統計力学の計算で初学者が嫌になるところ(1)

Twitterを見てると、「統計力学の計算は近似がガバガバ」とかいう表現をよく見かける。それだけではどういう近似のことを言ってるのか分からなくて、指数関数の肩を二次まで展開してやめちゃうところかなとも思うのだけど、今回はそこではなくて、小さい数をどんどん無視する計算について書こう。

いちばん簡単な例として独立二準位系のミクロカノニカル・アンサンブルを考える。$${N}$$個の二準位粒子がある。$${N}$$はアボガドロ定数程度、つまり$${10^{24}}$$くらいのすごく大きな数としよう。各粒子は0または$${\epsilon}$$のふた通りのエネルギーを取れる。全エネルギーが$${[E,E+\Delta E]}$$であるような微視的状態を数えたい。ここで、$${E\gg\epsilon}$$とする。この意味は$${E}$$が$${O(N)}$$ということだ。ただし、$${O(N)}$$とは$${N}$$に比例しているという意味で、それが$${N/1000000}$$のように$${N}$$に比べて何桁も小さい数でも全然構わない。このあたりですでに初学者はつまづくかもしれない。

さて、$${E\gg \Delta E}$$とすれば、まあエネルギーが$${E}$$になる状態数を数えればいいから、$${E=M\epsilon}$$として

$$
\Omega(E)\Delta E = _NC_M\frac{\Delta E}{\epsilon} =\frac{\Gamma(N+1)}{\Gamma(E/\epsilon+1)\Gamma(N-E/\epsilon+1)}\frac{\Delta E}{\epsilon}
$$

と書ける。ここではエネルギーを連続値として扱うために$${N!=\Gamma(N+1)}$$を使ってガンマ関数で表した。ところで、$${N+1}$$なんていう項が現れたが、$${N\gg 1}$$なのだから、こんなものは$${N}$$でいいはずだ。ところが$${\Gamma(N+1)=N\Gamma(N)}$$なので、$${N+1}$$を$${N}$$と近似してしまうと、値としては$${N}$$倍違ってしまう。$${10^{24}}$$違うとなると、これはとても近似とは呼べないだろう。しかし、$${N}$$に対して1を無視できないようでは困る。そこで、近似値とは言えないけど、置き換えたよという意味で$${\rightarrow}$$という記号を使ってみよう。つまり

$$
\Omega(E)\Delta E \rightarrow \frac{\Gamma(N)}{\Gamma(E/\epsilon)\Gamma(N-E/\epsilon)}\frac{\Delta E}{\epsilon}
$$

とする。エントロピーはこれの対数だから

$$
S(E)=k_B\log \frac{\Gamma(N)}{\Gamma(E/\epsilon)\Gamma(N-E/\epsilon)}\frac{\Delta E}{\epsilon}
$$

となる。このイコールは$${O(N)}$$まで等しいことを表している。気になるなら$${\simeq}$$を使ってもいいけれども、どのみちボルツマンの関係式は$${O(N)}$$までしか意味がない。対数を取る前はとても近似値とは言えなかったものが、対数を取るとちゃんと近似値になるのがポイントだ。実際

$$
\log\Gamma(N+1) = \log\Gamma(N)+\log N
$$

で、$${\log\Gamma(N)}$$は$${O(N)}$$の量だから、たかだか$${\log N}$$の差は無視できる。つまり、対数を取ることを前提とすれば$${\Gamma(N+1)\rightarrow\Gamma(N)}$$として構わない。あとはスターリングの公式を使って

$$
\log\Gamma(N) = N\log N-N
$$

として、整理すればいい。ここでも$${N}$$に対して1は無視したが、これは問題ないのがわかるだろう。まあ、実のところこれはガンマ関数を使わずに$${N!}$$のままにしておけば近似なしにできたはずだけれども、これを近似なしに計算する意味は全くない。どのみち$${O(N)}$$より小さい量は最終的に無視する。

そんなわけで、$${N}$$に対して1は無視して構わない。当然、そうあるべきだ。ただし、対数を取る前はとても近似値とは言えない値になるので、気持ち悪いかもしれない。それでも、最後には必ず対数を取るので、結果は正しくなる。

あ、勝手につけた$${\Delta E}$$をどう処理するかも初学者にとっては嫌なところだな。非常に単純な話としては

$$
\log\Omega(E)\Delta E = \log\Omega(E)\epsilon+\log\frac{\Delta E}{\epsilon}
$$

とすれば、第二項は$${O(\log N)}$$なので($${\Delta E}$$は$${O(N)}$$とする)無視できる。もっと議論できるけど、結果はどのみち変わらない。これじゃ$${\Delta E}$$をただ無視しただけじゃんと思うかもしれない。ただ、$${\Delta E}$$程度の幅でエネルギーを均して考えるよという「エネルギーの粗視化」をしているので、$${\Delta E}$$は暗黙のうちに残っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?