見出し画像

それでも私は東京に住みたい #どこにでも住めるとしたら

滋賀が好きだ。だから、東京に住みたい。

6年前に東京に出てきた。故郷の滋賀県が嫌いなわけではなく、むしろ愛している。なんてったって、SNSアカウントだったり何かしらのIDにはbiwakoの文字列を手を替え品を替え入れてきた。私の魂は間違いなく滋賀にある。

だからこそ一度、東京に出ておかないといけない気がした。例え10年後「やっぱり住むのも滋賀が最高やわ」となり、滋賀に戻ったとしても、東京で生きたという経験が、私に何かをもたらす気がした。そして東京6年目になった今現在、東京を出たいという気持ちも、地元に帰りたいと言う気持ちもまだない。確かに今、私は東京に住みたい。

これは自論だが、コミュニケーションに自信がない、もしくは積極的になれない人間、すなわちコミュ障ほど、東京に住むべきだと思う。

上京する前は、東京は冷ややか場所だと思っていた。皆仕事に打ち込み、無表情な顔で満員電車に揺られる。「東京」だとか「トウキョウ」だとか「TOKYO」みたいなタイトルの歌には、だいたいそんな歌詞が入っている。人は死ぬほど多いのに、皆寂しさに生きている場所、東京。

実際出てきてみて、少し違うなと思った。東京という狭い場所に、何百、何千ものコミュニティが折り重なっている。それぞれが時に強く、時に弱く、結びついたり綻びたりしている。

皆が口にしたくなる“冷たさ”みたいなのは、一旦その輪を去れば、もう関わらないことが可能な点を言っている気がする。一人の人に執着するには、あまりにも人が多すぎる。田舎だとこうはいかなくて、会いたくない人が、ふとした瞬間に見え隠れする。東京に生きる私は今、もう会いたくないと思った人にも、会わずに過ごせている。横の部屋にどんな人が住んでいるのかも知らないし、知らなくても生きていける。

一方で、東京にも、人同士の密度や新陳代謝を加速させるタイプがいる。人を集めてイベントを企画したり、幹事をしたりするのが大変上手いのだ。彼らはきっと、田舎にいたとて、そういうのが上手いだろう。しかし、“ムラ”は基本的に保守的であることが多い。彼らの起爆力を受け入れられる土壌が整っている“ムラ”でないと、彼らも力を100%発揮しきれないはずだ。

「東京」というのは、もはや土地という概念から離れて、企画上手な彼らの企画を最大限に盛り上げる力のある“仕組み”だと思う。個の多さが、集団の保守を超えてくる。彼らが企画したイベントに、予想もしない参加者が登場したりするのだ。例えば私の高校からの友人(都内在住コミュ障)は、Twitterもインスタもしていないが、最近peatix経由で、都内の歴史にゆかりのある地に訪れて、その縁を学ぶ会に参加するようになった。田舎だと、毎回同じメンバーだったり、趣味とは違う、リアルな関係値の人と一緒になったりしてなかなか楽しめなかったり、参加が億劫になるけれど、東京だと、あまりその心配がないらしい。東京の淡白さが生み出す、コミュ障にとって心地よい繋がりが、ここには確かにある。

東京の日本橋の駅を出てすぐに、滋賀県のアンテナショップ「ここ滋賀」がある。2023年で5周年。5年前出来た時は東京に出てきてる友達たちと「あんな一等地に、滋賀のアンテナショップ・・・!?」なんて言っていたごめんなさい。(言っとくけど、東京に出てきている滋賀人の、滋賀県認知度への自信の無さはすごい。わたしも、こんなにも岐阜と間違えられるなんて知らなかった。)そんな心配をよそに、コロナ禍もしっかりと耐え凌ぎ(無論かなりの苦労があったはずだが)久々に行けば大盛況だった。企画上手の鑑だ。

今回久々に立ち寄った理由は、私の故郷湖南市のお隣、信楽を拠点にされている方が中心となる食のイベントがあったからだった。


滋賀県に住んでいた時は私も毎日通勤で通っていた国道307号線沿いに、「釜炊近江米 銀俵」というお米が主役の定食屋さんがある。ちょうど私が東京に出てくる頃に建物が完成したはずだ。山続きの道に、なんだか人けのある建物が出来て、気になりながらの上京だった。こちらを営んでおられる能登さんは、幼少期を信楽で過ごされたとのこと。大人になり、信楽が忘れられなかったそうで、今は信楽でのお店の運営に始まり、自然との共存を真剣に考えるとどうやら誰もがたどり着くらしい養蜂にもチャレンジされている。そんな能登さんも、一度滋賀を出て、都会で広告代理店の営業をしながら、某サンドイッチ店FCの店長を兼任していたとのこと。きっとこのエネルギーのチューニング期間というのが、大好きな田舎を拠点にして、しっかり食べていけるだけの仕事をしていくための一つの秘訣だと思っている。(無論必須だとは言わないが、最近ニュースなどでみる、田舎への移住失敗、という話題なんかは、この辺りのエネルギーバランスがとれてないことが原因のひとつにもなっていそうだと、田舎出身の私は思う。)

私は、地元にいたら、きっとこのお店のことを、こんなに深く知る機会はなかったと思う。必要ない情報がたくさん入ってくるからだ。大好きで、思い入れのある場所と、少し距離を取ることで必要な情報を必要なだけ得て、客観視できる。アウトラインをしっかり把握できるので、お店やコミュニティへの関わり方が分かりやすい。東京という“仕組み”が、私を積極的にさせる。私は東京の力を借りて生きている。

本来の私の力ではない、東京の魔法でできている私の積極性とコミュ力が実を結び、仕事になったりもする。私なんかが滋賀に定期的に帰れるお金を稼げるようになったのも、私の努力ではない。全部東京のおかげだ。

だから私は、東京に住みたい。


P.S.
去年仕事の都合で1ヶ月ニューヨークに滞在する機会があった。スターバックスでコーヒーを頼んだら、ちょうどかかっているBGMが店員のお気に入りの曲だったらしく「この曲俺歌いたいから、終わるまで注文のサーブ待ってくれ」と言われた。驚いた顔をしている私を横目に、後ろに並んでいたお兄さんが「確かにいい歌だけどさ、俺らはお前のリサイタル聞きにきてんじゃねえんだ」って言ってくれて、私のコーヒーが出てきた。毎日そんなことの連続だった。
正直、とても楽しかった。私は3年前に猫を家族として迎え入れているので、生活拠点を短期間で転々とするような事はできないけれど、次何かのきっかけで大きく生活拠点を変えるなら、海外に行ってみたい。住みたいと思う場所には、きっと、なりたい自分を実現してくれる仕組みがあるんだと思う。自分のペースで、自分に合った場所で、その土地の力と仕組みを借りながら、よりよく生を全うできればいいなと思う。

#どこにでも住めるとしたら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?