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自由への闘争と逃走 退職回顧録 後編

前編はこちら


②所有資産の個人的目標を超え、経済的自由が達成できたと判断した時

仕事の目的はなにか?
常に自分に問いかけていました。

私にとって究極の仕事の目的は、労働所得をできるだけ早く資本所得に移して経済的自由を果たすことでした。

FIREにおけるFI(経済的自由)として問題ない資産額を複数の書籍や私の生活費から想定して、○○○○万円としていました。
お金のための労働をせずとも投資の利回りから生活費の全てを払うことができる、ために必要な資産の額ということです。

仕事に対してこの価値観を持つようになった経緯を話すために、少し過去にさかのぼります。

高校時代

高校時代に「金持ち父さん貧乏父さん」という本に出会いました。
ご存じの方もいるかもしれません。
かつてベストセラーとなったあの本です。

この本を読んで、お金に対するとらえ方がガラッと変わりました。

特にこの画像の意味する"ラットレース"という単語が印象に残っています。

労働でお金を稼いで、そこから生活費や税金を払ってまた労働に追われるサラリーマン。
これがラットレース。

また、世の中には4種類の働き方があって、
E:Employee(労働者)
S:Self employee(自営業者)
B:Business owner(ビジネスオーナー)
I:Investor(投資家)

これは同時にお金の得方でもあって、労働収入だけでなく、権利収入を持つことの大切さを説いていました。

資産と負債を理解すること、お金は邪悪な存在ではない。貯金ではお金は増えない。お金については学校では教えてくれない。
今の時代も活きる金言がこの本にはあります。

大学時代

大学時代にはマルクスの資本論を読みました。
難解な本なので、内容の10%も理解できているとは思いませんが、この世界経済が資本主義で回っている以上、労働者は常に資本家に搾取される存在であるという考えを持ちました。資本家側に移らなくては、と。
マルクスの主張したかったこととは外れますが、金持ち父さん貧乏父さんに肉付けしてくれた本でした。


マルクスおじ。

投資を始めたのも大学時代でした。

社会人初期

そして、公務員3年目の時に、父親が急逝しました。
やりたいことはやりたいときにしないと、できなくなってしまうことがある。
人間はもろい存在で明日急に死ぬかもしれない、ということを喪主を通じて身を持って感じました。

そのころに、海外でのFIRE思想に触れたりして、自由な時間は貴重であり、経済的自由を得ることに興味を持ったりしました。

こういった経験から自分の仕事への価値観は醸成されていきました。

社会人中期〜退職

経済的自由の目標達成のために、日本株、米国高配当株、FX、メルカリ転売、ボロ戸建て、ありとあらゆる投資、副業に手を出していました。新潟や茨城に戸建てを買って、DIYして大家業をやったこともあります。これらは、増えたり減ったりで成果はまちまちでした。

私の資産を最も増やしてくれたのは、まぎれもなく仮想通貨への投資です。

※仮想通貨投資については専門用語が多くありますが、誤解を承知でかみ砕いて説明します。


といっても、ビットコインを安い時に買って、高い時に売るみたいなトレードではありません。

分散型金融(DeFi)を用いた運用方法があり、DeFiのおかげで私の投資の世界が広がりました。
DeFiでは、トレードではなく、お金を貸したり、借りたりして金利を稼ぐ、銀行みたいなことや、株を購入する人から手数料を取る、証券会社のようなことができました。

DeFi(分散型金融)と呼ばれるスマートコントラクトで動作するプロジェクトに自らの資金をロックし、利回りを得ることをイールドファーミングと呼びます。
直訳すれば「利回りを耕す」となります。
日本ではイールドファーマーたちを「農夫」と呼びました。

ヨーロピアンさんのnoteより

DeFiの利回りのとりこになりました。
いままでやってきたほかの投資と比較して明らかにあちこちにお金が落ちていてイージーな、自分の肌に合っていると感じたからです。

いろんな戦略をとることができるので、リスクとリターンを比較して、いかに自分のお金を効率的な運用ができるか、その場所はどこにあるのかを常に考えていました。
そのための情報収集はドーパミンが止まらない作業で、この私の性質が日々新しい農場ができるDeFiとマッチしていました。

ポーカーきっかけに知り合った同志の存在も大きく、日夜LINEで連絡を交わしながらDeFi研究を重ね、お金をいろんな農場に派遣させ、出稼ぎしていました。

できることがめちゃくちゃあるので、戦略に応じて自由自在。リスクリターン範囲が大きい。


法に縛られていないので、魑魅魍魎のうごめく何でもありの世界でもあります。ある日突然、農場が消えて100万溶かすようなこともありました。
もちろんそれだけのリスクもありますが、うまく管理してリスクを飼いならせば、そこには大きなリターンがありました。

DeFiについて、より詳しく知りたい方はクリプト界隈の巨匠 ヨーロピアンさんの記事を読んでみてください。


日本で起こった仮想通貨バブル、コインチェックの流出事件、コロナでのビットコイン暴落、そこからの復活、イーロンマスクの煽り、からのFTX取引所の破綻…ひとつひとつ上げていけば、きりないぐらい激動の時代でした。
幸運なことになんとか乗りこなして資産を増やすことができました。

そして去年の12月には、一日で年収を大きく超える利益が出るイベントがありました。この日は興奮してまったく寝付けませんでした。
これはAirdrop(エアドロ)というもので、DeFi農場を使っていた人に対して農場主より、過去の活動に応じてトークン(値動きのある楽天ポイントみたいなもの)をくれるイベントでした。
仮想通貨が冷え切っていた時というのもあって農場を耕す人が少なかったこともあって高額のエアドロとなりました。
トークンは売買できるので、すぐに売ってドルに換えればもうそれは実質ボーナスでした。

実際に配られたトークンがこちら。JTO。売った時も高額だったが今はさらに倍になってるという


なんという偶然か、年に2度ある労働からのボーナス支給日とぴったり重なったのが私にはどうにも皮肉に感じました。

9月頃には、Defiで今後もある程度は食べていけるだろうなあと考えていましたが、この12月のイベントでより確実なものとなりました。

これで目標としていた経済的自由の金額を達成しました。
こんな人間にも夢を叶えるチャンスを与えてくれた仮想通貨、DeFiに感謝しています。

ちなみにDefiのこと過去形で書いてますが、いまでもバリバリ現役です。
この記事のサムネイルはいま私が運用しているDeFi農場の一部です。
APR、APYというのは年利のことで、年利60%のところに100万預けると1年間で60万もらえるということです。(目安であり、日々変動するものではあります)
今日も、10か所以上の農場に資産を分散して運用を続けています。
いつまでこの利回り続くかは誰にも予想できませんが、資産を株(新NISA)に移しつつ今後も運用をしていきます。

最後に

ながい回顧録をここまで読んでいただきありがとうございました。感謝です。

執筆を終えてみて、改めて退職という出来事がじぶんにどういう影響を与えたのか、半生を振り返りながら考える機会になりました。

日々の蓄積が結果的に会社に依存しない働き方になり、スパッと退職を決断できて良かったです。親しくしてくれた一部の同僚に感謝しつつも、1ヶ月経過したいま全く後悔はありません。今後はお金のためでなく、やりたいことを仕事にしたいです。

最後は、ほとんど投資の話が中心になってしまいました。でも自分の構成要素を円グラフで考えた時、50%は軽く超えてくるのでいいとします。

ありがとうございました。


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