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「男らしさ」と心中する淫夢厨たちへ

マッチョな淫夢厨たち

長い間ツイッターをやってきて、あなたも色々な”界隈”を経験してきたと思う。もう二度と関わりたくない界隈や、よくわかんないけど存在だけ知っている界隈もあるだろう。

そんな多岐にわたるツイッターの界隈だが、その一部に寄生虫のごとく入り込んでいる一派が存在する。

ご存じ、”淫夢厨”である。

淫夢厨とは、「真夏の夜の淫夢」関連で周囲に迷惑をかける者を表す蔑称

ニコニコ大百科


ニコニコ動画での淫夢MADの全盛期もとうの昔に過ぎ去ったというのに、彼らはゴキブリのようにしぶとく生存を続けている。
さまざまな面から批判できる『淫夢ネタ』だが、その是非を置いておけばコンテンツとしての強さは底しれない。いまもなお彼らが存在することがその証左であろう。

かくいう僕も、昔は淫夢厨をやっていた。
はじまりは中学3年生のとき、親にねだって買ってもらったiPod touchが元凶だった。僕はそれでいろんな遊びをやった。
フリーゲームや動画視聴、小説投稿やSNS。黒歴史のオンパレードである。
そして、そのなかで仕入れたうっす〜い知識で淫夢厨もどきをやっていた。死ぬほどつまらない赤大文字コメントの連投や、バズツイにたいして”語録”だけのクソリプを飛ばしまくる等々。本当に最悪である。

高校に入ってからはあるスマホゲーにめちゃくちゃハマり、団体戦のためのチームに所属したのだが、そのチームメンバーが典型的な淫夢厨だった。会話の分以上がミームの応酬で、自分自身の言葉などほとんど存在しなかった。
そこはいわゆるホモソーシャルを拗らせた集団だった。

ホモソーシャル(homosocial)
homoは「同じ」の》同性同士の社会的なつながり。
[補説]近年では、マチスモ(男性優位主義)を前提とした男性同士の連帯感について、否定的に言及されるときに使われることが多い。

小学館『デジタル大辞泉』

とりあえず同性愛者や女性を馬鹿にしていたし、勝つために完全な不正行為にまで手を染めていた。
僕自身もそういうノリに乗じていたが、段々違和感を感じるようになり徐々にそのグループから距離をとっていった。

その後はいろんなコミュニティに属しては離れるというのを繰り返していった。今ではそれぞれの界隈の数人と仲良くしたりしなかったりの、ふらふらした立ち位置に落ち着いている。

だからだろうか、僕はツイッター上のいわゆる”界隈”に属さない人たちが好きになっていった。なんとなくだが、そういう人たちの言葉はすごく「自分の言葉」であるような感じがするのだ。
観察眼や洞察に優れているのに、肩の力の抜けたツイート。
嬉しいことにそういうツイートをする人はたくさんいる。名前を上げればキリがないのだが、例えばジロウさん(https://twitter.com/jiro6663)のツイートも流れてきたのをみてすぐにフォローをした。

確かそれは質問箱に答えていたやつだったと思う。質問してきた人を軽やかに茶化していたのがとてもよかった。他のツイートもチェックするとフラフラしている感じがあってそれもまた好きだったのだ。

そんなふうにただのツイッタラーとしてフォローをしたのだが、プロフィールをちゃんと見ると実は社会学者であったらしい。中井治郎(以下ジロウさん)というお名前で本も数冊出しているそうだ。結構失礼な思い違いである

近著には『日本のふしぎな夫婦同姓』というのがあり、とっても面白そうだったので購入して読ませていただいた。いや、勝手に感じた申し訳なさを解消するためなんかでは決してない。本当に。

社会学者、妻の姓を選ぶ

中井治郎,『日本のふしぎな夫婦同姓 社会学者、妻の姓を選ぶ』
PHP新書,2021

この本は雑誌の連載が元になったルポタージュで、実際にジロウさんが女性の苗字に改姓して経験した出来事や、制度、歴史的な側面から日本の結婚・家族のあり方について掘り下げていったものである。

新書ではあるんだけど、書き方がかなり崩されているのですごく読みやすくなっている。それこそツイッターでジロウさんの話を聞いているような感覚の延長で読めてしまうのだ。
おかげで一つ一つがすごく身近に感じ、改姓に関する問題を自分ごととして考える良い材料になると思う。特に男性はそういう機会が少ないと思うのでオススメ。

しかし、もちろん読みやすいだけの本というわけではなく、ちゃんと踏み込んで指すところはしっかり刺してくれる。
特にブッ刺さってしまったのが「なぜ男たちは改姓しないのか」という大きな問いに答えようとするところである。

今日、日本で結婚するカップルの96%が男性の苗字に改姓しているという。たしかに言われてみれば身の回りで改姓した男性は珍しいが、なぜこんなにも圧倒的な数字になってしまうのだろうか?

変われない男たち

その理由としてぱっと思い浮かぶのは「男が家を継ぐものだから」などだろう。しかしジロウさんは自身が改姓した経験などから「『家を継ぐかどうか』の問題ではなく、『男らしさ』の問題」だと指摘している。

意外なことに男が苗字を変えなくなったのは、むしろ家を継がなくなってからだという。その変化が起こり始めたのは高度経済成長期のこと。

それまで社会の中間層は「家」のみんなで家業を営み生計を立てていたのだが、高度経済成長期になると都市化・工業化が一気に進行し、中間層が企業に勤めるかたちで生計を立てるようになったのである。

「家」で生計を立てているときは家業を守ることが最優先だったので、長男以外の兄弟や婿・養子が家を継ぐことは珍しくなかった。同様に長男も婿入りすることも珍しくなかったのである。
しかし高度経済成長期以降、家業ではなく「出稼ぎ」によってお金を稼ぐようになるとそういった機会は少なくなった。

また企業に勤めお金を稼げるようになった人々(それは主に男性だった)が「家」を脱出することができるようになり、都市部でいわゆる核家族を形成した。
これまでは「家」全体で稼ぎ生計を立てていたのに対し、核家族では男性のみが稼ぎ主になるため、その結果男性中心主義が強まることになった。

そして結婚においても、親の家を受け継ぐことより「男の苗字を変えない」という男性のアイデンティティの同一性の保持が重視されるようになっていったようだ。

(中井,2021)98

こうした「男らしさ」が未だに僕らの中に根付いており、男が改姓することへの抵抗感を生んでしまっているのだろう。

変わらない「男らしさ」が僕らを縛る

いわゆる核家族が成立するためには、夫の稼ぎが大きくまた安定していることが必須であった。しかしバブルは弾け、雇用は流動化し、稼ぎは不安定になっていった。
それでも未だに男たちは「男が稼ぎ主たるべし」という自負を捨てられていない。そしてその自負が「96%」という圧倒的な数字に繋がってしまっている。

欧米では、雇用が不安定になるとパートナーを探す動きが強まったが、逆に日本では男性が結婚市場に参入する前に諦めてしまうという。
先の見えないこの時代、助け合って生きていくほうが確実に楽なのに、僕らはこの自負を捨てられず自らをどんどん苦しめてしまう。

この時代に性愛や結婚から撤退した男たちは「男らしくない」のではない。むしろ、そのうちの少ない人々は自分の中の「男らしさ」と心中しようとしているのかもしれない。そんなことを痛感した。不自由なんてものではない。これは生存に関わるミスマッチである。

(中井,2021)135

マッチョなオタクたちへ

「男らしさ」が性愛から撤退する要因になるというのは本当に目から鱗だった。むしろ「男らしさ」は性愛に必須だと語られがちであるが、その真逆である。

この一節を読んだとき「めちゃくちゃ面白い!」という興奮と共に脳裏に浮かんできたのが、あの淫夢厨たちの顔であった。
彼らは「男らしさ」を煮詰めたような男たちで、しかし彼らのそれが世間で言われているようなモテに直結することはなかった。むしろ「男らしさ」は女性を排除する方向に作用していた。
そういう彼らの世界はものすごく狭く見え、息苦しそうにさえ見える。
こういうのは余計なお世話かもしれないが。

必ずしも男らしい奴がモテなかったりするわけではない。彼らが「稼ぎ主」やなんらかの「強者」である限り、むしろ男らしい奴の方がモテているように見える。だが強者になることができるのは一握りの人間だ。

ならば「強者」になれない僕たちは、「男らしさ」から降りた方が絶対に楽なんだと思う。

淫夢厨もとい、マッチョなオタクたちへ。あるいはゲーマーたちへ。
もしあなたが「男らしさ」に苦しめられているのならば、そこから降りる選択肢もあるんだと伝えたくて、これを書き始めた。

それが難しいのはわかる。これまでずっとそれで生きてきたのだと思うし、だとするとそこから降りるのは多分恥ずかしい。属しているコミュニティによってはそれが背信行為のように感じるかもしれない。

だが決して「全部降りる」必要はないし、そんなに身構えることもない。
「ああ、これ自分の首絞めてるな」と思ったときに、片足だけ降りてみたり、あるいは戻ってきてみたりしてみてほしい。

そもそもずっと「男らしい」人も、ずっと「男らしくない」人もそういないんじゃないかと思う。あなたにも「男らしさ」から降りている瞬間がどこかにあるはずなのだ。

僕にだって、女性にだって「男らしい」瞬間はあるし、なんならある種の「男らしさ」は必要不可欠でさえある。
この記事を書くのにも「男らしさ」は絶対に必要だったと思う。
しかし推敲を終わりにしてこのnoteを手放す判断ができたのは、どちらかというと「男らしさ」から降りた結果のことである。

この国の今の豊かさををもたらしたのが「男らしさ」であるというのは紛れもない事実だ。いまもそれで稼いでいる人もいることも事実である。
だが現状、その「男らしさ」だけでは中間層の生活が苦しくなってきている。それでも「男らしさ」を捨てられないから、男たちが性愛から、結婚から撤退し、さらに自分の首を絞めてしまっている。この悪循環は断ち切られるべきだし、そしてなにより自分自身が苦しいと思う。

だから、何故かはわからないけど苦しいときや、何かに追い詰められていると感じたときは、一度自分の中の「男らしさ」を見つめてみてほしい。もしかしたらその「男らしさ」のせいで、余計な苦労を抱え込んでしまっているかもしれない。
もしそうだったとしたら、それを手放して、周りに助けを求めたりしてみても、いいんだと思う。

うまいこと共生して、生き延びていこう。

《読んだ本》
中井治郎,『日本のふしぎな夫婦同姓 社会学者、妻の姓を選ぶ』,PHP新書,2021

追伸
めっちゃ頑張って書いたので、だれかビール奢ってください!
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今は「実力も運のうち」や「ブラックスワン」などと格闘していますが、ジェンダーに関するものもどんどん書いていきたい思いますので応援よろしくお願いします。

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