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【エッセイ】不安の正体(1000)

20年前、某一部上場企業の集団面接前の説明会。

久米宏みたいな雰囲気の人事部長が放った一言がおもしろかった。

「私は心理学を専攻していました。人が不安を感じるのはですね、道の角を曲がったところにライオンがいるかもしれないと思うからなんですね。要はわからないことに対して不安が生じる。今からみなさんに面接する相手はただのおじさんです(会場、愛想笑い)。リラックスして行きましょう。おじさんたちの方がずっと緊張している。寝てないんだ(会場、愛想笑い)。」

随分緊張がほぐれたが面接には落ちた。

不安の正体は見通せない未来への憂鬱。

安心の正体は良き未来(あるいは現状維持)への期待。

不安と安心。これは言い方を変えただけで全く同じものである。両方、未来に対する感情である。捉え方を変えただけだ。

極論だが。死にたい人にとっては南海トラフ地震は安心であり希望である。

今、私は電車に乗りながらnoteをスマホで書いている。

この電車が脱線して死ぬかもしれない。可能性はゼロではないがほぼない。私が知る限りこの路線が脱線して死人を出したことは今までない。

安心の根拠は過去のデータによる裏付けである。

今この電車の脱線に遭遇するのは宝くじに5億円当たるよりも遥かに低い確率なので運がいいのか?いや、運の良し悪しは結果の良し悪しで決まる。

先日父に「お前は(職業)運が悪いからな」と言われたばかりである。

いやいや親父。俺は運がいいぜ。現職ではじめて「上司ガチャ」に当たったぜ。金色のガンダムが出たぜ(私がこどもの頃に一生懸命集めたガチャポンはSDガンダムのガン消しだった。私はガンダムをほとんど知らなかった(今も知らない)というのに)。

過去は変えられない。確かにそうだし、それは揺るぎない事実。しかし捉え方は変えられる。

過去、数えきれないブラック企業を経て、ようやく上司ガチャに当たった。やっと私の能力が発揮できる。

「サピエンス全史」中で著者のハラリ先生が、想像上のヒエラルキーのどの位置にいるかで生まれつきの能力が磨かれ発揮できるかが決まるということの例として、ハリー・ポッターを元に説明されていた一節が好きだ。

「彼(ハリー・ポッター)が自分の独特の魔法能力を知り尽くして発揮できるようになるまでには、本が7巻必要だった」

サピエンス全史(上)

これを私自身になぞらえて、妻に披露したら・・・。

「(ハラリ先生は)ハリー・ポッターが好きなんだね。」

元も子もない。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

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我がエッセイの心の師、実弟と一字違いの菊地正夫氏。早稲田のエッセイ教室に通っておられて、コメントに温かき返信をくれ、かつ、質のいいエッセイなのでコメント欄がめちゃ盛り上がっていて、いつも私もコメントさせてもらっています✨


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