2019年映画TOP10

■はじめに
2019年に鑑賞した映画の個人的なメモです。

2014年は35本を観賞。
2015年は41本を観賞。
2016年は62本を観賞。
2017年は82本を鑑賞。
2018年は61本を鑑賞。
2019年は74本を鑑賞
※全て劇場で観た映画です。家で観た映画はカウントしてません。

2019年後半はストレスフル状態が続いたため、71本という結果となった。
毎月5本ペース。

■2019年映画TOP10一覧
①工作 黒金星と呼ばれた男
②ハッピー・デス・デイ/ハッピー・デス・デイ 2U
③シークレットヴォイス
④マイル22
⑤ジョン・ウィック:パラベラム
⑥ゴジラ キング・オブ・モンスター
⑦アナベル 死霊博物館
⑧ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
⑨毒戦 BELIEVER
⑩ザ・バニシング-消失

①工作 黒金星と呼ばれた男
オールタイム・ベスト級のスパイモノヒューマンドラマ映画。
こんなにも熱い涙がでるラストシーンのあるスパイ映画は私の一生であと何回出会えるのだろうか。
おそらく出会えないだろう。

※ここからはあらすじを整理したため、ネタバレを含みます。
朝鮮半島を舞台にしたサスペンスドラマ。時代は1992年/平成4年。
北朝鮮の核開発が北と南の緊張感を生み、
北側の核開発の状況を調査するため南側は
黒金星(ブラックビーナス)と呼ばれる工作員を送り込もうとする。
軍人の主人公・パク・ソギョンはまずは軍人の経歴を消すために借金まみれになり自己破産する。
そこから事業家となって北と南の貿易を商売としている北側の対外交渉担当者に接触をする。
このような工作員となる背景から物語ははじまり、
北朝鮮側の対外交渉担当者との接触、交渉、信頼を得るためのやりとり。
その全てがスリリングでスパイ映画の醍醐味を存分に味わえる。
特に、相手は北朝鮮ということもあり、接触してきたパクのことを南の工作員であるかを常に疑った行動をしていく。
薬で眠らせたり、自白剤を使ったり、銃で脅したり、
北側の偽物の古物品を南側で売りさばくようにと交渉/監査したりしてくる。
(ソニー製のカセットテープを仕込んで証拠を集めようとするギミックもワクワクを助長させる)
そのような命をかけたやり取りをしている工作員の心理戦と大胆な工作戦に心を揺さぶられ、
映画の世界に引き込まれていく。
やがては順調に北側の信頼を得て、大きな広告ビジネス(北側の街を背景に南側の広告を打つ)を取り付けるために、
北の最高権力者である金正日に謁見するまで物語は進んでいく。
パクは北朝鮮側の街を眺め、飢餓と貧困に苦しむ市民を目の当たりにし、
その生活ぶりに目眩を覚えるような感覚に襲われる。
そしてその感覚は北朝鮮側の対外交渉担当者も密かに抱いていた心理であった。
北朝鮮に住む人達の暮らしを救いたい、という人間の善性、道徳的な精神。
作中の表現で言えば、「浩然の気」である。
<注釈>
『孟子・公孫丑上』に「我善く吾が浩然の気を養う」とあるのによる。
天地間に充満している非常に大きく強い気(至大至剛の気)をいう。
自分の行動が正しいと、この気が身中に満ち、不屈の道徳的勇気となるとする。

その「浩然の気」という教えで、
南側の工作員・パクと対外交渉担当者は奇妙な信頼関係・友情を築いていく。
すべての工作、あるいは北朝鮮側との正常な外交関係は順調に進んでいっている最中に、
韓国の大統領選挙をめぐって、パクが所属する組織がお取り潰しになりそうになる。
これらすべてのことが実際に起った事実であり、
この工作をやっていたパクのモデルとなった人物にも接触してこの映画はつくられている。
そしてこの大統領選挙の裏に隠された、北側と南側の黒い取引。
(取引の中で流れるレコードでのシューベルトの魔王というチョイスも秀逸だった)
これらがすべて現実に起こっていたことであると考えると、想像も絶する世界であることを考えさせられる。
我々が生きている世界はなんなのか、人として正しく生きるということはどういうことなのか。
いわゆる「浩然の気」に即した行動とはなにか?
巨大な国家の闇に巻き込まれて、犠牲にさせられる市民のことを考えて、
すべてを知る工作員・黒金星が行動を起こすという熱さも圧巻。
結局、北朝鮮側には自身が工作員であったこともバレてしまい、命の危機に陥るが、
その窮地を救ったのは奇妙な友情が芽生えた北側の対外交渉担当者の男。
そしてラストシーン。
南側ではすでに犯罪者と扱われてしまったパクは時を越えて、
信頼と友情を深めあった北側の対外交渉担当者と再び奇跡の邂逅を果たす。
北朝鮮と韓国のモデルがはじめてコラボレーションをした広告企画の会場。
華やかにフラッシュがたかれ報道陣たちが騒いでいる喧騒の裏で
じっとりと目線を交わしあう二人の男の姿。そしてそこからの無言の接触。
それは今でも脳裏に焼き付くほどの鮮烈なシーンだった。
スパイ映画といえば、冷戦時代の米ソの対立がメインストリートだと思うが、
平成の時代でもこのような工作が行われたという事実と、
それを映画・エンターテイメントとして昇華してきたセンスも含めて、
個人的にはとてもセンセーショナルな映画体験になった。

②ハッピー・デス・デイ/ハッピー・デス・デイ 2U
死のループからの脱出サスペンス映画。
個人的には本作がハッピー・デス・デイのみであれば、
演出や画角、コメディ要素なども含めてエンターテイメントとしては優秀な映画であるが、
設定の”気になる穴”が気になってしまい、
映画全体としては凡庸な死のループもの映画という扱いに終わっていただろう。
だが、ハッピー・デス・デイ2Uまでが含めての評価であれば、
2019年の映画体験の中ではかなり楽しめた映画の一つではある。
※日本での公開は、第1作の1ヶ月後に第2作を放映していた影響もある。
また、第2作は第3作まで匂わせる終わりだが、
興行収入的にはその可能性は低いらしく、残念な思いがある。

ハッピー・デス・デイのあらすじ。
主人公のテレサ・ゲルブマン(ツリー)/学生は同じ学生寮に住む男/カーターの部屋で目が覚める。
ツリーはその日は誕生日=「18日の月曜日」
そしてその誕生日の日に死のループが発生する。
(・前日に大酒を飲んでおり、体調不良である状態から始まる)
・寝起きにカーターとの朝の挨拶
・男子寮を出て女子寮へ向かう
・ルームメイトの女性から誕生日のカップケーキをもらう
・学校へ行き、クラスメートと接触する
・父親とレストランで食事をする
・既婚者の教授と接触する(その教授とは不倫関係を楽しんでいる)
・夜にパーティーが開催され、それに参加する
・その後に”何者か”に襲われて命を落とす
これらをループすることになるが、
ツリーは死ぬまでの記憶を保持した状態で同じ日を繰り返すことになる。
ツリーは映画の主人公らしく、人生がすべてうまくいっておらず、特定の友達もおらず、
すべてを投げやりに(自由奔放に)生きているような女の子であった。
ルームメイト、クラスメイト、不倫関係の教授とツリーを憎んでいる容疑者はたくさんいて、
その一つ一つの可能性を次々に消していこうとするが、
その全てが尽くはずれ、最後は命を落としてループの最初に戻ってしまう。
ループしている間に、自分がループしていることを確信すると、
朝に目覚めたあと、カーターにそのことを相談して、二人でこの死のループを解決しようと奔走する。
ループものではあるが、テンポのよい展開と連続の死。死のバリエーションも多様で飽きさせない。
しかも主人公のツリーがループに気づいていく過程やどんどん新たなチャレンジをする演出は非常にわかりやすく、
エンターテイメントの質は高い。ループものであることを最大限に生かした画作りについては傑作クラスではある。
またツリーが善行を積んでみたり、悪行をしてみたりと、ツリーの思いっきりの良い行動は、
ツリーの自由奔放という性格が十二分に生きていた。
それをコメディチックに描いていく中盤はかなりエンターテイメントとして気持ちが良い。
そして終盤に事件の真相に辿り着こうとする(視聴者的にはこいつが真犯人か!?と思う)が、
またそれも空振りで、最後は死を迎える。
この期待を何度も裏切らせる展開もドキドキしながら映画に没入できる。
そして死ぬごとにツリーの身体は死に蝕まれていき、身体に一定のダメージを与えていく。
このハラハラ感もまた、たまらない。
最終的なオチも二段オチのようになっていて、質の高いエンターテイメント映画を体感させてくれた。
だが、個人的には「なぜこの誕生日の日にループが発生してしまったのか?」についての疑問は解決されないままだった。
そこが呪術的、オカルト的、魔法的、SF的に答えが明確に提示されていたのであれば、
間違いなく傑作映画であっただろう。

だが、その答えは「ハッピー・デス・デイ 2U」で提示されることになる。
すでにループを脱したツリーとカーターは恋人同士になり、いちゃついているところから第2作目がはじまる。
その部屋に入ってくるカーターのルームメイトの男/ライアンが本作で最初の視点となる。
ライアンは科学を研究しており、実験室には量子反応炉が設置してあった。
この量子反応炉の実験により、またループが発生していくことになる。
なんだかんだあって再度ツリーの誕生日である「18日の月曜日」が始まってしまう。
そしてその次元では1作目の犯人は犯人ではなくて、カーターは別の女の彼氏になっていた。
世界線が変わってしまったのである。
まさにパラレルワールドの世界に飛ばされてしまい、また死のループが繰り返されることになっていく。
ここで物語の視点もツリーの視点に切り替わる。
演出、展開、テンポ、画角、コメディの質などは第1作と同様である一定のエンターテイメント性を保持している。
そこにSF要素と新しい登場人物たちが加わり、
そのパラレルワールドとループからの脱出に奔走することになる。
そんな中主人公ツリーの取った行動は死のループ=無限の時間を利用した物理学の学習である。
物理学を習得しながら、死のループを繰り返して、
このパラレルワールドの謎を解く独自のアルゴリズムを研究していく。
そしてその研究のために自らの死を選んでテンポよく色々なバリエーションで命を落としていくシーンも楽しい。
つまり第1作目で発生したループの事象は量子反応炉の実験の影響だったのである。
第1作目の停電がまさにその事象を裏付ける事件だったことが第2作目で提示された。
そういうところも含めて、エンターテイメント性の高さが個人的にはぐっときた。
近年のアニメ化しているようなWeb小説にも死のループや無限の時間を利用したスキルアップなどのネタはあり、
またそこのパラレルワールドをかけ合わせてきた脚本はかなり満足度の高いといえる。
きっと何度觀ても笑えて、ワクワク出来て、楽しい映画である。


③シークレットヴォイス
憧れの存在/アイドルに焦がれる一般女性/アイドルファン心理と崩壊に向かっていく物語。
私は「マジカル・ガール」で衝撃を受けた。
スペイン/カルロス・ベルムト監督の「マジカル・ガール」の次に日本公開された作品。
「マジカル・ガール」の映像演出手法を踏襲しつつ、
また日本文化好きな監督の趣味も混合しつつ、
人間の欲望、渇望が原動力となる人間的な行動とがシームレスに死生観に接続されてゆき、
最終的には破滅の道に突き進むことになる。
あらすじは以下の通り。
~~~
人気絶頂の中、突如表舞台から姿を消した国民的歌手リラ・カッセン。
それから10年、様々な憶測が飛び交う中彼女の復帰ツアーが発表される。
しかしその直後、リラは原因不明の発作に倒れ記憶喪失となり歌うことさえできなくなってしまう。
そんな中リラに人生を捧げてきたマネージャーのブランカは、
リラの曲を本人さながらに歌いこなす女性ヴィオレタと出会い、
極秘裏に「リラにリラの歌を教えてほしい」という奇妙な依頼を申し出る。
精神的に不安定な無職の娘と貧しい二人暮らし、
人生に絶望しリラの曲だけが心の支えだったヴィオレタは、
大喜びでその依頼を引き受けるのだが、
やがて誰も知らなかったリラのある「秘密」を知ることになる。
~~~
映像演出手法としては、2つの別々の主人公の視点で物語は進められる点。
・記憶を失った国民的歌手リラ
・リラに憧れる一般女性で家庭環境に問題があるヴィオレタ
日本文化好きということろでは、カラオケ文化と折り紙というギミック。
人は誰かに憧れる。テレビの中のスターに憧れる。アイドルに憧れる。スポース選手に憧れる。
世界の誰もがその憧れを持っているだろう。
そしてヴィオレタもその一人である。
憧れという言葉というよりも崇拝が妥当かもしれない。
リラのことを本当に心の底から崇拝していて、
カラオケで振り付けも込で完璧にリラの曲を完全コピーするくらい、
自分の人生に欠かせない存在になっていた。
その彼女が記憶喪失になり、
彼女に彼女の歌を教えるという「二人だけの秘密の時間」は、
まさに一般人が夢見るような
”憧れの存在が記憶喪失になりその人と二人きりで密な時間を過ごしながら、
 憧れの存在のリハビリする”
みたいなシュチュエーションが展開されるのである。
一言で言えば、ヲタクの妄想気持ち悪い(笑)ということなのだが、
それを真剣に脚本として取り込んでいき、
記憶喪失ということ以外のさらなる「リラ」の秘密に迫っていくことになり、
親密性や奇妙な運命共同体的な絆が増していく。
それはそれとして、夢のようなそんな時間が永遠に続くはずもなく、
ヴィオレタの家庭環境は我々一般庶民が抱えるような”家族の問題”が紛糾し、
生活の基盤が崩壊するような事件が起こってしまうのである。
夢見る一般女性/ファン/ヲタクが崩壊に向かっていく物語はまさに「マジカル・ガール」のそれであるし、
そのヲタク視線でのリアリティさと一筋縄ではいかない日常の崩壊。
ヲタク視線の文脈というのが画面の中の奥底・根底にはしっかりと存在しているが、
それが派手に演出されるわけではなく、
脈々と登場人物の中にその感情を抑え込めて、
それをフィルムにする感性に非常に心が惹かれる作品である。

④マイル22
緻密に計算された構成とド派手なスパイ・アクションの熱量が高い一作。

「パトリオット・デイ」の監督/原案の「ピーター・バーグ」監督作品。
物語のメインの構成は王道で
特殊部隊が核物質を情報を持っている情報提供者を亡命させる作戦を決行する。
この特殊部隊が特殊でCAIのトップクラスのエージェントで構成される極秘部隊"オーバーウォッチ”と呼ばれる部隊。
この極秘部隊が作戦発動すると、
作戦メンバー全員でCAIへ辞表を提示し、米国政府とは関係ない者たち扱いとなり、
あらゆる行為が超法規的措置の中で行われることになる。
この発想が中二病くすぐるナイスなエッセンスになっている。
そして情報提供者であり米国政府に亡命の交渉を仕掛けてきた男/リー・ノアがまた食わせ者。
物語の核心に迫るので詳細を伏せるが、
この男のアクションがまたこの映画に一つの華を添えている。
肉体的なアクションから、物を使ったアクション、そして銃器でのアクションなんでもあり。
オーバーウォッチ部隊は情報提供者リーの亡命のために
東南アジアの某国大使館と空港の間は22マイル(約35km)を護送することになるが、
リーの命を狙う部隊があの手この手で攻めてくる。
そして核物質が米国へ渡ることを防ぐという大義名分があるため、
そのあの手この手を使ってくる”謎の組織”は、
市街地戦もお構いなしに、銃器を放ってくる。
車両からの発砲はもちろんのこと、ドローンによる攻撃もやってくる。
わずが22マイルの距離がキルゾーンとなる。
この”謎の組織”からのルール無用の猛攻撃を防ぎながらの銃撃戦もまたこの映画の華である。
そしてこの”謎の組織”の正体はこの映画の冒頭のシーンにシームレスに繋がっていき、
ラストシーンに密接に接続されていく。
・オーバーウォッチ部隊という特殊部隊と秘密作戦
・核物質を取り合う国同士の代理戦争
・情報保持者/リーの肉体派アクション
・市街地での苛烈な銃撃戦
・冒頭とラストの物語の繋がり
箇条書きにして単純化するとこれらの要素がこの映画のエモの部分であると個人的には思っている。
だが、その緻密に計算された物語構成と小型カメラを用いた臨場感あふれる画角は、
この映画を凡庸なアクション映画とさせない熱量がある。
何度でも見てもハラハラ・ドキドキなアクションスパイスリラー映画に仕上がっている。

⑤ジョン・ウィック:パラベラム
『ジョン・ウィック』シリーズの第三作。
ジョン・ウィックの第一作/第二作についての説明は省略。

ジョン・ウィックことキアヌ・リーブスがあらゆる武器を使って
殺し屋たちを抹殺していくアクション活劇。
あらすじはwikiより。
===
殺し屋たちが集う「コンチネンタル・ホテル」でルール違反の殺しを犯し、
懸賞金1400万ドルをかけられている凄腕の殺し屋ジョン・ウィックは命を狙われる。
ジョンの身にかけられた懸賞金を狙う全世界の殺し屋たちとホテルの2つから
襲撃を受けることになったジョンは、ニューヨークからの逃亡を図る。
===
兎に角、物語は逃亡劇であるが、
殺し屋たちの撃退の仕方のバリエーションがまさに圧巻。
そしてどこのシーンでも間髪入れずに襲われる。
ほぼ全編がアクションシーンで構成されていて、脳内麻薬がドバドバとなり、
思考回路が追いつかないくらいのアクション快楽で満たされる映画体験となる。
個人的には馬に跨ったジョン・ウィックが
バイクで追いかけてくる殺し屋たちを撃退するシーンが最高にクレイジーだと感じた。
今の時代に馬vsバイクのアクションをあれだけの長尺で演出するという発想が兎に角クレイジー。
きっと生涯この映画でしか味わえない映画体験だと言える。
そして更なる映画体験といえば、
犬と共闘してアクションシーンを描いている点である。
映画中盤からジョン・ウィック側につくことになった元殺し屋のソフィア。
その飼い犬たちとのアクションシーンもかなりのクレイジーさ。
犬とのコンビネーションアクションがあまりにも芸術的で、
これも馬vsバイクシーンに匹敵するスーパークレイジー傑作アクション。
あとはラスト付近のキアヌ・リーブスvs忍者のシーンもクレイジーだった。
兎に角、クレイジーなアクションシーンにまみれた映画であった。
言葉にすることはそれだけでよい。
後はこの映画を浴びるように体感することが大事。

⑥ゴジラ キング・オブ・モンスター
米国版ゴジラvsモスラvsキングギドラvsラドンの宗教映画。
怪獣たちが人間の前に降臨するシーンはまさに宗教画といったような美しさがあった。
そういう画作りの熱心さ、力の入れよう、完成度の高さが圧巻だった。
モンスターバースシリーズとしては、
「GODZILLA ゴジラ」「キングコング: 髑髏島の巨神」からの三作目「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」
一作目のゴジラでは米国を舞台にしたゴジラという存在の顕在。
キングコングは局所的に未知なる神獣が存在した髑髏島での神との邂逅。
そこから飛躍して世界中でゴジラ、キングコングと同じような神獣が発見されており、
それらが地球を大移動しながらぶつかりうあう
という世界的なスケールに発展していくダイナミックすさがこの映画の醍醐味。
・中国の山奥でモスラと交信を試みようとする
・南極に眠るキングギドラを復活させようとするテロリスト組織
・メキシコの火山地帯に眠るラドン
などが次々と目覚めていくシーンは圧巻。
どれもが宗教画のような荘厳な美しささえ画面に溢れているように感じた。
モスラの羽を大きく広げるシーン、キングギドラvsゴジラの南極大陸での大暴れ決戦、
ラドンが南米の火山をバックに大暴れし、市民が大混乱になる。
そしてラストのマサチューセッツ州・ボストンの野球スタジアムでのゴジラvsキングギドラの最終決戦の攻防。
その怪獣が大暴れしているシーンの合間合間でヒューマンドラマが描かれるが、
それは怪獣同士の争いに対してはあまりにもスケールが小さい。
だが、その対比もまたこの映画の宗教画シーンに対するいいエッセンスとなっている。

⑦アナベル 死霊博物館
死霊館ユニバースでいうところの死霊館版アベンジャーズ。
アナベルシリーズの主人公の悪魔研究科ウォーレン夫妻は、
悪魔研究の折に入手した呪いの収集品を自宅の地下におさめている。
呪いのアナベル人形も例外ではなく、定期的な祈祷を行い、厳重に保管されていた。
物語はウォーレン夫妻の娘を学生のベビィシッターに預けて外出する。
そして事件は起きる。
「保管庫にあるものはとても危険」という忠告は無視され、
その部屋に入ってしまい、そのすべての収集品を目覚めさせてしまうのである。
メインはホラーではあるが、
・小さな娘と学生たちでホラー現象に立ち向かう
・事件は家の中(外も少し)だけで発生する
・注意不足のトラブルメーカーが呪いの呪縛を解き放ってしまう
などの王道トラブルメーカーな展開はコメディの要素を含んでおり、
恐怖は薄い。
だが、びっくり箱をひっくり返したような呪いの収集品による心霊現象の数々、
そのホラー演出のバリエーションは中々に楽しい。
まさにホラー版のアベンジャーズみたいな。
これがまさにジェットコースターに乗ったかのような
スピード感ある楽しい映画体験ということなのだろう。
そういう感想を肌で感じたのが本作だった。

⑧ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
「監督はこれがやりたかったのか!!」という驚きのラストシーン。
「キル・ビル」「ヘイトフル・エイト」監督のクエンティン・タランティーノ作品。
レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピットの共演は大きな話題となっていた。
「ヘイトフル・エイト」のように血みどろドバドバな映画かと思いきや、
この映画はラストシーンまではずっと落ち着いた雰囲気のまま淡々と物語が進んでいく。
161分という長さではあるが、
最後のオチまではダレないままに本当に淡々と「あの頃のハリウッド」の物語が描かれていく。
本作は、
1969年にハリウッド女優シャロン・テートが
カルト集団チャールズ・マンソン・ファミリーに殺害された事件を元にしつつ、
その時代のハリウッドを再現しているのである。
その頃のハリウッドは大流行した西部劇に翳りがでてきていて、
そんな時代の俳優/レオ様とスタントマン/ブラピの人生の物語を描いていく。
もちろん私は「その頃のハリウッド」についての知識は乏しいのであるが、
「あぁ、こんな時代もあったのだろう」ということが
自然と頭に入ってくるような背景や撮影方法となっており、没入感は非常に高い。
そしてラストの女優シャロン・テート殺害事件が発生する時間となる。
ラストはネタバレになるので言及しないが、
この清々しいまでのお伽噺を打ち込んでくるセンスに脱帽してしまった。
私も映画の前にはシャロン・テート殺害事件のことをwikiで調べてから映画に臨んだのだが、
それが大正解だった。
腐った世の中に対する「くそくらえ感」というか、
その豪気さはまさに「ヘイトフル・エイト」などで魅せた
血みどろ感に繋がっているように思えて。
また、時々みたくなるタイプの映画の一つとなった。

⑨毒戦 BELIEVER
姿なき麻薬王を追いかけ、
狂人の巣窟に潜入した麻薬取締官の激闘を描いたサスペンス・アクション韓国映画。

予告編を観た時には、
やばい麻薬中毒者たちの巣窟に潜入捜査する、
みたいなサスペンス&やばい薬中がコメディとしての色を持つ、
大衆向けエンタメムービーみたいな映画かと思っていた。
だがしかし、その内容はかなり男×男の信頼と裏切りとを織り交ぜた
潜入捜査サスペンス映画だった。
・男=チョ・ウォノ/麻薬取締官(チョ・ジヌン)
 ※チョ・ジヌンは「工作 黒金星と呼ばれた男」にも長官役で出演していた。
・男=ラク/組織から捨てられた若者(リュ・ジュンヨル)
基本的には麻薬取締官が組織に捨てられた若造と一緒に、
長年正体が不明だった麻薬王に迫るため潜入捜査を試みる物語である。
そこでこの男×男の信頼と裏切りのニュアンスが非常に快楽的であり、
そこにドライブ感がある。
だが、それ以外にも魅力的なキャラクターと息をつかせぬ展開で、
じわりじわりと物語の世界に引き込まれていく。
特筆すると、
・麻薬売買の狂人たちとのスリルある駆け引き
・潜入捜査のため、売人になりきる捜査官のコメディさ
・麻薬を体内に取り込んでしまったときの対処法の演出
 ※氷をいれた風呂で体を冷やすことで薬物の吸収を防ぐため?
・実際に麻薬精製をしているやべぇ武装労働者集団
 ※銃器を保持して、大音響で麻薬精製するシーンのエモさ
 ※人情に熱く、ラクの母親の死を慮るシーンのエモさ
・ドイツで神学を勉強した狂ったクリスチャンブライアン理事の存在
 ※このブライアン理事長のキャラのたちかたがすごい!!!
などが印象深い。
そしてなにより、
組織から捨てられた犬のラクを演じる「リュ・ジュンヨル」の堂に入ったお芝居の良さ。
最初から只者ではないオーラみたいなものを纏っていた。
表情の読めなさとは裏腹にこの映画の空気感を支配しているといっても過言ではないような芝居。
こんな圧巻な芝居やオーラ感はめったにお目にかかれない。
そしてこの芝居の良さは、本映画の一つのオチであり、
ラストの展開に繋がっていくことになる。
冒頭のシーンから繋がるラストシーンは、
視聴者に多数の解釈をさせるような演出になっており、
その余韻もまたこの作品の一つの美徳となっているのだろう。

⑩ザ・バニシング-消失
ラストのオチが本当に最悪でどうしようもない感情になる映画No1。
以下あらすじ。
~~~
ある日突然消えた恋人を捜す執念と亡霊にとり憑かれたかのような男が、
次第に精神的に追い詰められていく姿を描いたサイコサスペンス。
オランダからフランスへ車で小旅行に出がけたレックスとサスキアだったが、
立ち寄ったドライブインで、サスキアがこつ然と姿を消してしまう。
レックスは必死に彼女を捜すが手がかりは得られず、3年の月日が流れる。
それでもなお捜索を続けていたレックスのもとへ、
犯人らしき人物からの手紙が何通も届き始める。
~~~
まじでラストの悲惨さ、あっけにとられるオチ。
そしてどうしようもなさ。バニッシングコーヒー。
だが、その誘拐犯の日常とその日常に潜むリアルな質感。
妻子がいて幸せな家庭を築きながらも、どこか物足りないような日常。
日常では味わえないスリルや好奇心から、
この誘拐犯はだんだんと誘拐犯になっていく過程の気持ち悪さ。
そしてその気持ち悪さがコメディっぽく描かれていく時間の流れ。
誘拐する妄想に囚われ、誘拐する妄想の中で訓練をして、
そして実際に女の子をひっかけに街に繰り出す。
この誘拐犯は単なるおじさんなので、もちろん女の子へのナンパに幾度となく失敗をして、
だが、その失敗をトライ&エラーで徐々に手口を変えていく。
この様子が人間らしく、気持ち悪く、痛快にも映る。
これを自分に当てはめると人間の醜悪さが浮き彫りになっていくかのような既視感もある。
そういう気持ち悪い雰囲気が続く中、
この誘拐犯を追う一途な青年の姿にも共感を覚える構成がこの作品のもう一つの見どころ。
そしてまたこの青年も好奇心という魔物に取り憑かれて、
誘拐犯の誘いに乗ってしまうのである。

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以下、個人的な感想メモ
2019年は「主戦場」「グリーンブック」「ブラッククランズマン」など
歴史と人権に関する映画がよりエンターテイメントとして世に出てきていたように思えた。

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