エレガントな日常/ちょっとだけ語学。ちょっとだけアルコール。
音楽とポッドキャストのアプリでトルコ語学習の番組がいくつかありました。
こういうのは日本語になっていますが元は外国にて作られていたりします。
日本人の私からすると「えぇ?!」っと思うような笑えるフレーズがあるし、
逆に現代にマッチするリアルな言葉が(スマホやIT用語)自然に会話に入っていて勉強にもなります。
簡単な数字の勉強「1」「2」「3」などが流れていたかと思うと、急に容赦なく難しくて長いセンテンスをぶっ込んでくるのも面白い。
(そしてネイティブ素人の聞き取りづらい発音。さらに2回リピートしてくれない)
こんなアバウトで大胆なところも好きですし、逆にこれが生きたトルコ語なんだろうなぁと感じさせられるのです。
(日本の語学テキストの例文はかえって小難しくて読む気にもなれない場合があるもんね)
不思議なセンテンスが流れていました。
たとえば、
「吐き気がする。吐いてしまうかもしれません」
「バカな気分だ」
まぁ、使える場面もなきにしもあらずですが
「吐いてしまうかもしれません」
「バカな気分だ」
は笑ってしまいました。
ちなみに大昔の古いトルコ語辞書の例文には
「おや、カツラが落ちましたよ」
というのもあったそうです。
日本人の発想にはない例文ですよね。
今日も昨日に引き続き酒粕にトライしたくてしょうがない。
アルコールアレルギーのくせに酒粕には妙な魅力があるのです。
(今日は当たるかな、大丈夫かな、、、)
と、まるでフグの刺身を自分でサバいている気分です。
今日もお味噌汁に入れました。
酒粕が入っている袋を開くとなんともいえない独特の香りがぷぅ〜んと漂ってきます。
決して良い匂いではないのにクセになる香なのでした。
昨日のお味噌汁はあまり酒粕の香りがしなかったので今日はちょっとだけ増やしてみました。
(当たっちゃうかな、大丈夫かな、、、)
ギャンブル決行!
食べてしばらくしたら顔が赤くなってきました。
ヤバい。
これは怖い。
なぜならそのあとにやってくる動悸がめちゃくちゃ恐ろしいのです。
顔の赤さからするとかなり弱い当たりかた。
しばらくドキドキしながら様子を見ましたが幸い動悸にはいたらず安心しました。
(明日はもっと煮込んでアルコールを飛ばそうっと←まだ懲りない)
それにしてもアルコールって利尿作用があるのでしょうか。
昨日も今日も粕汁を飲んだ1時間後に「とんでもない尿意」を感じてトイレに走りました。
もちろんその後お水をガブガブ飲みました。
今日はちょっと用事があってお役所へ行ってきました。
やっぱり私はこういう場所は苦手です。
そこで働いておられる方々はしっかりとしていて信頼できる、任せられる安心感はあります。
が。
独特のどんよりしている職場の空気感や、先方はマスクをした上にアクリル板越しに話すので聞き取れないストレス。
口の動きが見えない中での説明って私にとっては本当に大変です。
何度も聞き返してしまいました。
こういう場面に遭遇すると、自分はいかに聴覚と視覚両方にて言葉を理解していたんだなぁということが分かります。
堅苦しい職場をあとにしてハァ〜っと深呼吸。
新鮮な空気を吸いながら帰りました。
太陽がほんのり差して気持ちいいお散歩です。
昔はあんな堅苦しい職場でばかり通訳をしていました。
漢字ばかりの書類にルーティン作業、ニコリともしないシリアスな場面。
なんとも思わずにいました。
お金がもらえるし、何よりも特殊技能で働くことが出来ることはラッキーでありがたいことだと思っていました。
ですが足を洗って(?)からは自由生活の人生を選択。
どんどん自分が開放されて、さらに深く自分を知ることになってくると、おのずと無理をしていた過去が浮き彫りになってきました。
(あぁ、私は自分とは合わない環境にいたのだなぁ。保身だったのかな)
なんて振り返ることもしばしば。
それでも過去を否定せずに、ユニークな体験したなぁと誇らしく思えるまでには成長はしました。
今はコーヒータイムを何よりも愛し、
お洗濯や家事のクリエイティブさを楽しみ、
瞑想をして宇宙と繋がる。
朝は
「今日は何をしよっかな〜」
とムフフとしながらベッドでゴロゴロ。
先のことはわからないから考えない。
先のためにお金を貯めることもしない。(そもそも出来ないけどね)
でもとてつもない素晴らしい未来があることだけは信じている。
日々、猫のように目の前の幸せに夢中になることを目指しているのでした。
ニャー。
私は今日もエレガント。
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