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教育と洗脳 〜自己啓発セミナーの闇〜

有名ブロガーのちりきん氏によれば、これから真剣に問題解決が必要になる分野は「教育」「高齢化社会」「メンタルヘルス」の3つとある。

なるほど、その通りと感じるとことは多くある。
何せこれからは人口が減っていく時代。30年後の2050年には、今よりも2,000万人が減少し、日本の人口は約1億人となる。これは、1970年とほぼ同じ数字である。

ただし、圧倒的に違うのは1970年の生産年齢人口が70%弱(約7,000万人)だったのに対して、2050年のそれは50%前半(約5,000万人)と見て取れる。
そこから2つの結論が導かれることになる。

一つ目は、かつて定年退職と言われた年齢を過ぎても、働くことが求められる。二つ目は、仕事の生産性を上げることが求められる時代となる。
AIの登場で仕事の様相が変わっていくなか、教育、高齢化、メンタルヘルスの3つを社会問題として解決していくことは、時代の要請と言える。

明治以降日本において、教育といえば「一斉教育」のことを指していた。
一つの教室に30人程度の生徒が集まり、1名の教師が同じテキストにもとづいて授業を行う。この流れは米英列国に肩を並べんとする明治政府の主導によって義務教育が進められたことによる。

一斉教育の是非に関しては、各所で様々な議論がなされているのでほかに譲るとして、ここでは教育そのものの持つ「洗脳性」について話を進めたい。

ヒトは白紙の状態で生まれてくる。
そしてどんな親に育てられるか、どのような環境で過ごすかによって個性は大きく分かれることになる。

【どのタイミングで、誰と出逢うか】

これがその後の生き方を左右するのは自明の理である。
幼いころに刷り込まれたことは、その真偽を問う間もなく、その人にとっての真実となる。それが事実の場合もあるし、事実ではないこともある。
ましてや、考え方や習慣というものは、親の背中を見て日々の暮らしの中で身についていくものであって、短期間に変化していくことは稀である。

そう、タイトルに「自己啓発セミナーの闇」と記したのも、巷にあふれる自己啓発セミナーは、ヒトに短期間で変容を促すところに無理が生じていると考える。

自己啓発セミナーは「教育」ではなく「洗脳」である。
もっとも、自ら望んでその道を選ぶのであれば、それは洗脳とは呼ばれないが…。

かようなセミナーを受講しようかやめておくべきか、迷っている最中の者には、判断に値する十分な材料が与えられていない。
ここにも多分に問題がある。

今まで、見たことも聞いたこともない考え方を自分に「インストール」する。
この作業に心理的抵抗を伴わないのは、ある特殊な状況に追い込まれている人間だけだろう。ヒトは外部から強制的に(何かをさせられる)のは好まない生き物だからだ。

具体的には、会社が倒産の危機にある。
家族関係が崩壊している。生きるか死ぬかの判断をしなければならない、などの極端な事例を引き合いに出して、「こんな状況から立ち直りました」という美談をセミナーでは聞かされる。けっして居心地のいいものではない。

しかも、多くのセミナーは3日間で20万円、30万円と相応の金額を請求してくる。まとまった金額を振り込むのは、一種の通過儀礼である。
これだけのお金を支払ったのだから、絶対にもとを取らなくては損をする。成長という美談を味わいたいがために、ズルズルと嵌り込んでしまう。

セミナーの高揚感に酔っているうちは、それもいいだろう。
だが、現実の生活との落差を冷静に見ることができる目を持てる者にとっては、短期間のセミナーで感じた高揚感は作られた虚構であることに気づく。

やがて、この虚構に気づいた者は「自己啓発とは、日々の地道な営みの積み重ねである」という原点にたどり着く。
脱いだ靴を揃える、家に帰ったらうがい手洗いをする。
食卓を囲んで一日を振り返り、生かされていることに感謝して眠りにつく。

幼いころに親から言われた躾ともいえる習慣のうえに人間が形成されて、人としての品格が仕上がる。
到底、3日間で身につくものではない。

それでも、自己啓発セミナーが廃れないのは何故か?
それは社会が生産性を求めるからに他ならない。  

経済活動を行っている企業は、昨年よりも今年、今年よりも来年と常に成長を求められる。そして、その曲線が右肩上がりであればあるほど、市場の評価は上がり、株価は上昇する。

短期間で変化を出すには、無理はつきもの。それを知ってか知らずか、経営者は部下を自己啓発セミナーに送り込む。
「いっちょ、揉まれて来いや」と。そんな魂胆が見え隠れする。

自前の組織で時間をかけて教育できないのであれば、外部に任せて洗脳してもらおう。
洗脳と呼ぶからには、そこに本人の意思はない。会社は社員一人ひとりが納得するような自発的な成長を望んではいないのだ。
セミナーに送り込まれたあと、組織を離れていった者を数多く見てきた。
冷静な視点を持つ者にとっては、自己啓発セミナーは茶番でしかない。

教育が短期的な生産性を求めるようになっては、おしまいだ。
教育とは、長い時間をかけて個別にヒトをはぐくみ育てる行為である。

今日はここまで、よい旅を。

physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。