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揺れている心に気づくだけ

2012年くらいだったと思う。
わたしの好きなアーティストの原田郁子ちゃんとタムくんの愛称でお馴染みのウィスット・ポンニミットさんが「ゆれないこころ」という曲を歌っていた。

その頃確かその2人のライブも観に行っていた。

2011年は東日本大地震が起きて、わたしはその地震が起きた時は東京のビルの高層階で働いていて、高いビルだから遠心力のせいなのか回るような揺れを体験した。(後に高いビルでは働きたくない、何があっても自宅に帰れる場所で働きたいと思うようになった。)

埼玉の自宅にはその日は帰宅できなくて、その後も暫く余震があったり、計画停電があったりして、揺れるということにはしばらくとても敏感になったし、辛い思いをたくさんしている人がいるのに笑うことは不謹慎なんじゃないかと思う気持ちがしばらく続いていた。

星野源くんが配信していたのを見ていた時に余震で揺れた日もあって、その時に「みんな一緒に揺れてるから大丈夫」って源くんが言っていて、なんだかその言葉に安心したこともあった。

それで先ほどの「ゆれないこころ」に戻るんですが、「ゆれないこころができるとゆれるものがなくなる」という歌詞があって、2024年の今もわたしはその境地にはいけないなと思っていて、小さな悩みで揺れたり、なんだか孤独を感じたりしてしまう時があったりすると思う。

この気持ちを全部言葉にして誰かに話して受け止めてもらえたら楽なのかな?と時々思ったりする。
そして実際はそれをわたしはできなかったりする。

でも実際のところ、その揺れたり孤独を感じたりしているのは「ただ疲れているだけ」だったりするなあと冷静になるとわかったりする。

ただちょっとこどもと公園で遊んだことでの肉体疲労と、ちょっとホルモンが関係していたり、周りが羨ましくなってしまったり、そんなことの積み重ねだなと思う。

「なんだ、わたし、頑張ってたんだな」って気づくだけでいいし、「ああ今揺れているんだな」と気づくだけでいいってことなのかなって最近は少し思うようになってきた。

今も普通に揺れる自分と、「ゆれないこころができるとゆれるものがなくなる」という歌詞の相違。

でももしかして「ゆれないこころができるとゆれるものがなくなる」って、「今揺れてるな」って気づいて、客観的に自分を見て、冷静になるということでもあるのかな?と少し思ってきました。

という気づきを残しておきたくて、noteに綴ってみました。

今日は疲れたなあって思ってたけど、娘が寝る前に大好きって言ってくれてギューってしてくれて、1日の最後にご褒美もらったみたいな気持ちでした。


自分にしかわからないくらいの映像だけど、あの頃のライブの動画を見ていたら約13年前の自分が映り込んでいました☺︎
思いがけず昔の自分に会えてなんだかうれしかったです。

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