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みんなの50円玉大作戦。

小学校5年生のとき窓の外の景色を見ながら「あーお金ほしいわぁ。ずっち〜」と考えた。

大人になったらお金持ちになって遊んで暮らすんだ、みたいなことは考えたことはないんだけど、小学校5年生のときに「お金ほしいわぁ」と思ったのは、漫画のコナンと犬夜叉とドラゴンボールとONE PIECEを全巻ほしかったからだった。

5年生なりの知能で考えて閃いたのは、クラスにいる40人ひとりひとりから50円玉をもらえたらどうなるだろう? ということで、これは単純計算で50円×40人だから2,000円である。

私の小学校は1学年が4クラスであったから、学年全員から集められたとしたら2,000円×4クラスで8,000円である。

8,000円。すごい大金だ。

コナンも犬夜叉も手に入るではないか。
いける、いけるぞ!


理論上はこれでいけるわけで、ひとりから50円玉を「くれくれ」とせびることには全然抵抗感がなかった。当時の私は閃いたこのアイデアを、信頼できる担任のごう先生に話してみた。



ちなみにこの郷先生は男の先生で、クラスのみんなに年賀状を出すタイプの先生だった。

小学校5年生の私が受け取った郷先生からの年賀状には、インドのタージマハールの前で郷先生と奥様がニコリとつっ立っている写真に「あけおめ」と書いてあり、子ども心に「郷先生はタージマハールに行けるお金持ちなんだ」と恐怖したものである。

さらにちなみにでいうと、郷先生はのちにどこかの小学校で校長先生までのぼり詰めたと聞いている。



郷先生に「みんなの50円玉大作戦」の話をしてみた。

「先生あのね、かくかくしかじか、50円玉をみんなから集めたら8,000円になるから、ほにゃららがほにゃららでホイミベホイミベホマズン〜」

意気揚々と話してみた。こんな天才的なアイデア、郷先生以外には理解できまい。

郷先生は「ほぉ」と言ったあとに「悪くないなぁ」と言っていて、私は「そうでしょ、そうでしょ」ときらめく。

だから「みんなから集めてみてもいいですか?」と聞いてみると郷先生は「ダーキ、アイデアはいいけど、使い道がよくないな」と言ってくる。


私はみんなから集めたお金でコナンと犬夜叉の漫画を本屋さんで買おうとしていたわけで、郷先生はそれが「よくない」と言う。

なんでダメなのかよくわからなかったので、郷先生に聞いてみると「ダーキはみんなから集めたお金を自分だけのために使おうとしてるからだ」と言ってきた。


なに言ってんだかとにかく理解ができなくて、私は「でも、コナンと犬夜叉はおもしろいんですよ」と素晴らしい反論をしたことを覚えている。

郷先生は「考え方はおもしろいけど、目的がよくない。惜しい」の一点張りで、結局「みんなの50円玉大作戦」は実行されなかった。


郷先生の言わんとすることは今なら理解できる。

多くの人から集めたお金は私利私欲のためだけに使ってはならない。

会社組織はいい例だろう。たとえば生命保険会社は人々から少額の掛け金を毎月徴収し、不測の事態が起きた人にどかっと分配する。相互扶助の精神である。

それから株式会社もそうだ。社会に対して貢献したいというなんらかの事業構想があって、そして投資家からお金を集め事業を実行する。投資家には投資金額のぶんだけ配当金を戻す。


もしも小学校5年生の私がもうちょっと商売の才覚があって、郷先生に対して、

「じゃあ先生、毎月集めた8,000円のうち6,000円分をコナンと犬夜叉に使うよ。買った漫画はぼくだけが読むんじゃなくて教室に置いて誰でも読めるようにする。でもぼくが買ってくる労力の分、2,000円はお小遣いでもらってもいいかな」

みたいな感じで説得していたとしたらどうだっただろう。


う〜ん、もうちょっと別のアイデアがある気がするんだけど、いまの私にはこれが精一杯。


郷先生は元気かなぁ。


〈あとがき〉
お金ってただの手段なんですよね。なにかやりたいこと、叶えたいことがあって、それをやるには必要なものがたくさんあるからお金が必要になる、という順序です。今日の記事、最初のタイトルは「100兆円ください」という私利私欲にまみれたものだったのですが、そういえばこの話あったなと思い出して書きました。今日も最後までありがとうございました。

【関連】郷先生はこの記事にも登場するよ

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