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自分は一体どこまで自分なのか 〜書評:誇大自己症候群〜

今から数年前、この本を読んだときに衝撃を受けた。
それは「これって、自分のことが書いてある」というインパクト。
高校時代に中島敦の「山月記」を読んで以来のことだった。

高校時代は、いわゆる落ちこぼれ。
理系を志望していたのだが、肝心の数学、物理が
チンプンカンプンで到底、大学に入るのは難しい状況。
同じ中学から進んだ友達はスイスイと点数を積み上げるのをよそに、
僕は話せる友達も少なく、生きるとは何か?という命題に
悶々とする日々を送っていた。

辛うじて進んだ大学で、
ある部活に出会いそれまでの人生が一変する。

4年あれば、ヒトが変容するには十分な時間。
最初は顔から火が出るような失敗を繰り返しながら、
卒業する頃には成功体験を得ることができ、
自分の存在におぼろげな自信を持つことができた。

とはいえ、まだハタチそこそこの若者は社会を知るすべもない。
ふたたび失意とわずかな欲望を抱えながら、社会人生活を送ることになる。

やがて、年上の彼女ができ、自分に大きな自信を持つに至ることになる。
アゲマンの彼女のお陰でぶじに転職し、
新しい職場でもそれなりの仕事をこなせるようになった。

自信というのは諸刃の剣で、高校時代の面影はどこへやら。
自分がいなければ仕事は回らない、くらいに世の中を舐めていた。

そんな頃に出会ったのが、この本。

本のタイトルに呼ばれるように、読み進んだ。
そして、確固たる自分があると信じていた「自信」は、
砂上の楼閣ではないか、と思い知る。

自分のまわり、という限られた現実における充足感。
その中において自分は万能であるという誤った認識。
そして、他者への思いやりを欠き、自己を正当化する。

いつの間にか、自分が自分以上の存在であるという偽りを盲信している自分がいた。
「誇大自己」とは、まさに当時の自分に当てはまっていた。
振り返れば、大学に進学して大きな方向転換をしたことが、
現実と虚構の乖離に気付かない自分を生み出していたのだろう。

本を読み、多くを経験してあれから20年。
やっとそのことに思いを馳せることができる。

physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。