「初めての詩の会」 twitterと日常-ビールとケーキ-7月31日
7/31
行きつけのBARで詩の会へ行った日のこと。
この日にたどり着いたのは、前に好きなBARで
そこで呑んだワインのラベルをみてたら、急に声に出して読みたくなった事から始まった。
その奥出雲「杜のワイン」のラベルには
「奥出雲葡萄農園が作ってる農産物のためのワイン。泥だらけになって土を耕し、灼けつく日差しを浴びて世話することからワインづくりは始まるもの、と信じます。
この一瓶に詰まっているのは、わたし達のそんな思い。青リンゴの薫りがし、いきいきと酸を感じる爽快な味の白ワインです。」
と書いていたので、谷川俊太郎さんのような気持ちになって読んだ。
それをオーナーさんが「なっちゃん、良いね!」と言ってくれた。読み方が詩人っぽかったようだ。気づいてくださり感謝しかない。
私の脳内には、会ったことのある詩人や作家の声が住んでいる。
簡単に谷川俊太郎さんの間合いや声で、変換されるのです。
なのでそのように読んでる。
テレビとかでみてもこのようなことが起きないのでトークイベントは行ってよかった。
時々江國香織や、甲斐みのりさんにもなる。声がずっと初音ミクみたいにボカロされてる。
「今度本屋さんが詩とお酒のイベントやるからくる?」
と言ってくれて、すぐに全身で頷いた。
「いきたいです!
詩が大好きなので嬉しいです。」とあまり口にしてないことを言えた。
たまたまラベルを声に出して読んだことで、気づいてもらえた。
この、シークレットイベントにご招待していただいたことを魔法が起きたみたいに感じた。ハリーポッターは初めて呪文を唱えれた時はこんな気分だったのかも?と、思うくらい。
巷で有名な本屋さんが開く詩の会だそうだ。
心弾ませながら数日前から、焼き鳥屋などで詩を選んでいた。
『詩の会って初めてなのにこんなに心躍ることがあるのだなぁ、皆は何を選ぶんだろう?』と
本をはじめから最初まで探して、学者のような剣幕だったと思う。
焼き鳥、ビール、本をパラパラ、「これだ!」「でもなんか違うか」ビール飲むか。
みたいなお米を食べるみたいなルーティンで詩をみてた。
お店から出るときに
店長さんに「ずっと本を読んでましたね!」
と言われて
何故か学者コスプレしてたような気分で恥ずかしくなり「いやいや!すみませんでした。」と私は場違いなことをしてるとわかってたのに、今更誤った。
それから、選んだ詩をコンビニで印刷した。
出てきたものをみると、偽学者が選んだ割に、詩が奥行きを増したような重厚感だった
詩の会の当日は、始まる時間の3分前に駅についたから黒いワンピースで駆けた。
今日はBARの定休日なので、「予約制のイベント」と張り紙が貼られていて
何度も来ている場所に緊張しながら、ガラリと扉を開けた。
本屋さんとオーナーさんが軽やかな笑顔で迎えてくれた。
穏やかな「いらっしゃい」と言ってくれたので、3分前の焦りは、0.0000...!くらいの速さで消える。
詩をコピーをしておいたものが折り曲がってて「曲がっててすみません。」と言いながら渡して、綺麗に人数分コピーしてくれた。
「お酒は何にしかますか?」と
穏やかなオーナーさんとはまた違う
お声に包まれてふわんと夢心地。
「ジンソーダでお願いします。」と
夏の味を注文をした。
4名がカウンターに座り、顔なじみの方やそうでないかたがいて、少人数が嬉しかった。
「一人で読むの練習してきたの」と右に座ってる赤いワンピースの方が言って
「かわいい!」と語彙が消滅して、ギャルになった。
かわいい人しかいなかった。
左の方は「男一人で恥ずかしくて緊張してる」と言った。
寡黙そうな印象からはずかしがりやさんになって
「クールな印象なので言ってくれたから、すごくホッとします」と言った。
その隣の方は茨城からきたそうだ。すごい意気込み。同じ気持ち。
皆ニコニコしていた。
六花亭の詩が書いてあるお土産をいただいた。それは北海道の小学生の詩だとのこと。純粋でかわいい詩がたくさん。六花亭も、小学生たちも凄すぎて全てに感じてしまうね。
それを
「声出しとして皆読んでくださいね。」と本屋さんがやさしくいった。
皆でお酒を飲まみながら、美味しいつまみを食べながら読んで、準備が満タンとなった。
皆の詩を一つずつ浴びる。
谷川俊太郎さんの展示に行ってるのに愛の詩は素通りしてたのか初めての聞いたかのような気持ちになった。
木よりも長生きできない辛さで誰かを愛せそう。なんの条件もない世界って美しいね。
糸井重里さんの詩や鈴木慶一さんの詩も素晴らしかった。その後、歌を聞いて、歌は背景みたいになるって包んでくれて、朗読は急に人物が浮かび上がり、ハグしたくなるのね。
今まで一人で詩を愛でていたけど
人が心を込めて読むと、森の中の森林浴みたいだった。
心の中は見慣れてるはずなのに、読む人の声で広がって、全然知らない世界を知った気分。なんて安らかなのだろう。
はるか昔に居た巣のように思った。
谷川俊太郎さんの展示に2個も6月は行ったのに
全然私は詩を知らなかったみたいね。
DA PUMPの詩を持ってきた方もいて、その透明度に、「DA PUMPがこれを歌ってるのが凄く芸術的なことですね。」と
何故か目が潤んだ。
一人ひとりが読むと、たちまち魂が宿るから不思議。
どれも響きわたり、特に揺さぶられたのは
「みずうみ」という詩だ。
「20代のときに仲の良い子とみずうみってどういうことだろうね?と、詩について話してたんです。」と言っていて
それごと情景になる。
そんな20代ではなかったけれど、もしそうだったら幸せに感じただろうと思った。
この詩を聞くまでは、私は、しーんとしたところを、
湖ではなく「ブラックホール、穴、ぽっかり、影」と言ってたからね。おばけみたいに怖がってたから、それがみずうみだったなんて知らなかった。
私は子供もいないし、イラストの作品にも名前をつけるのがとてつもなく億劫なのに、心情には簡単に勝手な名前をつけて、刃物を捨てる時みたいに厳重に縛ってたことにきずいた。
状況によって全然、違う表情がある人間みたいね。
「みずうみの辺りから魅力が発生する」と聞いて
「あぁ、闇みたいな真っ黒じゃなかったんだ。」と、安心してするすると解けてしまった。
私はもっと心の心象風景たちにとってよい親になりたくなった。
お母さんにはもし、なれなくとも、名付ける行為はそれに似ているね。
その後、「映画とかでは、ワインのことを葡萄酒と訳されてるのをかわいいと思う」話を誰かがしてくれて
「わかります!シェリー酒とパンも物語にありますよね。あと、スープも!」と言ったりして、皆で共感してうっとりしていた。
「よし!今日は赤ワインのことを葡萄酒と呼びましょうね。
葡萄酒、一杯ください。」とこの小さな会の物語に祝った。
これからも「葡萄酒」と言いたいと思いながら、言えなくて今日の日を、綺麗に思い出すと思う。
ひな鳥みたいにまたあの巣のような場所に帰れますように。
鳥のいなくなったtwitterにも愛を流した。
開催してくださったgururiさん、星くずさんに感謝🙏
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