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マイクロノベル241-252

241.
「PはNPに等しいことを証明します」そう前置きして、若い研究者は講演を始めた。口調は穏やかだが、穏やかならざる話だ。集まった研究者たちが固唾を飲んで見守る中、証明は淡々と進められた。「Q.E.D.」その言葉が終わるか終わらないかのうちに、世界中のコンピューターが停止した。

242.
ほんの些細な違いなのだ。歩行者用の信号が点滅し始めたときに立ち止まったとか、ほんの少しだけもたついて電車を一本逃すとか、その程度の違いが運命を分ける。この世界で僕は君に出会った。電車を逃した世界では出会っていないかもしれない。この世界の僕はそれを悲しいと思うが、その世界の僕はその悲しみを知らない。

243.
遅くまで飲み過ぎて終電を逃した。最近はやらかしてなかったのに、久しぶりだ。駅員に見つからないように閉まっている改札を飛び越え、ホームに出た。僕は知っている。手段がないわけではない。ホームには同じように終電を逃した仲間が集まっていた。やがて蒸気機関車がやってくる。

244.
公園に一輪の虹色の花が咲いた。見たこともないその花を摘んで玄関の花瓶に差してみた。悪くない。翌日、公園にはたくさんの虹色の花が咲いていた。その翌日、公園は虹色の花で埋め尽くされた。今、僕は花で埋め尽くされたアパートのむせ返るような香りの中で何かを待ち続けている。

245.
神社の境内で小さな蜥蜴を見つけた。蜥蜴はきょろきょろと周りを見回してから、本殿の裏のほうへ駆け出した。本殿といっても所詮は小さな社だ。蜥蜴は床下に姿を消した。携帯電話のライトで照らしてみると、直径十センチほどの穴があった。穴に光が入り、巨大な二つの眼が輝くのが見えた。

246.
街なかで「どうぞ」と言われて思わず受け取ってしまったそれは一辺が一センチほどの立方体だった。掌に載せて見つめていると、じんわりと広がって手を覆い、そのまま染み込んでいった。不思議と恐怖は感じなかった。真夜中、暗闇で手が光を放ち始めた。僕には分かる。世界中でこれが起きているのだ。

247.
いつからかポケットにひとつの鍵が入っている。どうして持っているのかももう覚えていないその鍵を手放す気になれず、持ち歩いている。時々合いそうな鍵穴を見つけて差し込んでみるが、もちろん回りはしない。今目の前にある扉にもそんな鍵穴がある。かちりと音がして、鍵が回った。

248.
僕が住む世界がどう違うかって?そうだな、あっちではジョンは生きてる。いや、歌は歌ってないし、政治活動もしてない。たまに目撃されるけれども、隠遁生活だよ。人前に姿を見せるのはヨーコと息子たちだけだ。だけどね、ジョンが生きてるという事実だけで世界は大きく違ってるんだ。

249.
僕が迷いこんだのは光の世界だった。光り輝く人々が僕を遠巻きにして、口ぐちに何かを言いあっている。僕を指差す人もいる。光り輝く子供が駆け寄ってくると、僕の足もとの地面に触れ、不思議そうな顔をした。そうか、僕だけが影を持っているのだ。だが、光る子供はその影に触れられない。

250.
真空中に励起された一個の素粒子が意思を決めているのだとしたら、自由意思は存在するのだろうか。いや、自由意思はある。なぜなら私は自由に考えているからだ。いや違う、この論法は心脳二元論への道であり、科学ではない。今また私の脳内で一個の素粒子が励起され、私は決断を下す。

251.
一個体だけの生命が存在し得るかというのはスタニスワフ・レム「ソラリス」以来の大問題だ。代謝する複雑な生命が進化によって生み出された以上、一個体だけというのはありえない。そこで問題だ。我々が木星へ向かう途中で遭遇したこれはいったいどうやって進化したというのか。

252.
アパートに戻って上着のポケットの中を確認したら直径二センチほどの玉が出てきた。継ぎ目のないつるっとした表面は複雑な色の輝きを放っている。いつどうしてポケットに入ったのだろう。ぼんやり眺めていると、窓の外から光が差し込んだ。「それを返してくれないか」その声は僕の心に直接聞こえてきた。


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