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字面ではよく存じております

道の駅へ好んでしょっちゅう行っている。最近ハマっているのは、そこで売られてるよもぎ餅。パックには製造者名が書かれている。好みの味を作ってくれているおじさんの名前は、すっかりインプットされてある。睦男だ。

今日は別の方の作ったよもぎ餅しかなかったが、どうしても食べたかったので買って食べたところ、やっぱり睦男の方がおいしい。しかも今日買った方が20円高かった。睦男以外はもう買わない


睦男のことは字面でしか知らない。街ですれ違ってもわからない。しかも一方的にわたしが知っているだけだ。もう睦男以外は嫌だと言いきり、記事にまで登場する存在はなんだか可笑しい。けれどもこれも立派な人と人とのつながりだと思う。

noteの世界をはじめSNSでもそう。アイコンと名前だけ知っていて、街中ですれ違ってもわからない。たとえご本人の顔写真のアイコンであっても、わたしはすれ違っても気付けない自信がある。画面の中では、あんなに読んで好んでいるのに、一歩外に出ると急によそよそしい他人だ。そんな二重のようにみえる世界に、実はまだ慣れていない。なんだか変な世界だな、と思う。まぁこれが現代というものなのか。


睦男も、あなたもきっと・・わたしとは外では直接つながる術がないのだ。それって悲しいこと?それって心細いこと??

とはいっても、その術がないからこそ、届けられる言葉もきっとたーくさんあるんだろうなぁ。その術がないからこそ、届く言葉もたーくさんあるんだろうなぁ。そう思うと、心細さはいくぶんか和らぐ気がする。


睦男には睦男の生活があって、日々人が動物が、自然が関わっているのだ。人と人とのつながりは、直接的じゃなくたってたしかに存在してるんだなぁ。ひとりの生活をとってみても、想像する以上にたくさんの人が関わっていて、それぞれのライフストーリーがある。

名前も姿かたちも知らないけれど、どうもありがとうございます、だなぁ。せめて自分が名前も姿かたちも知っている人たちには、感謝は常日頃から伝えておきたいものだ。言いたくても伝える術のない人たちが、バックには大勢いるかもしれない。


そんな壮大なネットワークに思いを巡らせてみた。そしたらみんなが幸せだったらいいな、と思った。何かと笑えたり、ほっこりできる時間のあることを心から願う。自分を犠牲にしているひとたちに、わたしは加担したくありません。


あぁ今度はいつ道の駅に行こうかな。ここまで読んでくださってありがとうございました。また書きますね~。



▽記事に寄せられたコメント。ありがとうございます。

「睦男」と呼び捨てにするのが斬新すぎて、「おもしれー」と夢中になって読み進めました。きなこさんの感謝の気持ちが文面から伝わってきて、とてもほっこりします。引き込まれて夢中になってしまいました

伊藤 翼(いとうつばさ)さ


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