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歯医者とポテトとマッサージ

 昨日生理がやってきた。具合が悪いわけではないがなんだか落ち着かない。昨日はとても混乱していた。どことなく悲しくて、疲れていた。頭も喉も痛くないのに、体だけはまるで風邪を引いた時のようにだるかったのだ。
 今日の天気は曇り、働いた祝日の振替で休みをとっていた。私の心は物悲しさに包まれたままである。映画を観に行こうかと思ったけれどそれすら億劫で、上映時間を考慮しながら家を出るのが、時間に追われるようで辛かった。また、3時間弱の映画を観てしまうと書き物をする時間もあまりなくなるというのがわかっていて、それも心にささやかな罪悪感の影を落とし込んでいた。何かを書かねばという意識はあるので、MacBookを背負って外に出るのだろうけど、その重さも嫌だった。肩が張り、やはり身体は疲れているのである。夕方には友人と予定がある。それまで家にいてもいいではないか。
 こんな気分でお天気の悪い日の休日の過ごし方は難しい。マットレスでゴロゴロしていてもストレスが溜まるだけである。仕事の事情で平日だが家に残った旦那さんは、相変わらずこつこつとイラストを描いている。
 同じく休みだった昨日はデンタルクリニックに行った。虫歯の治療は終わり、今は定期的なクリーニングである。相変わらず磨き残しがあり、ブラシ部分が強い力で押されてしまって磨けていない部分があるから、優しく磨くようにとアドバイスを貰った。元々とても硬い歯ブラシを好んで使っていたら、それで歯茎が下がっている可能性があると言われここ数ヶ月は普通の硬さの歯ブラシに戻していた。力強く磨くのは重要ではなく、優しく小刻みに対応していかないと綺麗にはならないのだ。
 自分の歯を手入れされながら、ぼーっと考え込んでいた。通い出したのはつい最近である。そういえば数年前、初めて正社員になった年に、何かきっかけがあって旦那さんと一緒に、別の区の当時の住居の近くの歯医者に通い出した。それまでは、もう、約5年程は通っていなかったと思う。アメリカ留学中は保険適応ではなく高いから、日本に帰ってきてからは大人だから、全て自己責任であり、何よりも経済的な余裕がなかった為だった。演劇活動をしていて、劇団に入ったり、アルバイトを繰り返していた日々には、たった数円が足りずにセールのお弁当が買えなかったり、銀行の残高が少な過ぎてその必要な数円を引き落とせなかったりしていた。バーテンダーとしては毎晩日払いだったから、あまりお店に立てない日が続くと、現金を貯めて、家賃と光熱費を払うので精一杯だったり、クレジットカードは怖くてそこまで使っていなかったけれど、カードで溜まったポイントでスーパーで買い物をして食い繋いだりしていた。しかし、そうとは言っても都内で十分一人暮らしができるほどにはお金を稼ぐことはできていたし、好きなものを好きなように買って自由には暮らしていた。しかし、そんな生活では、飲み食いにお金は使っても、自身の口内環境のメンテナンスまで気が回らないものなのである。
 その後、正社員として会社勤めを初め、結婚をし、その歯医者には数ヶ月通っていたが、ある日急用で予約をキャンセルし、そのまま通うのを辞めてしまった。ちなみに私よりよっぽど歯磨きやフロスが上手な旦那さんは、数回のメンテナンスで、半年に一回ほどでいいですよ、と言われそのまま通っていない。虫歯はないだろうし、毎日数回歯を丁寧に磨いているのを見ているので、私も何も言っていない。
 問題は私である。
 ある日自分の口臭が気になり、歯を磨いても磨いても気になるものだから、歯と歯茎の間に挟まった何かが腐ったに違いないと思い込み、もう手遅れかもしれないと思って今通っているデンタルクリニックに飛び込んだ。結果、歯周病と虫歯が見つかり、その虫歯治療を昨年末に終了したばかりである。数年選手の歯石も綺麗に取り除かれ、私とて歯磨きをしていないわけではなかったのだから、どこも腐っているわけではなく、結局例の口臭はその後うがいを繰り返してあまり気にならなくなった。そいつはある日突然気になって、うがいを一生懸命頑張ると消えてくれたものなので、歯や歯茎が原因だったのではなく、もしかしたらインターネットで検索して出てきた情報ではあるが、喉の奥に現れる「臭い玉」というやつの仕業かもしれなかったと思っている。私は人の口臭が大嫌いで、男女問わず特に珈琲を飲み続けている中年の方の口臭に衝撃を受けることは少なからずあったので、常日頃から気にはしていた。ただ、歯の点検はしていなかったのである。
 眠かったのか、生理によって、精神的に不安定だったからなのかはわからないけれど、とにかく私は歯をクリーニングして貰いながら色んなことを考えた。デンタルクリニックに通える自身の精神的、金銭的余裕に驚いた。先に述べた通り、数年前なら痛い出費であっただろう。例え1ヶ月に1時間でも自分の身体のメンテナンスの為に、時間を作れるか。落ち着いて平穏に座っていられるか。自身の収入が著しく低く、安定していない場合、こんな簡単に聞こえることが非常に難しく、気にはなっても無視して生きていくものなのである。
 その後諸事情で税務署に行き、都税事務所に行き、旦那さんとファストフード店でポテトをつまみながら一息ついて、また似たようなことを思った。その狭い空間には、小さな椅子とテーブルが所狭しと設置されていて、都内の小学校の制服を来た子供とその母親と思われる女性、スーツを着たサラリーマンがいて、みんな静かだった。そして高校生もしくは中学生と思われる学生たちが、やはり制服のまま黙って勉強をしていた。外は雨が降ったり止んだりだったから、店内でも感じる高い湿度や気圧の不安定さも相まってそんな気分になったのに違いない。私は自身が学生だった時や、フリーターや劇団員だった時を思い出していた。勉強や作業をしに、こういった場所に何度も来ていたし、時には500円以下の注文で、数時間は留まっていた。お店に迷惑だとかは考えなかった。そして、小さな椅子や狭い一人当たりのスペースにとても満足していた。集中力がなく、冷え性で自宅では凍えて布団から出れない私にとっては、外に出た方がよっぽど効率が上がるので、ファストフード店のような場所に、本当に助けられてきたのだ。
 最近の私が、書き物や雑務をしようと外に出た時に、向かうのは大手チェーンのファストフード店ではない。カフェや喫茶店が殆どである。珈琲やそのほかのメニューに簡単に1000円、2000円払って、しばらくするとすぐ別の場所に移る。食事も妥協も我慢もしない。例えローンがあるとはいえ、その出費で路頭に迷うことはない。それよりも気分やモチベーションを維持する方が大切で、自分の心地よい過ごし方の為には払ってしかるべき金額だと思ってしまう。だからたまたま旦那さんと一緒で、その場ですぐに入れる場所を探してたおかげで、ファストフード店で半日を過ごしていた数年前の自分と再びすれ違ったような、センチメンタルな気分に陥った。
 そのまま家に帰る旦那さんと別れ、夜の約束まで時間があったので、その予約をしたお店の近くにあった安いマッサージ店に入った。対応してくれた恐らく中華系の店員が、タイやマレーシアにいる同僚を思い起こさせて、その雰囲気に安らぎを覚えた。マッサージやエステなど、調べれば1時間一万円を超えてしまうお洒落なところが殆どである。そんな中、4000円でたっぷり1時間、整体をお願いできるお店だった。気軽に行けるお店がファストフード店から喫茶店へ変化したことは、少なくとも隙間時間にマッサージに行こう!と思うことができる金銭的余裕ができたことは示してはいるが、決して一万円以上を気軽に出せる身分ではないことを、改めて考え込んでしまった。

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