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涙が出るほど、なこと。

さて、タイマーセット。10分。

↑ noteにある画像を使ったら、投稿者の方から始めてメッセージをいただいた。そちらに返信をしていたら2分は過ぎたかな。ま、いいでしょう。

これから私はこのnoteに書きためていきます。今ね、「書きためていくことになりそうです」を止めて「書きためていきます」に変えたの。文章的にはね、「こと」は使わない方がいいんだ。だけど、書いちゃうじゃない? 仕方ないや~って使ってたんだけど、今日は止めてみようって消したら、「書きためていきます」の方がしっくり、はっきり。

「~こと」ってちょっとぼかしてるよね。言いきらない感じが逃げている。私は逃げる人が嫌いです。これまで人のことを嫌いになってはいけないから誰かを嫌いだということ、あ、またことが出てきた。ややこし~。

誰かを嫌いだとは言わずに来たけれど、ずっと思ってた。この人のこんなところがいや、もっとこうすればいいのにって。それは自己満足だし、価値観の押し付けなんだけれども、そんな人とは距離をおいて、10年でも一緒にいたい人を見つけたい。つまり、一緒に生きていきたい人を見つけたい。一緒に幸せになりたい人を見つけたい。

誰かを嫌いだというのも、誰かと幸せになろうというのも避けてきた。なんでなんだろう。

(沈黙。指が動かない)

本当の気持ちを出さなかった。それもなんでなんだろう。嫌われるから。私のホンネは嫌われるから。

(あ、タイマーなったけど続ける。もう一回、8分)

本音はね、晶子(しょうこ)ちゃんを受け入れたい。昔、母親が「五体満足に産まれてこない子が天使なんて偽善だ」と言った。晶子は五体は満足だけど、脳が発達せずに生まれてきたから首も座っていないし、歩けないし、ごはんもぜんぶ食べられないから鼻のチューブから栄養を取っている。

妊娠中から産まれて1年くらいまでは、大丈夫、これから成長するって思ってたけど、3歳になってからは放置してた。やろうとさせるのがしんどくて。

昨日、「誤診でした」と医師に言われた人の人生談を聞いた。資産を築き、人格もあり、人にも恵まれているけれど、自分を貫こうとしたときに顔に水をかけられたり、胸ぐらをつかまれたりしたって。そこまで信じられるものがあるんだって。だから治るはずのない病を治せて、余命宣告までくつがえして生きてる。私は今、その人と同じものを信じようとして、もがいてる。

チャットでつぶやいた。「私もしょうこちゃんのこと誤診でしたって言わたい。治るはずないから」って涙が出てきた。五体不満足で生まれてきたとしても、かわいそうな子として生まれてきたとしても幸せでいたい。誰かから見た幸せじゃなくて、私が幸せだと思いたい。

だから信じたい。可能性はあるって。


だから可能性を見ない人はキライ。仕方がないといって職業や過去や常識のせいにしてチャレンジしない人は嫌い。「過去の延長線上に未来を作る必要はない」水頭症で産まれた子の過去はそうだったかもしれないけれど、この子は宇宙に一人しかいないんだから、わからんやろ? 私は可能性を信じて体現する。


そのために嫌いな人は嫌いだというし、私と一緒に幸せを近くで感じてくれる人には遠慮なく声をかけていく。


涙が出るほど、生きられたら幸せだよね。
一緒に生きよう。

ありがとうございます! ひきつづき、情熱をもって執筆がんばりますね!