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マイクロノベル217-228

217.
仕事帰りに近所の公園に寄ってみた。もう夕暮れだというのに、ブランコに小さな女の子が座っている。泣いているようだ。「どうしたの」と声をかけても、首を振るばかりで答えない。途方に暮れていると、突然一陣の風が吹いた。こどもはぱっと顔を輝かせ、手を振りながら風に乗って空に消えていった。

218.
夢の中で君に会う。それはいつも同じ海辺の小さな町で、今日の僕たちは浜が見える喫茶店でコーヒーを飲んでいる。僕が何かを言い、君は楽しそうに笑う。夢の中の君はいつも笑っている。いつか、僕は海辺の小さな町で君に会うだろう。君は僕を見つけて微笑んでくれるはずだ。だから僕は今日も電車に乗る。

219.
この世界には隙間があって、たまたま迷い込むことがある。ふと気づくと、人々で賑わっていたはずの街には僕のほかに誰もいなくなっていた。静寂があたりを支配している。駆け回ってみても誰の姿も見えない。恐ろしくなって大声で叫ぶと、次の瞬間、街はまた人々の声に満ちていた。

220.
このメモリーに一時間前のあなたの意識が丸ごとコピーされました。今は一時間遅れであなたの意識を再現います。もちろん現実のあなたの意識と全く同じにはならず、やがて大きな違いが生まれるでしょう。その違いこそが現実のあなたから失われてしまった可能性です。直視する勇気が出たらご連絡ください。

221.
後頭部に装着する「後ろの目」が人気だ。人間の適応力はたいしたもので、しばらく着けていれば違和感なく後ろの様子を認識できるようになるそうだ。僕は試そうという気にならないのだが、この人気では遠からず後ろが見えないのは僕だけになるかもしれない。その時僕はどうするだろうか。

222.
公園の草の葉に朝露の雫が乗って、朝日を浴びてきらきら輝いている。近づいて覗きこむと、雫の奥に小さな世界が広がっていた。そこには広場があり、その真ん中に小さな教会が建っている。人々が朝の挨拶を交わしている。輝くその世界はやがて雫とともに蒸発して、世界の記憶だけが残される。

223.
木星は実は巨大な生命体で、大赤斑は目だと言われている。時々瞬きするところが観測されるのだから、目に間違いないのだろう。その木星とコンタクトするべく、初の有人探査船が接近中だ。試みにレーザーを大赤斑に撃ちこんでみると、大赤斑は眩しそうに瞬いて、ちょっとだけ涙を流した。

224.
過去に干渉しても、そこで世界線が分岐すればタイムパラドックスは起きない。干渉されて変化した過去はもう僕たちの過去ではないからだ。僕は十年前の僕が彼女の言葉に間違った返事をしたその瞬間に干渉した。十年前の僕は正しい返事をし、彼女と結ばれた。だがそれはこの僕には起きなかったことだ。

225.
遠くから音楽が聴こえる。それは合奏のようでもコーラスのようでもあり、どこかしら荘厳な響きを帯びていた。僕は音のするほうに足を向けた。音楽がだんだんはっきり聴こえてくる。さらに近づいていくと、やがて音楽は崩壊し、響きは失われ、そこには人々の雑踏だけがあった。

226.
一冊の短編小説集がベストセラーになっている。作家の正体は不明で、出版社もメールでしか連絡が取れないらしい。らしいと言ったが、書いたのはわたしだ。わたしが出版社に送った。もっとも、それはわたしの作品とも言いがたい。膝で寝ている猫の言葉をわたしはそのまま書いただけなのだから。

227.
早朝、何かを感じて外に出た。濃い霧が町を覆っている。その中を巨大な影がゆっくりと横切っていくのがおぼろげに見えた。その動きは生き物のようだ。僕はただ立ち尽くして、それを見ていた。それが去るとなにごともなかったかのように霧は晴れ、地面には何かが引き摺ったような跡が残っていた。

228.
数千年前の集落跡から巨大な粘土板が出土した。たくさんの溝と穴が掘られたそれの正体をめぐって蹇々諤々の議論が交わされている。いや、正体は明らかで、驚くべきことにそれは二進法の計算機としか考えられなかった。石を動かして計算するのだ。それが人工知能だったかどうかが議論の的になっている。

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