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40歳になるまでは大目に見てください なんでも書きます パソコンで読まれることを想定し…

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40歳になるまでは大目に見てください なんでも書きます パソコンで読まれることを想定しています

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Note/哲学への対し方について

 私はNoteで哲学関係の記事をよく書いています。書く際にどのような意図をしているのか。どのように読んでもらいたいのか、それを簡潔に説明しておきます。  1、哲学について  私は哲学を「それがなんであるか」という疑問の体系だと思っています。存在論はまさにそうで、認識論は存在論のための発展、言語学とか心理学は認識論の道具だと思っています。  「そうであるべきか」が倫理学です。いまは人の性格や行動や規範にだけ適用されていますが、事物にも「無機物倫理学」として適用できると思い

    • 存在について・Ⅲ

      宣言この存在論の目的 「認識論がどうであれ否定できない」ことである。 この存在論の結論 「存在とは?」「存在とは存在である(存在以外の何物でもないし、存在以外の何物などない)」 この文には意味がない。しかし、言葉は人間が勝手に作り、言葉に不可欠な意味は人間が勝手に持たせるものであり、意味がないがゆえに事実を表している。 注意すべき原則 「あらゆるものは二つ以上に分けられるが、二つ以上に分けたところでなにも変わらないものがある(物理的な存在であれば変わるが、まず物理

      • 「自分自身で低いと思っている能力はなんですか?」とかほざかれたから「ぜんぶ低いし、でもバランスはいいです」と答えた

        • 反出生主義について

           反出生主義について真面目に勉強したことも討論したこともない(生まれてこないほうが良かった: 存在してしまうことの害悪とか読むべきだと思う)。ただ、日々考察しているし、よくネットで見かけているし、その中で私個人のオリジナリティがぼんやりと浮かび上がってきた。また、この、あらゆる時代・地域の人間とって過激であり、もし正しければ多大な影響を及ぼすであろう主義を体系的な考察抜きで支持するのは恥ずかしいことである。そして最近、この主義で論文を書くという人がフォローしてくださったので、

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        Note/哲学への対し方について

        • 存在について・Ⅲ

        • 「自分自身で低いと思っている能力はなんですか?」とかほざかれたから「ぜんぶ低いし、でもバランスはいいです」と答えた

        • 反出生主義について

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        記事

          文芸サークルの新入生歓迎会で「小さければ小さいほど可愛いよね〜」って子供の画像を見ながら言ってる女子がいたから「分かる〜受精卵とかめっちゃかわいい」って言いそうになって詰むところだった

          文芸サークルの新入生歓迎会で「小さければ小さいほど可愛いよね〜」って子供の画像を見ながら言ってる女子がいたから「分かる〜受精卵とかめっちゃかわいい」って言いそうになって詰むところだった

          存在について・Ⅱ

           前書き  この記事は「存在」について書かれたものである。どのようなことを考えるとしても、まず存在について考えることから始まる。存在がなければ、他のすべてもないからだ。  書き方としては、11個のブロックに文を分けた。また、日常で使われる言葉と具体的な例と図を多用しているが、考えを広げるために造語を多用しているため分かりやすくはない。同じことを別の言い方で著すことも多々ある。  存在についての記事は試論だが以前も書いた。それを哲学同好会で発表したところ、無知な部分と説明が足

          存在について・Ⅱ

          存在と変化についてのインスピレーションを刺激するために

          変化と時間はイコールか?その場合、小麦がパンになる物理的な変化をどう説明する?変化の一種が時間か?一種に過ぎないのなら時間のない変化は成り立つか? なにも動くものがなくても、時間は存在しているか?そうでなければ時間の概念は成り立たない 時間はどこから始まるか?つまり、1秒を数え始めた時計の、2秒前などは? 存在そのものは存在そのものを支えつつ支えられる(循環する)が、時間はそうでもない 変化は存在そのものと同列か?変化は全体性を構成する古物の一種か? 動画のような時

          存在と変化についてのインスピレーションを刺激するために

          欲望の悲劇について

           幸福は単純に捉えます。欲求を満たすことです。この、欲求とはなにか、それが気になります。  欲望には三種類あると思います。生理的なものと、社会的なものと、美的なもの。生理的なものは「食べたい」「暖かくしたい」みたいな本能です。社会的なものはたとえば承認欲求ですが、これももしかしたら本能です。人間が社会を形成するために、他人に認められたいという本能を抱くようになったかもしれません。美的なものは、半社会的です。つまり、壁画や土器を考えれば人間には美を欲する本能があると分かります

          欲望の悲劇について

          「よく」生きる

           「我々は『よく』生きなければならない」  「『よい』とはなにか」  「三つある。善と、好と、良だ」  「『善』とはなにか」  「私を不幸にする善はありえるだろうか。いや、ありえない。私を幸福にさせるものだけが善である」  「では、あなたが悪人で、善の結晶である法律に害されたとしたら、法は悪か」  「そのとおりである。そもそも、私は悪人にならない。悪とは私を不幸にさせるものであり、悪人になるということは、自分で自分を不幸にするということだが、そんなことは意図しない

          「よく」生きる

          愛について・試論

          ・愛と美の違い  愛と美(今回は「好ましい」「よい」を意味する)は同じである。愛する対象は美しいし、美しいものは愛する対象になる。ただ、唯一違うのは、美しいと思うことは一方的なのに対して愛することは相互になる可能性がある=相手から愛されるかもしれないということである。絵が私を美しいと思わないのに対して。  愛が失われたから美しく見えないのか、美しく見えなくなったから愛が失われるのか、その順番は後者が正しい。まず美しいと思ってから愛する。 ・愛と運命  人間存在につい

          愛について・試論

          生かされた - 後手に回る思考

           いつもなにかを考えているのだが、考える度に負けているのだなと思う。というのも、私が考えるから物事があるのではなく、物事があるから私は考えているからだ。どれだけ考えようと、物事は否応なしに存在し、その後手に回って分析するしかない。ときに、その物事が架空であることもあるが、架空として存在すること、あるいは架空を作るなにかの存在を認めざるを得ない。つまり、どこまで行っても、考えるという作業は後手に回っているのだと思う。  そして、私も物事の一つである。私は存在してから「私が存在

          生かされた - 後手に回る思考

          遠近感のレジュメあるいは台本(仮) ボツ

           言語は世界を切り分けているが、その切り分け方は「犬、猫、ステーキ、寿司」という個々の平行な切り分け方ではない。  存在 - 食べ物 - 寿司 - ここにある寿司、のような多層的な切り分け方である。抽象的な見方から具体的な見方へのグラデーションがある。  この両方の見方を合体させたものが「遠近感」である。遠近感をどのように使うべきか、どのように使われてきたか、考えてみたい。また、遠近感を踏まえるとどのようなことが考えられるのか、説明してみたい。  遠近感のルール 1,抽象

          遠近感のレジュメあるいは台本(仮) ボツ

          知識がなくても質問はできる、つまり誰にでも知識の数十倍は質問力があって、本気で問い詰められたら誰でも答えに窮するから、知性なんてそんなもんだと自分を戒めたり他人に質問しすぎないでいる

          知識がなくても質問はできる、つまり誰にでも知識の数十倍は質問力があって、本気で問い詰められたら誰でも答えに窮するから、知性なんてそんなもんだと自分を戒めたり他人に質問しすぎないでいる

          童貞すぎて妄想の彼女がいるどころか妄想の彼女にすらフラれた

          童貞すぎて妄想の彼女がいるどころか妄想の彼女にすらフラれた

          https://note.com/killmemyange1/n/n54a76a8e79dc?sub_rt=share_b 前者がダメな理由はもちろん優生思想になるからだよ で、なんで怠いかって言うと、どっちでもいいから 男女のどっちが優れてようと平等を実現するべきことに変わりないから

          https://note.com/killmemyange1/n/n54a76a8e79dc?sub_rt=share_b 前者がダメな理由はもちろん優生思想になるからだよ で、なんで怠いかって言うと、どっちでもいいから 男女のどっちが優れてようと平等を実現するべきことに変わりないから

          ジェンダー問題は詳しくないけど、男女の能力は同じだから平等にしようって能力主義を根拠にするのか、能力は厳密には分からんがとりあえず同じ人間だから平等にしようって人道主義なのかで、ぜんぜん違うと思う 俺は後者を推したいけどじゃあ女性は劣ってると思ってるの?って言われたら怠いな

          ジェンダー問題は詳しくないけど、男女の能力は同じだから平等にしようって能力主義を根拠にするのか、能力は厳密には分からんがとりあえず同じ人間だから平等にしようって人道主義なのかで、ぜんぜん違うと思う 俺は後者を推したいけどじゃあ女性は劣ってると思ってるの?って言われたら怠いな