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歴史から消された最強のオオキミ

以前の章で天照大御神が卑弥呼として実在し、素戔嗚も実在したと書いた

例えば素戔嗚は、熊野大神・牛頭天王などとも言われている

日本の最高神は天照大御神で伊勢に鎮座する

伊勢神宮内宮本殿


初代神武天皇から朝廷には二柱の神が祀られていた
通称、荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)
どちらがどうかは今は記さない

10代垂仁天皇の御代に疫病が7年も続いた
時の天皇は二柱の神が互いに祟りあっているとし、朝廷から離すことを決めた

和魂は奈良の都の内に鎮座した

荒魂はなかなか鎮座を受け入れず、33ヶ所目にやっと収まった
鎮座した場所は伊勢であり、通称を天照大御神尊命と言う

では、荒魂(天照大神)よりもそばに置かれた和魂の正体は何か?

正式名称は
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)

天照のみでなく国照まで称され、宮廷のそばに祀られたこの神は、記紀においてその名が残る

神武東征の時、奈良の地に入るのを邪魔したアシナヅチと言う豪族曰く
「貴方は天孫と言うが既にこの地には天孫が在らせられる」
すると神武はその者に会い天尊の印である宝物を見て、先に降りた天尊であることを認めた
その天孫の名は饒速日の尊とだけ記されている
饒速日は神武に宝物を譲り、奈良の地に迎え入れたと、その下りが描かれている

先に紹介した和魂の正式名称にこの饒速日の名が見える

実際には、神武天皇が入婿した時には既に饒速日は亡くなっており、息子のウマシマジが迎え入れた

ウマシマジは物部氏の祖である

この奈良の都に残された和魂こそが饒速日の魂であり、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊の正体である

しかし、その後の朝廷の都合により、歴史からこの天照国照神を外し、天照大御神のみを唯一の最高神と位置付けた

そのため、それまで天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊を主祭神とした多くの社の由来を書き換えさせ、あらゆる風土記・古文書を焼き捨てた(延喜式)

書き換えられた名は、
大歳神・大物主・布留御魂などである

都の内に移された和魂は現在、石上神宮と称し、布留御魂を祀っている
この石上神宮は15代天皇の頃まで毎年のように朝廷のお参りを受けていた

奈良県天理市 石上神宮

伊勢より上に置かれた神は実在した

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