M1さや香の「見せ算」、数字の気持ちを想像する深くて面白い漫才
M1決勝ネタのさや香の「見せ算」の事はいろいろ書かれている。あのネタを聞いて以降、「数字の気持ち」を想像してしまう。
まず「見せ算」の説明を、さや香の漫才から引用する。
「だからなんなん」石井さんの突っ込みは正しい。同感です。
なのに数字の気持ちを想像するようになってしまった。
私の住んでいるマンションの部屋番号には4も9もない。4見せ9はどんな気持ち?4と9は日本人の勝手な死と苦のイメージを押し付けられ、あらゆる場所で、その存在を無視され、無き数字にされている。多様化の現代、数字の不当差別に違いない。
基本ルール2を適用すると4見せ9は9、4は9が「怖い」ので9。
しかし4は、9の事が「怖い」だろうか?(どう思うか?)もう一度想像してみた。4と9、今までどんな気持ちで日々を暮して来たのか?偏見と差別から不当に扱われた4と9。
4「世の中ひどすぎます。私は勝手に死のイメージにされ、9さん、あなたは四苦八苦。9さんに苦を押しつけ、なぜか8は「末広がり」の幸運の数字。不条理です!!
9「ありがとう、私の事を…」
きっと4と9が出会ったら抱き合って互いの不遇な境遇に共感して、恋に落ちてしまうに違いない。なんせ9は4より大きく背が高くスラっとしている。
4見せ9は1。二人で一つ、二人の愛の結晶、それから可愛い3つ子を生んで4見せ9は4。あ、まただ。子孫にまで不運と差別と偏見は続く。
「親ガチャ」って「数字の世界」にもあったんだ…。4と9の悲しい運命を想像してしまう。
歳末の安売りに行く。先日まで3990円のシャツが1990円になっている。3990見せ1990は、ここは基本ルール2のとおり1990は3990に対して「怖い」と思いそうだ。
3990「おんどれっ、なにしてくれてんねん!上に張るな!」
1990「すんません、すんません」
3990「このシャツは3990円やねん。3990円で買うてくれたお客さんぎょーさんおんねん!お前はその人らの気持ちを踏みにじってんねん!どけっ、呆けっ!」
1990「すんません、すんません、今の時期だけです、すんません」
なぜか、あやまりつつ、私は1990円のシャツを手にする。
3990見せ1990=3990(めっちゃ怖い)果たしてそうだろうか?
1990円シャツは飛ぶように売れる。1990円シールを拒否した3990円シャツは売れ残る。「売れる」=1990「スター」「売れない」=3990「売れ残り」がどんなにわめき散らかしても、1990円で買う人の方が圧倒的に多い。
スター1990はそれぞれ多様な世界へ旅立ちパワハラ暴言3990は静かに去る。だから3990見せ1990=1990(逆転現象、世代交代)が起きる。
なんて、勝手に想像する。
私は長年、専門学校で映画製作やシナリオを教えている。毎週課題を読みながら点数をつける。小さな課題なので5点満点。これが困った。
A君の文章力も適切で内容も適格、しかし明らかにA君の知らない専門用語が飛び交いChat GPを使いコピペしたようにも思える。A君の普段の知識量では本人が考えて書いたものではないのではないか?という疑惑が残る。
試しに問題の質問をChat GPTに入れてみる。A君の答案に近い解答が出てくる。Chat GPTの使用は禁止していないので5点。
B君は、誤字もあるし、論旨も無茶苦茶、でも自分なりの発想で視点が、面白いので、私的に5点。
A君の5点見せB君の5点は同じ5で「恥ずい」で0。
「見せ算」的には0。どんな正解の5点も「見せ算」で互いに見せ合うと「恥ずい」で「0」になってしまう。レポート試験は数値評価不能?
「見せ算」は審査やジャッジする側からすると「パンドラの箱」を開けてしまった気がする。決勝は投票だが、準決勝は得点、それぞれの「笑い」を「数字」で示す。例えば、呆け数、会場の爆笑の数、物語のどんでん返しの最後の盛り上がり、爆発的笑いの数。数値化できる要素での審査はわかりやすい。
しかし表現だけでなく人間や社会の多くの要素には数値では「評価不能」の部分が多々ある。その「評価不能」の部分が本質に関わる事が多い。表現や作品の本質的魅力は観客や受け手の想像力をどれだけ刺激し膨らませたかにある。その点で今だSNSで想像力を刺激し続けているさや香の「見せ算」は「評価不能」の魅力を持っている。
今回M1過去最高の8540組、それぞれの「お笑い」が数値化されて戦わされ、勝負が決まる世界で、最高得点で最後の3組になった「さや香」が、「数字と数字を見合わせて」「どう思うか?」の「見せ算」を持ってきのは「面白い」としか言いようがない。
私達の生活のあらゆる場面で、目標、能力、嗜好性、再生回数、フォロワー数などが数値化される社会。過剰な数値化、データ化社会の中で、「見せ算」は目に見えない数字の「関係」「物語」「気持ち」を想像する必要性に気づかせてくれた。
私にとってさや香の「見せ算」は、単なるお笑いを超えた、笑って、深く考えさせられた面白い漫才だった。
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