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もったいないの呪い

私は「やめること」が苦手だ。

継続することが苦手な分、自ら何かをやめることをもったいないと思ってしまう。

今まで大きな「やめる」決断をしたのは二回。

一つ目は、幼少期から習っていたダンスをやめたことである。

始めは純粋に楽しくて続けていたものの、中学高校に進むにつれ本当に楽しんでいたのかと言われると分からない。

自分が長く時間を費やしたもの、唯一続いたものを手放すことが怖かったのだと思う。

大学の受験勉強というありきたりな理由で辞めることとなり、複雑な思いからあっけなく解放された。

義務のような習慣から、好きな時に踊ってもいいという環境に変化した今、ダンスサークルに所属し自由気ままに踊ることを楽しんでいる。

やはり自分はダンスが好きだと気がついたし、自分にとって大切なものだと実感できた。

二つ目は、留学である。

私は小学5年生に英会話教室に通い始め、漠然と外国に興味を持った。

中学校では英語が好きで、英検に向けて自分で勉強するのも楽しかった。

高校では「留学」を基準として大学を探した。

今思えば、なぜ留学にそこまでこだわっていたのかは分からない。

「英語が話せる人ってかっこいい」

小学生の頃のこの気持ちがここまでこじれるとは思わなかった。

高校生の私は、将来の夢や心躍るようなことにまだ出会えていなかったから、その気持ちに頼るしかなかったのだろう。

そして今、留学がカリキュラムに組み込まれる学部で、留学をしないという選択をした。

一番気になっていた海外のインターンシップがコロナウイルスの影響で中止となったことを受け、それ以外の場所に行く理由がどうしても見つからなかったからだ。

現地の食事をしてみたい、街並みを見たい、文化に触れたい、、、

海外旅行で満たせるような理由しか思い浮かばなかった。

そして、ここまでこじれた原因となった「英語が話せるようになりたい」という理由。

なぜ英語が話せるようになりたいのかをたくさん考えた。

かっこいいから?就活でアピールできるから?昔から続けてきたことだから?

将来英語を使うような場で働きたいと思っていない自分にとって、
時間を費やすようなものではないかもしれないと目が覚めた。

一つの自慢できるスキルとして持っていたかっただけなのかもしれないと思った瞬間、明確な目標が言語化できない今の状態での留学は意味がないと判断した。

以上のような二つのやめる決断をして、予想以上にやめることはあっけなかった。

今まで悩んでいたことがばかばかしくなるくらい。

好きから続けてきたことがこじれて、本質を見失っていたため、やめることで再確認できた気持ちがあった。

もし同じように悩んでいる人がいるならば、やめることで始まることがあるからこそ、区切りを自らつけることがいかに大切かを伝えたい。

もったいないという未練で、新しい機会を逃さないようにしようと思う。



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