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小説を読むことは、とても楽しいこと。小説を書くことは、さらに楽しいこと。 自分が書いた…

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小説を読むことは、とても楽しいこと。小説を書くことは、さらに楽しいこと。 自分が書いた小説をだれかに読んでもらえたら、そして少しでも楽しんでもらえたら、これ以上うれしいことはありません。

最近の記事

ドッペルゲンガーを探して  第三十回

 午後から降り出した雨は、夜になって上がった。アスファルトに出来た大小の水溜まりが、行き交う車のヘッドライトを映していた。  浩市は見慣れたビルを見上げた。いつもならこの時間はどの窓にも明りが灯り、生徒の話し声でうるさいほどだった。だが今、正面玄関にはシャッターがおろされ、生徒募集と掲げられた巨大な看板も取り払われている。ガラス越しに中をのぞくとソファも書棚もポスターもない室内は、ガランとしていた。  浩市はビルの裏口にまわると、合鍵で鉄の扉をあけた。エレベーターは止められて

    • ドッペルゲンガーを探して  第二十九回

       子どもの頃から、喧嘩さえまともにしたことがなかった。荒っぽいことは見るのも苦手で、そんな場面に出くわすと浩市は一目散に逃げ出した。卑怯者と思われようが、小心者と蔑まれようがそんなことは別に構わなかった。暴力は自分には向いていないと浩市は思っていた。それがどうしたことだ。マヤを何度も何度も殴りつけ、その衝動を抑えることができなかった。そして飯田を殴ることで恐怖や不安を一瞬にして自分のなかから消しさることができた。何もかもこれまでの自分とは違っていると浩市は思った。自分がなにか

      • ドッペルゲンガーを探して  第二十八回

         「飯田総合リサーチ」から連絡が入ったのは、週明けの十時きっかりだった。直接結果を話したいという内容の電話だった。  午後、一番に事務所に行くと返事をして浩市は電話を切った。  浩市が依頼に行なってから、まだ二週間足らずだ。自分一人では、まるで手がかりが得られなかったことを思うと、結果が出るのが早いような気もした。もしかすると、何の手がかりが得られなかったと言われるのではないかという不安を拭い去ることはできなかったが、電話を寄こした若い男は「詳しい内容は飯田の方から真崎さまに

        • ドッペルゲンガーを探して  第二十七回

           時折り強く降ってはやみ、やっと雲が切れるかと思うと再び激しく降る、そんな天気が幾日も続いていた。仕事も辞め、どこにいく当てもない浩市ではあったが、分厚い雲の垂れ込める灰色の空を見上げると重苦しい気分になった。こうして昼なお暗い部屋に一人でいると、社会から完全にドロップアウトしたのだと思い知らされる。誰かのために生きるのでもなく、己の楽しみにふけるでもなく、無為に生きるということがこれほど身にこたえるものだとは思わなかった。  自分の頭で何かを考える間もなく、ほとんど惰性のよ

        ドッペルゲンガーを探して  第三十回

        • ドッペルゲンガーを探して  第二十九回

        • ドッペルゲンガーを探して  第二十八回

        • ドッペルゲンガーを探して  第二十七回

          ドッペルゲンガーを探して  第二十六回

           大型トラックが往来する埃っぽい大通りから一歩入ると、古びたビルやマンションが立ち並んでいた。浩市はスマホの地図とビルを交互に見比べる。ネットでみつけたそのビルは、両隣の建物から完全に浮いていた。目をむくようなオレンジ色に塗られた、真新しいビルだった。ビルの名前の書かれたプレートには手元の広告と同じロゴで「飯田総合リサーチ」とあった。広告には、「浮気調査から行方調査、素行調査、電話盗聴、各種トラブル調査、コンピュータに関するセキュリティなど、なんでも承ります」とあった。広告は

          ドッペルゲンガーを探して  第二十六回

          ドッペルゲンガーを探して  第二十五回

           浩市が退職届を提出したのはゴールデンウィーク前のことだった。体調が優れないことを浅田には口頭で伝え、たいした仕事も出来なかったことを浩市は詫びた。 「気にすんな。困ったことがあったら、いつでも相談にのる」  そう言うと浅田は辞表を受け取った。  浩市は黙って頭を下げた。  数人の同僚には挨拶をして回る浩市に、これからの生活はどうするのか、どこか身を寄せるところはあるのかと、根ほり葉ほり聞いてきたのは、驚いたことに中田だった。彼女の態度の変わりように浩市は戸惑った。そして、質

          ドッペルゲンガーを探して  第二十五回

          ドッペルゲンガーを探して  第二十四回

           人々が心待ちにしていた桜は、長雨であっという間に花を散らしてしまった。誰もが恨めしい思いで空を見上げる週末になった。  浩市がマヤに電話をしたのは、そんな見ているだけで気持ちが沈んでくる雨の午後だった。 「助けてくれ。これが最後だ。頼む。もう二度とこんなふうに連絡をしたりしない。本当だ。信じてくれ」  声を聞いてすぐマヤが思ったのは、どうしてこの番号がわかったのかということだった。番号もアドレスも変えたばかりだとうというのに。それに、知らない番号には留守電のメッセージを聞い

          ドッペルゲンガーを探して  第二十四回

          ドッペルゲンガーを探して  第二十三回

           蒼がスマホの地図を頼りにたどり着いたのは、古ぼけた二階建てのアパートだった。色あせた外壁はピンク色で、周囲の家並みから、あきらかに浮いていた。風雨にさらされてこんな色になったのか、そもそも最初からこんな色だったのかまでは分からなかったが、こんな奇妙なアパートに一時でも住もうと思える人間の気が知れなかった。  とはいえ、ここまで来て黙って帰る気にもなれず、錆びた外階段を恐々上がる。一番左の二〇一号室。部屋には表札も呼び鈴もない。ドアの横にあるすりガラスの窓から中の様子を伺うが

          ドッペルゲンガーを探して  第二十三回

          ドッペルゲンガーを探して   第二十二回

           浩市は逃げるように駅へ向っていた。頭の中では同じ言葉がぐるぐると巡っていた。 「あなたのとてもよく知っている人よ」  マヤの言葉は、ただのでまかせではなかったのか? 妻とその恋人に陥れられたということなのか? 浩市のなかで、“なぜ?” という思いと“やはり!” という思いが、ぐるぐると渦を巻いていた。いつから悠里と宮田が付き合い、いつから計画を練っていた? それでも、自分を陥れるためだけにそんなことまでするだろうか? あの気の弱い宮田がなぜそんなことを? 同じ職場に居て、あ

          ドッペルゲンガーを探して   第二十二回

          ドッペルゲンガーを探して  第二十一回

           悠里から連絡があったのは、半月も過ぎてからのことだった。平日の午後、デザイン会社での打ち合わせ終えて、スマートフォンの不在着信に気づいた浩市は、留守電のメッセージを見て鼓動が少しだけ早まった。 「悠里です。家に来るなら、次の日曜にしてください。そのとき、家に残っているあなたの荷物は全て引きとるなり、処分するなりしてください。わたしはあんなもの見るのも、触るのもまっぴらだから」  吐き捨てるように再生メッセージは終了した。  温かい言葉を期待していたわけではなかった。自分のし

          ドッペルゲンガーを探して  第二十一回

          ドッペルゲンガーを探して  第二十回

           久則はカップをソーサーに戻すと、隣のテーブルの男たちを不愉快そうに睨む。  彼らは、蒼たちがテーブルに着いたすぐ後でどやどやと店に入ってくると店員に声をかけるでもなく四人掛けのテーブルを自分たちで勝手に二つ合わせて席をとった。注文そっちのけで中腰になって名刺交換をしはじめた。やっと終わったかと思うと、飲み物が運ばれる前に一人ずつ自己紹介をはじめた。住宅街の静かなカフェには不釣り合いな存在だったが、本人たちはまるで気にする様子はない。  彼らがどういう集まりなのか、見当もつか

          ドッペルゲンガーを探して  第二十回

          ドッペルゲンガーを探して  第十九回

           ガラスの自動扉が開くと、おそろいの黄色い帽子をかぶった子どもたちがマンションのエントランスから一斉に走り出した。そのあとを若い母親たちが小走りに後を追う。なかの一人が子どもの名前を呼びながら、危ないから走らないでと繰り返す。  閑静な住宅街に建つマンションの生け垣の影に身を隠すように佇む浩市は、スマートフォンの呼び出し音を数えながら、浩市はひとつの窓を見上げていた。コールを続けるが誰も出ない。  数分前にマンションの正面玄関から、右手に黒い書類かばん、左肩に筒状の図面入れを

          ドッペルゲンガーを探して  第十九回

          ドッペルゲンガーを探して  第十八回

           五メートルと離れていない距離に女はいた。初めて会った時とも、駅で偶然見かけたときともまるで印象が違っている。髪は以前より少し長い。薄い化粧のせいなのか、ヘアスタイルのせいなのか、ずいぶん若くも見える。盗んだタブレットの顧客名簿からあたりをつけたものの、前を歩く女が本当にマヤなのか半信半疑だった。  すぐにでも走りよって肩をつかみ、彼女なのか確かめたかった。だが、はやる気持ちを抑えて距離を保って浩市は女の後を追った。  以前の失敗を繰り返したくはない。今度こそ、今度こそ、と浩

          ドッペルゲンガーを探して  第十八回

          ドッペルゲンガーを探して  第十七回

           街には早くも日傘をさす人の姿が目立ちはじめた。淡い色のブラウスや半袖姿の若い男女もいる。ショーウィンドウのディスプレイは、華やかな色であふれ、行き交う人々の表情もどこか明るく見える。浩市のすぐ目の前を行くサラリーマンは、信号待ちの間に上着を脱ぐと腕にかけ、襟から風をいれると再び歩きはじめた。  浩市は陽射しのあまりの眩しさにうつむきがちに交差点を渡る。地球は自転と公転を繰り返し、季節は確実に巡っているというのに、一人だけ世界から取り残されているような気分だった。 「ねえ、さ

          ドッペルゲンガーを探して  第十七回

          ドッペルゲンガーを探して  第十六回

           午前中に出社すると、事務所にはまだ誰も来ていなかった。浩市は音楽を小さく流し、手早くコーヒーメーカーに豆をセットして、出来上がるまでパソコンを立ち上げメールをチェックする。カタカタとキーボードを叩き、いくつか簡単な返事を書く。そうこうするうちにいい香りがしてきた。画面のテキストをざっと読み直して、送信ボタンを押すと浩市は立ち上がり、コーヒーをカップに注いだ。  講師たちが出社してくるまでもうしばらく時間がある。一人ゆっくりとコーヒーを飲んでいると、フェイクの葉っぱが覆う壁か

          ドッペルゲンガーを探して  第十六回

          ドッペルゲンガーを探して  第十五回

           他の方法を浩市は思いつかなかった。  マヤらしい女を見つけたのと同じ時間、同じターミナルのホームのなるべく目立たない場所に立ち、コートのポケットに両手を突っ込んで行き交う人の姿に目を凝らしていた。 万に一つの可能性がないとしても、何の手がかりもない今、何もしないではおれなかった。ガラス張りの駅長室から目につかない場所を選び、だれかと待ち合わせでもしている風を装った。  列車は駅に入って来ては大勢の乗客を吐き出し、また乗客を吸い込むと駅を出て行く。その繰り返しだ。しかし、乗客

          ドッペルゲンガーを探して  第十五回