しいんだもん」という話をします。

なお、ここで紹介する趣味の楽しさの三要素は、落合陽一の『超AI時代の生存戦略 ―― シンギュラリティ<2040年代>に備える34のリスト(大和書房)』で紹介されていた課題設定と報酬に関する内容から持ってきています。

趣味の楽しさというのは三つの要素に分けられます。
コレクションをする楽しさ…「物」「できること」「経験」などを収集して積み上げていくことの楽しさ
ギャンブルをする楽しさ…上手くいくかどうか分からないドキドキ感と上手くいった時の喜び
行為そのものの楽しさ…行為そのもので得られる気持ちよさ

料理をする趣味であれば、コレクションをする楽しさは「今まで作ってきた料理の写真が増える」「できる調理法が増える」。ギャンブルするする楽しさとは「やったことないレシピに挑戦する」「時間制限を設けて作ってみる」「卵焼きを綺麗にひっくり返せるかどうか」。行為そのものの楽しさとは「フライパンを振るときの手に伝わる振動」「包丁で食材を切る爽快感」「完成した料理を食べたとき」などに感じられます。

これをお絵描きで考えると、ただ単に落書きするだけよりも、上達しようと試行錯誤している方が、コレクションをする楽しさとギャンブルをする楽しさが感じられやすくなります。
上達を目指すとき、コレクションをする楽しさは「昨日よりも多くの種類のイラストが描けるようになること」や「上達のために毎日一枚ずつ模写していて、それが積み上っていくこと」などで感じられて、ギャンブルする楽しさは「輪郭の線を見本のように上手く描けるかどうか」や「ネットで見た手の描き方通りにうまく描くことができたかどうか」や「一枚のイラストにかける時間制限を設けておいて、その中で描き切れるかどうか」などで感じらます。

スキーやボーリングやカラオケやマラソンさまざま趣味はありますが、どの趣味でもみんな多かれ少なかれ上達を目指しています。それは上達すること自体が楽しいからです。だからこそイラスト上達法に限らず、趣味に関する何かしらの上達法の書籍は毎年たくさん出版されています。
なのでイラスト上達を目指すことは自然です。
ですが、ここまで「そもそも上達する必要あるの?」と言ってきたのは、言い換えれば「君にとって本当にプロ並みに上手いイラストを目指す必要あるの?」ということです。

SNSなどで誰でもイラストが投稿できるようになって、プロやプロ並みの大量のイラストに触れてしまったせいで僕らは、過度なハードルを自らに敷いてしまっているんじゃないでしょうか。

こんな経験皆さんも多かれ少なかれ経験したことあるんじゃないでしょうか?
絵の上手さが1~100点で評価できて、仮にあなたの絵の上手さが50点だとします。あなたは90~100点の人のイラストを参考に練習して52点になり、最初の50点から2点ほど上がったとします。本来2点上がって嬉しいはずですが、SNSには52~100点の人が掃いて捨てるほどいるせいで、まるで練習したのに関わらず、みんなより劣っている気がしてきます。

そこで自分の絵の上手さは一朝一夕で上がるものではない、絵の上手さ以外の評価を上げようとします。
それに使われれるのが、「絵の個性」というものです。

イラストの上達から逃げるようにして、自分の個性を出すことでアイデンティティを保とうとします。ですが、世の中に溢れるイラスト上達法には、
「上達において個性はいらない。個性を出そうとすれば上達の妨げになる。とにかく上手い人のイラストを真似して、それでもどうしても消えないものが個性なんだ。」
という、物事の上達に模倣が欠かせないのはこの世の真理を突きつけてきます。つまり上達を目指して熱心に練習に取り組むほど、自分の下手さと向き合わないといけなくなってしまいます。

ですが99.9%の人達にとって、今すぐプロのようにイラストが上手くなる必要なんてありません。
さらに言えば、プロのイラストレーターや漫画家やアニメーターなど、絵が上手いのが前提となる職業を目指す人であっても、絵が上手くなるのが今すぐ必要とは思えません。
本当にスゴイ才能があったら既に人気になっています。今人気じゃないとしたら、働きながらSNSに自分の作品を投稿したり、賞に応募したりするなど、長期的な視野を持って目指す方が夢が叶う確率は高い。
超本気の努力(そんなもの何%の人間が出せるか知りませんが)で、自分を追い込んだり、自分の他のことを犠牲にしても、最後まで挫折せずに続けて、夢を叶えられる人はごく僅かです。
その夢を叶えた人の影には挫折したり失敗して、長期的な視野を持っておけばもっとマシな結果になっていた人が無数に存在しているのです。
だからこそ「自分を追い込め」系のイラスト上達法は嫌いです(ですが、やる気が出てワクワクするのでつい見ちゃいます)。

イラストなんてただの趣味だから、血の滲む努力なんかせず、10年以上かけてじっくり上手くなっていけば良いんです。
「いつも夢中でお絵描きしてたら気づいたらこんなところまで来た」というのが一番良いに決まっています。
そして「昨日の自分より上達した」ことを素直に喜べることが、長くお絵描きを続けられるという点で、一番大事なのかもしれません。

これを読んだあなたは、
「上手い人と自分を比べないことができたらとっくにしてるよ!!」
と思ったかもしれません。

どうすれば、上手い人と自分のイラストを比べず、辛くならないようにできるのでしょうか。
そして、どうすれば自分のイラストの上達を素直に喜べるようになるのでしょうか。
その効果的な方法は「自分の承認欲求を満たす対象を狭める」ことだと思います。

自分の承認欲求を満たす対象を狭めるというのは、自分の描いたイラストを見てもらって反応してもらい、承認欲求を満たしてくれる対象を狭めることで、自分がランキングの上位でいられる場所の中だけで活躍するということです。つまり、井の中の蛙であれということです。
最初からプロと同じ土俵で戦おうとするから、辛くなるんです。絵が下手なうちは、自分の実力に見合った場所で戦いましょう。そして、それを何年も続けていれば自然と上手くなるはずです。
仮に上手にならなくても、それで褒められているのであれば、何の問題もなくないですか?

Twitterのお絵描きが活発な界隈に見られやすいハッシュタグを使って、イラストを投稿して、「いいね」をもらったり、褒められて承認欲求を満たそうとするのではなく、他の誰もイラストを投稿していない界隈で満たす。投稿するなら人気のキャラクターより、誰も描いてないキャラクターを投稿する。
そして何よりも、お絵描きが下手なうちは、SNSに投稿することよりも、ネット上の少人数のコミュニティや部活やサークルや友達や家族に見てもらう。

今まで、SNSで「いいね」をもらうためにどんなイラストを描いて、どの時間帯に、どんなハッシュタグをつけて投稿するかという努力をしていた人も多いでしょう。
その努力を部活やサークルの面倒な活動に積極的に参加したり、ときには他の部員のイラストを見てらアクションをとってあげる努力に充ててください。こうして、いつでも自分のイラストが見てもらえるような環境を整えておくことが大切になります。
そして自分の画力に合わせて段々と、承認欲求を満たす対象を広げていけばいいんです。すぐに画力が上がるわけじゃないので、広げるのは数年単位でゆっくりと。

Twitterで動物の絵が描きたくなったら、動物の界隈に移ってイラストをあげて、それでも承認欲求を満たす対象が広すぎると感じたら、「ハムスター限定絵描き」「フラミンゴ限定絵描き」のように自分が負けないくらい狭いところに逃げていけばいいんです。

こんなふうに、10年後も見据えてじっくりとお絵描きを続けた方が、上手い人と自分を比べずに、昨日の自分と比べることができ、結果的に長いこと続けられて、自分のイラストが上達している確率も高くなるんじゃないでしょうか。

ここまでの内容を踏まえて、僕が作る新しいイラスト上達法では、よりコレクションする楽しさを感じられるように、
練習などで描いたイラストを保存して溜めていく」「最初に自分の描きたいイラストをリストアップして、後から自分の成長が目に見えるようにする」ということを取り入れたいと思います。

そして、新しいイラスト上達法に取り組む人たちが、自分の承認欲求を満たす対象を狭めることを手助けできるようにしたいと思います。そのために、練習成果を決まった画像のフォーマットでネットに載せることができるようにしたいと思っています。こうすることで、ネット上のお絵描き上達を目指す小規模のコミュニティができて、それがお絵描きの部活やサークルのように繋がればいいと思います。

ここまで長かったですね。お疲れ様でした。
「②そもそも上達する必要あるの?」という章はここで終わりです(この後に控えている「③AIでお絵描きはどう変わるか考慮されていない」という章でもイラストを意味はあるのかということを考えます)。
巷に溢れるイラスト上達法では、「そもそも上達する必要あるの?」とあまり深く考えられていな胃ような気がします。
そのため、この章ではいくつもの僕の不満がこんがらがっていて、大変読みにくくなってしまいました。

この章を書いていた時に「どうして(僕も含めて)みんな上達することに固執するんだろう?別に役に立たないのに、まるで絵が上手いことへの信仰すら感じられる。お絵描き教に入信してるみたい」と半分冗談で考えていました。
ですが、ここまで書いてきてやっと分かりました。おそらく武士道や神道や茶道のように僕らの心の中にお絵描き道が宿ってるです。いくら自分のことを無宗教と思ってみても、人生の指針として、多少の信仰心を持った方が希望を持って楽しく生きられるのかもしれません。
お絵描き道とは適度な距離で長く付き合っていきたいです。

終わりに

今回はここまでにします。ここまで読んでいただきありがとうございます。
思いのほか文章が長くなってしまいました。疲れたのでここで一旦区切らせてください。

次回は、今回書ききれなかった「既存のイラスト上達法への不満」の残り二つのトピック(「③AIでお絵描きはどう変わるか考慮されていない」)を紹介したのちに、イラスト上達法の内容にまで入れたらなと考えています。


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