- 運営しているクリエイター
記事一覧
19歳で私を出産したお母さんが書いてくれた作文。
母は18歳で私を妊娠し、19歳の秋に私を出産した。父は6歳年上だから当時24歳で、どんな出会いからそうなったのか、私は聞いたことがない。
私は長男で、下には2人の妹、1人の弟がいる。全部で4人の兄妹。歳も近くて毎日楽しかった。
その代わり、父は寝ないで働いていた。日中は家にいる母も、夜になると「お掃除の仕事があるから」と言って仕事に行っていた。私を中心に兄妹4人みんなで「行かないで」と泣きなが
交際0日で泣きながらカルティエを買って、ひざまずいてプロポーズ。
「あたしと付き合うってことは、
どういうことか分かってるよね?」
札幌市内のとあるお店で、のちに妻となる彼女から真顔でそう言われたとき、私は心外であった。
営業事務として4歳上の敏腕女性を採用したはずだったのに、採用から6ヶ月後、私は彼女に愛の告白をすることになり、返す刀で言われたのが冒頭のセリフである。
【関連】社内恋愛なの?と思ったらコチラ
心外であった。
「あたしと付き合うってこ
スキ数と閲覧数に踊らされる人。
セミナーをやると、参加者のうちで最も成長するのは誰だろうか。どんな人だろうか。それはもちろん……。
ありがたいことに先週と昨日、札幌市主催で「note」についての市民講座をやった。
今日はそこで思ったことをとりとめもなく書く。
参加者さんの数は定員30名を急遽こえる32名で本当にありがたい。心から感謝しているんです。2年くらい前の自分では絶対に想像もできない状況。
ぶっちゃけ、ずっとそんな
これでダメならコピーライターは諦めようと思ってたけど。
大学生のとき、コピーライターという職業があることを知った。10年以上も前のお話。キャッチコピーだけで人の感情を揺さぶり、誰かの胸の中にあたたかな火を与えて、次の行動を促す。表現のプロ。
なんて素晴らしいんだ。
よし、
◾️札幌のポンコツ学生、飛び込む
何かを表現したいと思っていたモラトリアムな20代前半、大学生の私は、これこそが自分の生きる道、と信じて、宣伝会議主催のコピーライター養成講座
ティッシュ配りを光速で終わらせる元カノ。
「ティッシュ配りのバイトを始めるよ」
私が20代前半の大学生の時にお付き合いをしていた歳下の彼女から、そうやって言われたから私は「ティッシュ配り!?」と少し心配になった。
この娘にティッシュ配りという過酷なアルバイトが果たして出来るんだろうか、と思ったがそんな私の心配はどこ吹く風。数日後、元カノはクソ楽しそうにティッシュ配りのバイトの話を聞かせてくれた。
「あんな簡単なバイト、ほかにないよ!
日常的に美しい言い回しをする大人にあこがれる。
人と話をしていると、その人が日常的に使う言葉遣い、単語、言い回しによって、その人がどんな文章に触れてきたか、何を美しいと感じているかが見え隠れすることがある。
あ、この方はおそらく本を多く読む方なのだろうな、と思うことはそれほど多くはないが、それでもそういった言い回しをする方を見つけると「かっけーな」と思ってしまう自分もいたりするわけ。
例えば、
「いやぁ、そんな"インチキ"な商売はしません
美しいキャッチコピーにはなぜか奥行きや立体感を感じる。
みなさん、キャッチコピーは好きですか。
私は好きです。
大学時代、コピーライターになりたいと思って勉強もしたし、コピーライター養成講座にも通ったし、実際にコピーライターのアルバイトもやった。
でもなんだか、
「うまいことを言ってやろう」
みたいな広告業界の風潮が苦手で、それを真剣に目指すことはやめた。後になって考えてみると、全然そんな風潮はないんだよ。きっと若かったんだと思う。
今でもキ
妻をBTSの沼に落としてみた。
妻がARMY(アーミー)になった。兵隊になったわけではない。ARMYとは7人組K-POPアイドルグループ「BTS」のファンの総称である。
BTS。
韓国発の男性アイドルグループである彼らは、いまや世界的な人気を博しており、ある時は国連でスピーチし、またある時はアメリカのバイデン大統領に謁見してスピーチし、と、もはや韓国に止まらず、ワールドワイドに活躍するグローバルスーパースター。
私の妻は、
毎日投稿が終わるとしたら、最後の記事はこんな記事。
私は2022年6月1日から、
毎日欠かさずnoteを書いてきた。
で、ふと思った。
…
「待って? 俺いつまで書くん?」
森羅万象、花鳥風月、始まりがあるものにはすべて終わりがある。毎日毎日、ペリペリとnoteに記事を書いては公開し続けているが、この私にもいつか終わりが訪れる。
なんか、Twitterとかでありがちだが、ある日突然更新が止まったかと思ったら、こんなツイートが「ポン」と流れ
入社1年未満で面接官になったら、とんでもない逸材を採用できちゃった話。
2018年の初夏、私は面接官をやっていた。この頃の私は人材系ベンチャー企業に籍を置いていたのだが、入社から1年も経たないうちに、なぜか面接官をやることになった。
その会社は本社が関東にあり、2016年に北海道に新規で支社をオープンした。ある女性社員が手を挙げ、息巻いて北海道支社を作ったまではいいものの、1年間の収穫はゼロ、つまり1社とも契約を結ぶことが叶わなかった。これが農家だったとしたらヤバい
愛する人が、妻以外にもいる。
心から愛している人が、妻以外にもいる。
両親、2人の妹、そして弟である。
私は4人兄妹の長男だ。北海道札幌市の生まれで、育ちは人口2万人の田舎。社会に出て保険外交員として働く今、私は北海道から出ずに札幌市内に暮らしている。妻と。2人で。
私のひとつ年下の妹は、小さなころから病弱だった。小さな身体に大きな手術、その手術痕は今でも身体に残っている。
そのせいか、比較的外交的な性格の私とは対照的