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雑音だらけ自己紹介

さてさて、すぐさま更新ですよ。こういうのはハマりだすと止まらない。

とりあえず第一回目はどんな人物か知ってもらいたいので簡単な自己紹介をしていこうかなと思います。

名前 : 田村公歩(たむらきみと 本名です)
生年月日 : 7月8日
フィリピンセブ島生まれ
茨城県神栖市出身
神奈川県横浜市在住


お気づきになりましたか??

そうなんです。僕はフィリピンと日本人のハーフなんです。

父が日本人、母がフィリピン人のハーフです。
これ実は知らない人が多いというか、逆にハーフに見られてない事が多くて、僕が「ハーフなんです」というと誰しもが必ず疑うという。

昔はよくフィリピンとのハーフだってすぐバレて言われたけど、高校生になるとほとんど言われなくなりました。


そして名前がこれまためずらしい「きみと」

父親が「公彦」という名前だったので、父が自分の名前の「公」と真っ直ぐ自分の道を歩んでほしいという意味で「歩」とつけられ、「公歩」という名前になりました。

まあ真っ直ぐどころか茨の道を歩みまくってるけど。笑

ちなみに将棋で歩兵が相手陣地に攻め込んだ時、裏返って「と」になって歩兵と比べ物にならないくらいの強さになりますが、それの意味もあって「歩」は「と」と読む...説もあるらしいです。

だから今まで同名の人に会ったことがなく、漢字も珍しいもんだから「きみほ」や「こうほ」と呼ばれたりしました。というか一発で名前を呼ばれたことがない。

そんなめずらしいものがたくさん揃ってるもんだから少年時代はイジメられたりします。
またそれは違う記事でお話しようかなと思ってます。


小学校時代
3年生の時、父親が一軒家のマイホームを購入したので引っ越しと転校をします。
そして自分の部屋が出来て人生初のラジカセを買ってもらいます。当時はまだCDとカセットテープで聞く時代だったので、家にあった父親のBOOWYのテープやらいろいろ聞いてました。
そしてポケモンとドラゴンボールは誰よりもうるさかったです。
特にドラゴンボールなんかは、セリフやキャラなど聞かれたら全部答えられるくらいでした。


中学校時代
僕は剣道を夢中にやっていました。
それも一週間ほぼ剣道という日々もたくさんありました。

そんな剣道ばかりやってるもんだから、自分で言うのもなんだけど小さい頃からやってた剣士にもそんな負けなかったし、最高記録は中学校道場全国大会団体の部でコート準優勝でした。


そして高校時代
ここから田村公歩の人生が少しずつ変わり始めるのです。

僕は高校生になったらひそかに野望がありました。

それは汗臭くてモテない剣道を辞めて普通のリア充のような高校生活を送る事でした。

家から30分ほどの偏差値の低い高校に通って普通にリア充するぞって意気込んでました。

しかしそれは叶いませんでした。

高校は工業系の情報技術科に進学しました。
というか父親に無理やり工業系の高校に行かされました。

しかし勘違いしないでください。
情報技術科と聞いて「こいつ結構頭いいのか?」と思いますがそんな事はないのです。受験の時の数学も自己採点3点でした。

ただその年の情報技術科の受験人数が定員割れしてたので楽に受かる為にはそこを受験するしかなかったのです。

もしかしてこれをよんでる人の中で工業系の情報技術、IT科と聞いてピンとくる人がいるかもしれません...


お察しの通り、いわゆる「オタク」と呼ばれる人が多いのです。


そんなオタクなクラスメイトが多いもんだから、そういうのに全く興味がない僕も自然とアニメやらゲームなどが好きになっていくのです。

そしてある友人とある作品に出会います。


今回はここまで!この続きはまた次回!気になった方はよければフォローしてみてください!Twitterやインスタも是非チェックを!

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