Nさんの言葉はきつかったし、悔しかった。 でも、そのきびしさは「やさしさ」だった。
大学の入試日を1週間後に控えたその日。
Nさんは突然うちに来て「Aちゃん♪もうすぐ試験で煮詰まっているんじゃないかと思ってね。ちょっと喫茶店にでも行って気分転換しない?」と私を誘い出した。
ただでさえ、まともに受験勉強をする時間が少なかった私にとって、焦る気持ちを抑えながらラストスパートをかけているのに・・・
内心ありがた迷惑のように思いつつ、Nさんはこれまでも私のことを気にかけて励ましてくれてた先輩だから、少しの時間ならまあいいか・・・
そんな気持ちのまま、駅の近くの喫茶店に入っていった。
どんな話をしたのかは、はっきりとは憶えていないけれど、おそらく、近況を聞かれて正直「自信がない」こと、もしも受からなかったらアルバイトをしながら通信教育学部に通って次の年に学部への編入試験を受ける等のプランを説明したのだろうと思う。
実際、自分には落ちたとしても致し方ない事情(理由)があると思っていた。
9月に母が病気になり、長女の私は3人の弟たちと協力して看病と家事をこなし、受験料や入学金等を自分で用意するためにアルバイトもしていた。
母の病は「双極性障害」。
それまで溌溂としていた母とは別人のような姿になっていた。
Nさんはそうした我が家の状況を知っていたし、悪戦苦闘中の私をなんとか励まそうと誘ってくれたにちがいない。
けれども、一通り私の話を聞いたあと、きびしい表情で言った。
「Aちゃん!諦めてるよね!」
「色々大変だからって諦められるの?」
「大学に行きたいのは、Aちゃんでしょ?」
「試験はまだなんだから、まだ誰も受かってないし、落ちてもいないよね」
「受けてもいないのに、どうして今から諦めてるの?」
・・・
・・
・
悔し涙がポロポロ ポロポロと溢れて、あふれて
自分の心を見透かされて、図星どころか、認めたくない正真正銘の弱音をテーブルの上にばらまかれたような有り様だった。
そして
「Aちゃん。負けるな」
と、言ってくれた。
Nさんは隣町に住んでいて、私が目指す大学の7期上の先輩。
小さいころに両親を亡くされて、兄弟3人で苦労しながら道を拓いてきた人だから、そのNさんの言葉にはかなわなかった。
私は運ばれてきたチョコレートパフェを食べ終わる頃には、自分の心の声に耳を傾けることができたのか、残りの1週間を微かな希望を抱きしめながら過ごすことができたように記憶している。
第一志望の合格発表だけは、大学の掲示板を見に行った。
そこに自分の番号は無くて、第二志望は連絡を待つもやはりダメで…
とうとう3月を迎えてしまった私は、通信教育学部の資料に目を通し始め、4月からの不本意なスケジュールを考えることにした。
母には心配をかけたくなかったので平静を装っていたものの、声を殺して何度も泣いて、泣いて、泣いた。
・・・
いよいよ明日は卒業式。
久しぶりに学校へ集まったみんなが話すことは進路のこと。
私の高校はほとんどが現役合格で、一部浪人するメンバーもいるので、そんなこんなの近況を報告し合った。
担任に自分の結果を話すと「Aは色々と大変だったからな・・・」と。
私はなんとも言えない気持ちを何故か明るい言葉で誤魔化した。
学校から帰った私は、少し吹っ切れたような気持ちになることができ、夕飯もちゃんと味わえていた。
と、そこへ電報が・・・
「ケイザイ ホケツ ゴウカク」
と書かれていた。
3月9日の夜。
Nさんに泣きながら電話した。
「諦めなくてよかったです!」
Nさんも電話の向こうで泣いていた。
母は夏には回復し、今はあの頃が嘘のように元気いっぱいだ。
遠い昔の思い出。
忘れられない思い出。