「まつもtoなかい」出演の吉永小百合から学ぶ品とは?情(人を先にする心)と距離感
1.吉永小百合の品①情(人を先にする心)
吉永小百合の「まつもto なかい」を見て、彼女の品の根本に(薄い)情「人を先にする心」があると感じた。
この言葉は、もともと私の大好きな上方落語の桂 枝雀師匠の「薄い情」の事。「薄い情」は「薄情」に誤解されそうなので、この記事では単に情「人を先にする心」と明記した。
枝雀師匠の「薄い情」は落語の登場人物の情についての話だが「厚い情」より「薄い情」を上等とする。なぜ落語?と思われるかと思うが、大げさな表現を嫌う控えめな日本文化に通じるように思う。
吉永小百合の出演作で言うと、TVドラマで原爆症の芸者を演じた「夢千代日記」や市川崑監督の「細雪」歌舞伎の坂東玉三郎監督「外科室」細やかな所作やさりげない会話で深い感情を表現する。ということで、桂枝雀師匠の「薄い情」についての説明
番組の中でメインゲストであるはずの吉永小百合は、終始、自分よりMCである松本人志や中居正広、そしてもう1人のゲストYOUを優先し、彼らの話を引き出し、熱心にそれぞれの話を聞いていたように思う。
もちろん吉永小百合に話のボールが投げられれば、誠実に受け止め答え、そしてまた相手にボールを返す。まるで端正な映画の演技のアンサンブル(調和や協調)を見る様なやりとりだった。
番組最初、中居正広から「松本人志を知ってます?」の質問に、吉永小百合は「お笑いとか見てこなかった」と正直に話した上で、松本人志監督の映画(この番組の出演が決まり)「さや侍」(2011)を見た感想を述べる。
「さや侍」は、刀を捨てた娘と共に逃亡していた脱藩浪人・勘十郎(野見隆明)が、藩に捕らえられ、母を亡くし心を閉ざした若君を30日間一日一芸で笑わせる事ができたら無罪放免、笑わせられなかったら切腹、という内容。
主人公演じた野見は、松本人志の「働くおっさん劇場」に出ていた素人。
松本監督は、野見に映画撮影とは言わず台本も渡さず、ドキュメンタリー的に撮影し、リアルな演技を引き出している。
子役の熊田聖愛(10歳)の熱演もあり、笑って泣ける時代劇になっている。番組の中で吉永小百合は松本人志の映画を、
と、語る。女優・吉永小百合にいきなり褒められた松本人志。バラエティ的に吉永小百合の素を引き出そうと「怒られる質問」をしようとしていた松本人志も、真摯な誉め言葉にたじろいでしまう。
伝説の映画女優に映画監督として褒められる。これは本当にうれしい。
その気遣いは、中居正広にも「(吉永さんが)お休みしたい、だらけたいとかあると思うんですけど、常に向上心とかあるんですか?」と聞かれ、その質問に答えた後、さりげない心遣いを示す。
この吉永小百合の情「人を先にする心」は、もう1人のゲストYOUが現れてからも続く。YOUが吉永小百合の事を「国の宝なんで」とか言い始めると即座に会話に入り、自分の事よりYOU。
山田洋次監督の新作「こんにちは、母さん」での、YOUの役者としてのエピソードを披露する。
吉永小百合のトークで、このシーンそのものが山田洋次監督の「男はつらいよ」の一場面のようだった。
しかし、YOUもこの後、全カットのシーン、セリフのあとの笑顔から使われていて、笑顔を引き出すためのセリフだったと山田洋次監督を褒める。
吉永小百合のトークの基本姿勢を見ると「人を先にする心」を大事にして、さりげなく情を込めた言葉をかけ、すっと次の話題へ行く。
吉永小百合は心に余裕があり、枝雀師匠の言う「難しい事」を習慣的に、たやすく行っているように見える。
次はこの吉永小百合の品の奥にある精神を知るために、彼女の言う「映画が学校」の意味を考えてみる。
2.吉永小百合の品②観察、共感(映画が学校)
番組の途中、吉永小百合のデビューから最新作「こんにちは、母さん」までの歩みを視聴者に知らせる映像が流れ、吉永小百合は高校1年の2学期で(映画出演で)忙しくて高校に行けなくなり「映画が学校だった」という。
吉永小百合は終戦の年の1945年3月13日、3月10日東京大空襲の直後に生まれ、敗戦後の悲惨さを体験している世代。
番組では紹介されなかった吉永小百合の初期の代表作「キューポラのある街」(62)について知ると「映画が学校」の意味が理解できる。
吉永小百合は、60年代の主演映画でお嬢さん役を演じる事が多く、東京の山の手の「裕福な家庭のお嬢様」という漠然としたイメージが強い。
だから、品があるのが当たり前。
でも現実は違う。
本人の言葉を引用すると、
その後、親戚と父と日活の宣伝部長との話合いで、本人の意思とは関係なく日活の入社が15歳で決まる。
本人は受験勉強を頑張り、せっかく入学できた「高校は、毎日きちんと行きたい」と母にいうが「学費ぐらいは自分で稼いでくれないと」と言われ、何も言えなくなってしまう。
そんな彼女の女優魂に火をつけたのが「キューポラのある街」(62)での浦山桐郎監督との出会い。
埼玉県川口市の鋳物工場を舞台にリストラに合う職人工の父(東野英治郎)の娘ジュンを演じたのが吉永小百合。工場街の貧困家庭の子供たちを通して、人種差別や労働問題、ジュン自身、パチンコ屋でバイトしたり、睡眠薬拉致にあったり、弟・タカユキ(市川好郎)もハト販売や牛乳泥棒をしたりの社会派青春映画。脚本は、浦山監督の師である今村昌平監督との共作。
浦山監督は主人公をオーディションして素人で作りたかったが、会社の上層部から吉永(小百合)浜田(光夫)でやれと言われ「困っとるのよ」と彼女に言う。
で、とりあえず会って…。「もっとニンジンみたいな娘がいいんだけど、君は都会的だなあ」と言われてしまう。
後日、主演が決定し、監督から「貧乏についてよく考えて」と言われ
貧乏はどこも同じと思っていた吉永小百合はクランクインまで悩み続けるが、現場で撮影が始まり、その違いを実感する。
撮影は撮影所のセットではなく現実の鋳物の街で、実際にそこで生活する人たちも参加するロケだった。
吉永小百合は、自分の知る世界と全く違う生の不条理な社会や人間を観察し、人種差別、偏見、暴力、下町の貧困を役の中で体験する。
父親役の東野英次郎はお酒が飲めないのに、貧困と不条理な工場の扱いから、酒に溺れる父親をリアルに演じる。
そこで吉永小百合は「観察力があれば本物のように感じさせる演技ができる」と理解し、目の前の現実や芝居を観察し、相手役と自分の感情に共感、反発しながら役に入り、役を生きる。
吉永小百合は、土手を走り、父に反発し、母に感情をぶつける。後半、家庭が悲惨な状態に追い込まれ、修学旅行に自分の意思で行かず、街を彷徨い、遊び、暴行されそうなったり、どうしようもない絶望感を、ただ表情と視線で表現していく。
この映画で吉永小百合は16歳でブルーリボン賞主演女優賞を受賞。
映画はカンヌ国際映画祭コンペティションにも出品。
この映画を推した審査員長のフランソワ・トリュフォー監督が、浦山監督との対談で「主役を演じた女優がたいへん見事でした」と称賛される。
3.吉永小百合の品③(観察力と共感から生まれる)情と距離感
吉永小百合の品の情「人を先にする心」と距離感を体得するために必要なのが、「映画で学んだ」社会や人間への深い観察力と共感だと思う。
自分の参加する映画が描く社会の様々な問題は今すぐ解決できなくても「きっといつか解決する」はず、そう信じて50年、100年残る映画作りに参加する。
吉永小百合は中居正広の「TVドラマより映画ですか?」の質問に「TVは瞬間、瞬間の、その時一番面白いもの。映画は、良いものは50年、100年残るから…」と答えていた。
最後の中居正広の「何かまだ欲とかあるんですか?」の質問にも
123本が、やめる数字じゃないから、まだ頑張るというのがいい。
さりげない所作で深い感情を表現する「女・笠智衆になりたい」という映画女優:吉永小百合。
好きな外国映画の女優はヴィヴィアン・リー「風と共に去りぬ」のように時代や恋愛に翻弄されても、足を地につけ、前向きに生き抜く。
スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)の最後のセリフは
「Tomorrow is another day. 明日は明日の風が吹く」
今も暇があればストレッチやり、ジムに通い、水泳1キロを目標タイムで泳ぎ、50年、100年残る映画のために「女優として少しでも成長したい」と願う。
やはり、吉永小百合は品があってクールでカッコいい映画女優だと思う。
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