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「行動」することから始まった、東北とのつながり

代表の原田、事務局長の弘田、食堂事業責任者の武田、3名の今までとこれからをお伝えするインタビュー企画。

きっかけ食堂設立10周年ということで、団体を支える3人に東北との関わりや団体への想いを事務局の青山がインタビューしていきたいと思います!

-3人とも東北出身ではないと思いますが、震災当時、なぜ東北に関心を寄せたのでしょうか?

代表:原田奈実さん(以下:奈実さん)

東北に初めて行ったのは震災から1年経っていない、高校2年生の時でした。
訪れたきっかけは偶然で、高校で東北に行ける枠があり参加したからです。
現地の状況に衝撃を受け、「自分は来るべきではなかった」と後悔し、
無力感を感じたのを覚えています。

しかし、現地の人から「ありがとう」「今の若者に期待しているよ」と声を
かけてもらいました。この言葉を忘れられず、期待に応えられる人間に
成りたいと思うようになりました。

それから、何ができるかはわからなかったけれど、東北のために何かしたいと行動し始めました。東北に通ったり大学も社会学部で学んだりと、
東北に対して何ができるかを模索する日々が始まりました。

事務局長:弘田光聖さん(以下:光聖さん)

僕は震災から半年後の夏、高校2年生の時に、「東北にいくボランティアを
募集」という学校の掲示板を見て、参加したことが東北との始まりです。

当時、東北から離れている高知県に住んでいたこともあり、
震災から半年ぐらい経つと何事もなかったかのように過ごしている周りに
違和感を感じていました。

また、「何かしたい、何かできないか」と考えていた時だったので、募集を
見てボランティアに参加することにしました。
現地に行くと、震災から半年も経っているのに瓦礫だらけの道や、高知の
温度感との差に衝撃を受けました。

語り部として話していただいた方は家が流されていたりするのにもかかわらず、前向きに復興に取り組んでいる姿をみて、自分自身の人生に対する真剣さとのギャップを感じたことを特に覚えています。

また、現地の方に言われた
「「この現状を伝え、この教訓を生かすこと」もあなたたちにできること」という言葉は、その後の大学選びや大学時代の東北でのボランティア活動に影響されました。

食堂事業責任者:武田彩さん(彩さん)

震災当時、中学3年生で卒業式前ということもあり、時間があったので家でテレビを見ていました。テレビでは津波の映像がずっと流れていて、何もできない自分に無力感を感じていました。

さらに、石巻の高校生が避難所で新聞を作ったりラジオ体操をしている記事を読み、「自分は何もできていない」と強く思っていました。

そのような中、高校生50人ぐらいで気仙沼に行きました。
当時は「現地に行ってもうかつに被災体験を聞くものではない」という風潮が一部ではありましたが、漁港で会ったおじさんが話しかけてくれ、被災体験をリアルに教えてくれました。

話す中で「私たちに何ができますか」と聞いた時に「来てくれるだけで嬉しい」と言ってくれる人がたくさんいました。
その時に、「この地域が好き、この人たちにまた絶対に会いに来よう」と思ったのを覚えています。

それからは、「地域のために何かする」というより親戚に会いに行くような感覚で、東北に通い続けています。

きっかけ食堂の始まり

-それぞれの「何かしたい」という想いから、行動につながり、
東北での経験がきっかけ食堂の原点になっていることがわかりました。

-その後、奈実さんが当時のメンバーときっかけ食堂を設立し、光聖さん、
彩さんがだんだんと参画したと思います。
きっかけ食堂を始めた想い、メンバーになった想いをお聞きしたいです!

奈実さん
きっかけ食堂は2014年5月に京都で始まりました。
震災から3年が経ち、震災が風化し始めていました。

2013年に東北に行った時、私の恩師である東北の方に「東北が忘れられている、来る人が減った」と言われました。
この時にハッとし、東北が忘れられないために何かしたいと思いました。

東北に通う中で、京都から東北に何度も通うことの難しさや、京都にも東北に関わりたい人がたくさんいることに気づきました。
「ハードルを低く、京都にいながらでも東北に関わる場」を作りたいと考えました。

「東北には美味しいご飯があり、素敵な人がいることを知ってほしい、毎月11日だけは東北を考える日にしたい」
この想いを胸に、きっかけ食堂は始まりました。


光聖さん
大学生の時からきっかけ食堂の存在は知っていて、参加者として参加していました。
奈実とは、別の団体で一緒に活動もしていたし。

そんな中、奈実も僕も社会人になり東京に出てきた時に、奈実から
「お世話になった生産者さんが廃業してしまう。東京でも何かできないかな」と相談を受けました。

さらに「きっかけ食堂の活動を続けたい、何か東北の力になりたい」という奈実の熱い想いを聞いて、「じゃあ一緒に東京でも始めよう!」となりました。

きっかけ食堂は社会に何かしら価値を提供できる団体になるだろう、という想いもあり、きっかけ食堂での活動を始めました。


彩さん
私もきっかけ食堂の活動は大学生の時から知っていました。
大学生の時は、それぞれがそれぞれのやり方で東北に関わっていました。

しかし、2018年ぐらいから東北で活動していたメンバーがきっかけ食堂に集まっていました。そんな流れを見て、楽しそうだなと思っていた時に、メンバーにならないかとお誘いを受けました。

ちょうど社会人1年目のタイミングで、社会人を続けながら1人で東北の活動を続けることの難しさも感じていました。
1人で活動をするより組織に属して組織として活動する方が、東北の魅力をより多くの人に伝えられると考え、メンバーになることを決めました!

-設立から10年。活動を続ける中で、数え切れないほどの思い出があると思いますが、皆さんにとってのターニングポイントはありましたか?

奈実さん
団体をNPO化した時かな!
社会人になってもきちんと続けたいからこそ、社会に対しても自分たちが活動を続けるというメッセージを込めてNPO化しました。

それまでは学生団体だったけど、NPO化したことで、自分自身のマインドが変わったなと思っています。

現在の理事である久保匠さんが参画したタイミングでもあり、匠さんに言われた「NPO法人化とは社会に対してきっかけ食堂という子供を産むことようなもの」という言葉は強く心に残っています。

社会に対してきっかけ食堂という名前を報告し、どう育てていくかを考えていました。


光聖さん
この時期ぐらいから、主語が「団体として、組織として」に変化しました。
「自分たちが、私がどうしたいか」という視点からの変化があったなと思います。
経営者にならねば、という気持ちも奈実さんと僕の中で結構感じていました。


彩さん
私は、コロナ明けのタイミングですね。
コロナが落ち着いてきて、京都を復活させたのが3月11日だったのですが、
これから毎月やろうと行き込んでいた割に、久しぶりということもありお客さんが減ってしまいました。

その状況をみて、どう復活させるか、お客さんは戻って来るのかと悩んでいました。
そんな時に「3月11日に復活させたことに価値がある」とお客さんに言われ、「あ、きっかけ食堂は東北に想いをはせる場として機能し、受け皿になっている」と実感しました。

そして、私たちの事情(メンバーがいないとか)で、この場所をなくしてはいけない、食堂を続けていこうという覚悟が決まりました。

「誰もがどこにいても地域への想いをカタチに」

 -最後に、活動してきて感じることやこれからへの想いをお願いします!

奈実さん
やはり「継続は力なり」ですかね。
他の団体がなくなったり、一緒に活動していたメンバーがいなくなったりしているけど、続けてきたからこそ信頼していただいているところはあると思います。

東北が好きだから行く、東北が好きだから関わり続けたい、
そんな人たちにとっての関わり続ける場でありたいと考えています。

「誰もがどこにいても地域への想いをカタチにする」という私たちの
ビジョンをみんなで取り組んでいきます。

光聖さん
学生活動として初めたことが組織化され、提供できるもの価値が言語化され、事業もブラッシュアップされてきたと思います。

少しずつだけど、団体としてできることも増え、組織として社会に提供できる価値が増え、誰かにとってなくてはならない場になっているのではないでしょうか。

これからは「誰もがどこにいても地域への想いをカタチに」というビジョンとともに、1人の人間として、誰かのため、地域のためにどう行動するのかという、生き方を表現していくプラットフォームとして機能していくのではないかと考えています。

彩さん
自分が東北や地域のためにというより、団体として何をしたいかという、主語がきっかけ食堂に変わってきたと感じています。

メンバーや関わってくれる人が「地域への想いをカタチに」するために自分が何ができるか、サポートをできるかということを考え続けています。
1人や会社ではできないことを、フラットに応援しあえるチーム。

経営チームが「社会や地域にきっかけ食堂として何をできるか」と考え、メンバーが「11日のために何ができるか、何をしたいか」というところを考えられる団体だから、大事に育てていきたいです。

青山も含めて全員できっかけポーズ!

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